にんじんブログ

にんじんの生活・勉強の記録です。

MENU にんじんコンテンツを一望しよう!「3CS」

「世間体」の構造 社会心理史への試み

良い本をちょっと紹介するコーナーです。

今回は「「世間体」の構造 社会心理史への試み (講談社学術文庫)」です。

「世間体」の構造 社会心理史への試み (講談社学術文庫)

「世間体」の構造 社会心理史への試み (講談社学術文庫)

 

  人間の行動というものは環境によって左右されるわけですが、それには「自然的環境」と「社会的環境」とがあります。そんなことをしていたら笑われるよ、と言われるように世間の目というのは人の行動を大きく律しております。そんな世間の構造について書かれた本です。

「世間体」を通して日本文化の基層に迫る。世間とは、体面とは何か? はじ=羞恥の文化の意義を問い直し、日本人の行動規範である「世間体」に社会心理学からアプローチする。世間論の嚆矢となった名著。

『「世間体」の構造 社会心理史への試み』(井上 忠司):講談社学術文庫|講談社BOOK倶楽部

 

 特に第6章『「世間体」の文化再考』はドキリとさせられます。

 西洋の〈近代的自我〉の思想にふれてもらい、わが国では、〈世間の目〉を故意に拒否しようとする風潮が、徐々にあらわれてきたように思われる。ことに戦後は、その風潮がつよい。そのさい、「つよい自我」(自律性)が育たないままに、「世間」の人たちの〈まなざし〉のみを拒否しようとするならば、人びとの前には、大きな陥穽がまっていることであろう。他者に見られないかぎり、なにをやってもよい事由という陥穽が、である。 

 

「世間」とは何か (講談社現代新書)

「世間」とは何か (講談社現代新書)

 

 

 

恋愛なんかやめておけ

良い本をちょっと紹介するコーナーです。

今回は「恋愛なんかやめておけ」です。

恋愛なんかやめておけ (朝日文庫)

恋愛なんかやめておけ (朝日文庫)

  恋愛に関するさまざまなこと、恋愛が女性にもたらすリスク等々。

 随分前に読んだのですべては記憶しておりませんが、かなり熱中して読んだように思います。北村透谷の「恋愛至上主義」の話や、その顛末なども書いております。

恋愛至上主義 - Wikipedia

年ごろになったから恋愛をするってんじゃないんだ。なんだか、むしょうにおもしろくないことがあるから、恋愛にとびこんじゃうんだ。
恋愛は、会いたい見たいだけじゃない。平凡な日々のくりかえしに満足しきっている現実の世界への挑戦だ。日常性の否定といってもいい。現実の世界に追いたてられた、のけものにされた人間のたてこもる城だ。

ところが、ここに大問題があるんだ。それは精神的恋愛はひどく清潔で、いさましくみえるけれど、それがいつまでつづくかだ。

  Amazonレビューを読むとなんだか手に取るのが不安になりますが、単に恋愛に関する思想史として読んでもよろしいと思います。

 

 

 

とらドラ!・二人は「家族」に帰る

 とらドラがいつのアニメだか覚えてらっしゃいますでしょうか。

 2008年10月1日から年度末までに放映されたものです。恐ろしいことに誰一人スマホを持っていません。全25話、OVA未視聴です。

 

 ちょっと長いので時間がないぜという人は最後のまとめだけ見ればいいかもしれません。「読むぜ~超読むぜ~」という人は全文どうぞ。

 

 

 全部見終わって

 にんじんはあんまり恋愛ものは見ません。

 というよりも、ラブコメであろうが恋愛を主眼として見ないところがあります。このとらドラ!も例外ではなく、にんじんはいわゆる「恋愛モノ」を楽しんではおらんのでしょう。特に外見的な好みもないので職場の人が女性同士の会話のついでに「〇〇なほうが男の人は可愛いと思いますよね」と話しかけてきても、実は特にどうとも思いません。にんじんにとってたとえば身長が高いとはびっくりするぐらいの巨人のことで、逆に身長が低いとはホビットのことで、それ以外は身長の高い低いを判定したりはせんのです。

 そういう具合なので竜児と大河が櫛枝と北村のことが好きだ好きだと言っていても「なるほどね、そういう設定で来たか。んじゃ全体の流れはこうなるな」と構成の予想をしだす始末で、感情移入もしないという不良視聴者になってしまいます。物語のキモはそこをいかに崩してくるか、あるいは王道をいかに盛り上げるかにあるので、そこばかり見ています。そういう意味ではとらドラは「盛り上げ方がうまい」作品ということになるでしょう。予想を裏切られたことは一度もありませんでした。あくまでアニメの話ですが。

 また、文化祭以降特に顕著なのはクラスメイトとの関わりです。生徒会もありますね。アレに関してはスピンオフまで出てますが、ともかく重要なのはキャラクターが新たに用意された枠組みの中で動き回るようになることです。なにしろ文化祭のあとは「生徒会選挙」「クリスマスパーティ」「修学旅行」ですからね。時折垣間見えるクラスの団結力ににんじんは動揺しつつ見ておりました。もっとクラス内の友情に冷めたキャラはおらんのか?

 「クラスの一員」となることによって大河どころかみのりん、北村くんさえもキャラが弱くなってきます。最初期のテンションは影をひそめ、それぞれのポジションができてくる。終わりに向かって突き進まないと駄目だからしょうがないのですが、そこに若干のくさみを感じるときもあります。

 たとえばいなくなった大河から星空の写メがクラス全員(!?)に届きます。それからみのりんがいいことを言うのですが、川嶋さんがからかわれるように相当こっぱずかしい。北村くんにしても全校生徒の前で告白したり、自らの内面を集団の前で開示します「な、なぜ、なぜこの人たちはここまで同じ学校の生徒を信頼できる……クラスメイトを……あ、あ」陰の者であったにんじんは痙攣しはじめ、

 

すてきなひとりぼっち

すてきなひとりぼっち

 

 

集団

 もしにんじんがとらドラの作者だったら、竜児はみのりんとくっつき、大河は引越していなくなり、あとで二人のもとに見知らぬ誰かとの結婚を知らせるエアメールが届くことでしょう。クラスメイトやイベントはもちろん描きますけど、それは存在してないと不自然だからで、別に役割を持たせたりはしません。大河からクラスメイトにメールが届くシーンとか、にんじんは絶対入れないでしょうね……。

 ところで。

 にんじんはとらドラを恋愛モノではなく家族モノとして見ます。少なくとも純正の恋愛モノではありません。ここでいう家族というのは血縁ではなくて、クラスメイトなども含めた何を考えているかわからない他者との共同体のことです。わからない他者との関わりを学ぶ過程だといってもよろしいです。だからクラスとの関わりはとらドラにおいては必然的なわけです。初期において、大河は「うわっ 手乗りタイガーだ」と廊下で道を譲られる存在だったのですが後期には親しく話しかけられるまでになっています。

 

家族という病 (幻冬舎新書)

家族という病 (幻冬舎新書)

 

 

とらドラというゲーム

 たとえるなら、将棋というゲームプレイです。大河は将棋界におりますが、まともに将棋を打ったことはありません。「なんで字が違うだけで動かし方まで変わるんだ、王将ぐらい手でとりゃいいんじゃ、盤面なんてひっくり返せ」と言っております。

 けれどそんな滅茶苦茶なプレイヤーに北村くんが来て「一緒に打たないか! お前の滅茶苦茶なところが好きだ!」と言われます。一旦は断ったものの、徐々に気になりだす。次いで、実際一緒にやりたくなる。けれど、大河のルールは北村くんさえも理解してはおらん。「どうしてわかってくれないのよ!」と騒ぐ。

 けども諦められない理由もある。それでちょっとルールを学ぼうとしてみる。将棋界のイベントにも出る。周りに流されながらもとりあえず打ってみるうちに少しずつわかってくる。他の人とも普通にゲームができるようになる。それでようやく将棋界の一員になっている……。

 

 ともかく、このお話の主題は恋愛ではないだろうということです。家族になることです。ゲームを外から見て「わからん!」と言っているのではなく参加しましょうといっています。その動力として恋愛が使用されているという具合。恋愛と結婚と家族形成は川の流れのようにつながっているので、恋愛はなおさら動力として適当なのです。一方で集団を礼賛しているのではなく、みのりんの言う通り「何が幸せかどうかは私が決める」ことで個性が生きてくるのです。集団だけで生きると、役割を演じるだけになってしまいますからね。

 

集合・位相入門

集合・位相入門

 

 

まとめ

 さて、雑多に色々書いてきたので混乱してきました。まとめましょう! 

 にんじんを以て見れば、とらドラは恋愛モノではなくて、謎の他者で構成される共同体を受け入れようとする物語です。家族的共同体を形成する話ではありません、あくまでもともとあるものを受容するだけです。その推進力として恋愛が取り上げられているのです。

 にんじんは恋愛結婚家族になることを互いに影響を及ぼすにしてもそれぞれ独立のものだと鑑定しておるので、はい恋愛ものですといってとらドラを差し出されることに強烈に違和感を覚えるのです。

違和感

 また、受容するだけなので「本当にこれでよかったの?」という感じも視聴後に起こってきます。大河は選択をしたのではなくて「選択肢がそれしかなかったのでは?」という疑惑。逃げちゃ駄目だと碇シンジくんみたいになって竜児たちの前からいなくなりますけど、本当に「家族ってそういうもん」なの? 同じことを繰り返してない? というような不安。同じことを繰り返しているのだけど、大河は変に利口になったので、今度はそのせいでその危ない家族構造から抜け出せなくなるのでは? 一回見ただけの感想ですけど、大河って我慢と受容しかしてなくて、実は一度も選択などしていないのではないかと思っております。

 竜次と大河は間違いなくお互いを好きあっているように見えるし、設定上もそうなのですが、第一話からそうなることは目に見えていました。一人ぼっちのところを身の回りの世話から何から何までやってくれて朝から晩までほとんど一緒にいるのに、くっつかないほうがどうかしています。好き云々というより、横にいるのが当たり前なのです。

 もしも大河と竜児の家が離れていて、お互いの秘密を知っているだけの関係だったら、大河が竜次を選ぶ理由ってないと思うんですよね。「いいやつだこいつは。何でも相談できる」と思うかもしれないですけど、結婚まではいかない気がする……。そういうところからも、竜次と大河は恋愛というよりもむしろ最初に結婚から入っているように見えます。そしてやっちゃんが「わたしたちは三人家族なんだから~」と言う。そして大河は毛穴がぶわ~っとするぐらいそれを喜ぶ。その受容の結果として、竜次を選んでいるのではないかと疑ってしまうのです。別に好きだとかじゃなく。

 でも北村くんと竜児を秤にかけて、竜児を選んだのでは。

 そんな反論がすぐに聞こえてきそうです。たしかにそうですし、設定上もそうなのでしょうが「果たしてそうでしょうか」と考えてしまう!( ˙ᾥ˙ ) 竜児を選ぶというのが自然すぎて、選択した感じが一切しない……

 

 

とらドラ! 文庫 全10巻 完結セット (電撃文庫)

とらドラ! 文庫 全10巻 完結セット (電撃文庫)

 

 

まとめ(2)

 微妙な感じで書いてますが、とらドラは面白かったですよ! 誤解なきよう!

 竹宮ゆゆこさんの作品は他にも知らない映画のサントラを聴くなどを読んだことがあります。以前どこかで書評めいたことを書きましたがすっかり忘れてしまいました。ただ、結論だけは覚えています。あれは多分、最高にバッドエンドです。よくよく読んでみると「えっ……」と思う箇所が多いのです。見た目はいい感じに終わったみたいになってますが……。

 上記のまとめからいけば、とらドラもけっこうキツいのですが、バッドかどうかは大河たちのこれからで決まるみたいなところに救いがあります。というか、上のは完全ににんじんの妄想なので少なくとも設定上はハッピーエンドだと思います。

 

 

やったぜ♪( ◜௰◝و(و “

 

 

――それは、2人が1度離れて……ってことですか?

竹宮先生:そうですね。最初は、大河がアメリカへ行くってアイデアもあったんです。

――アメリカですか!

竹宮先生:国内じゃ物理的に近すぎてダメなんじゃないかなーと、ぼんやり考えていたんですけど……。

――先にすみれ兄貴がアメリカに行っちゃいましたもんね。

竹宮先生:そういうこともあって、この形に落ち着きました。下手したら、『とらドラUSA!』が始まっていたかもしれません(笑)。

電撃 - 『週刊とらP!』竹宮ゆゆこ先生を直撃! いろいろなことを聞いてみた・その1

 二人は絶対に一度離れないといけなかったですね。大河はもっと広い世界を知って、その上で竜児の所へ戻ってこないといかんのです┗(^ω^)┛

 竹宮ゆゆこさんも「どうして竜次を選ぶの」という問題は相当考えただろうことがうかがえます。そう、竜児が家事ができる便利なやつだからではいかんのです。

 さあ 次は「とらドラポータブル」へ行きましょう! 

 

知らない映画のサントラを聴く (新潮文庫nex)
 

 

 

とらドラ・ポータブル! 超弩級プレミアムBOX - PSP

とらドラ・ポータブル! 超弩級プレミアムBOX - PSP

 

 

フラスコレーションは良い曲(おまけ)

良い曲をちょっと紹介するコーナーです。

フラスコーレション」です。

  これは「とらドラ! キャラクターソングアルバム」あるいは「「とらドラ!」BEST ALBUM「√HAPPYEND」」に収録されております。どっちかというとベストアルバム版のほうが曲が充実しているのですが、ちょっと違いがあります。

 見比べてもらえばわかるのですが、「TANPOPO」「ホーリーナイト」「オレンジ citrus mix」「プレパラード postparade mix」がベストアルバムには入ってません。いや、ホーリーナイトは入れといて!(∩´﹏`∩) たぶんsilky heartとかキャラソンアルバムにない奴を入れてたらいっぱいになっちゃったんだろうなあ

 とらドラの楽曲はですね、基本的に全部良いです。にんじんはなんちゃらミックスとかいうのが苦手なのですが、オレンジのcitrus mixは原曲よりも良いんじゃないかと思えるほどの出来栄えです。

 そしてその中でもフラスコレーションは最高。特に、楽曲終わり。多分聞いてもらえばわかるのですが、最後にもう一回盛り上がります。にんじんはああいうの好きです。専門的になんていうんでしょうね。次はI MYかYes!なんですが、いかがでしょうか。

だけど やっぱ 微笑んでくれたら嬉しいし

だけど やっぱ 好きになれてよかったって思う

そうね やっぱ やめようとしても

どうせ やっぱ やめられないしね

どうせ ならさ ハッピーエンドで 終わりたいよ

(フラスコレーション:歌詞より引用)

 

「とらドラ!」BEST ALBUM「√HAPPYEND」

「とらドラ!」BEST ALBUM「√HAPPYEND」

 

 

 

【エッセイ】夢に友達が出た

 夢に懐かしいお友達が登場しました。どんだけ会いたがってんだと自分でも引くぐらいです。

 

夢をかなえるゾウ

夢をかなえるゾウ

 

 

 夢に出てきたという話

 コンビニを空にしたような建物に荷物を運び入れておりました。すると友達がやってきて梱包を解く。中を覗いてみると飲みかけのジュースやら食べかけのお菓子があって、それを上から順に陳列しはじめる。それをどうするんだと聞いたら俺はお店を出すんだと言う。それじゃあ商売にはならんだろうと思って引きとめるつもりで、いくらほど売り上げたらどれほどの収益が見込めるか計算してやった。どういう勘定をしたのか、数百個売らんといけないということになって彼はずいぶん落ち込む。そこで何故か「いや、頑張れよ協力するから……」。

 目覚めてすぐに「いや、その事業は失敗するだろ」「ネットショッピングの時代に店舗型」「つーか売れねえよ」というようなことを言っていたのですが、それらと一緒に「あぁだいぶ会ってないな」と思い、妙に寂しくなりました。

 

開業から1年目までの個人事業・フリーランスの始め方と手続・
 

 

友達がいるかいないか

 よくよく思い出せば小・中・高・大においては友達のいるいないが第一の心配事であったような気がします。ただ大学も3年ほど通ったあとは友達など別にいなくてもしのげることに気づき、以降は別に「友達ができるかな」などと考えなくなりました。

 先日、NEWGAME!というアニメを見ていましたが、そこで主人公の青葉が大学に進学した幼馴染に会う前、こういう風なことを言います。「まさか大学で友達ができなかったんじゃ……」――こんなことを気にするなんて、いったいどれぐらいしてないだろう、なんてことを思い、ばたんと寝たら例の夢を見ました。友達がいるかいないかなんて、普段気にするでしょうか。学校教育って自然とそういうことが気になるようになるんだから「うまい」よなあと感じます。

 

 教育

 教育社会学の先生だったと思いますが、こういうことを言っておられたことがあります。

「特定地区にいる同年齢の人を無作為に選んでクラスという共同体を作り出しこれから秩序を守って一緒に生活せよと指示するのは一種の暴力だ」

 教員を志していた学生たちから非難轟轟。学校というのは学業だけを教えるところではなく社会で生きていけるような協調性を身に着ける場所なんだぞ大体教員のくせにけしからんことを言うやつだそれじゃあどうしろというんだ云々。

 とかく教育などというテーマについて話すと議論が過熱して黒焦げになるから良くない、あまり触れんほうがいいわけですが、両方の主張もわかるようなわからんような、ともかくよくわからない。先生のほうは暴力という言葉を使っておられるようにクラスというものを作ることによる弊害が大きいと感じている、一方で学生のほうはクラスを作ることに利益があると感じている。そうしてそれ以上のものがない。

 だからこそ黒焦げになるわけで、まっとうな調理のためには素材の吟味が足りんようです。

 それにもかかわらずにんじんがその先生の発言を取り上げたのは、無垢に学校教育を信奉している若手に対して「こういう面もあるぜ」と講義したことが有難いからです。うちの大学だけかもしれませんが、どうにも「みんな楽しくみんな仲良く。わたしは自分の教科の楽しさを教えたいんだ」と仰る方が非常に多い。「いじめをなくすんだ」と仰る方も多い。これらを否定しているわけではないですよ念のため。素晴らしい意欲です。

 ただ数学に限って言えば、公理と導出規則から定まる数学という体系に興味がないのに「数学の楽しさ」を教えるってなんなのか。イプシロンデルタ論法さえ解しないのに極限の妙味を教えるような顔付をしている。実数さえ知らんのに「1/nはnを無限大にすれば0になるんだよ」と言う。要するに「大学数学がつまらん。高校なら受験勉強したしできるわ」みたいな人が多い。

 ただ「教育なんかどうでもいいし熱意もないけど、食いぶちとして便利だからとるんだ」となったら話は別で、それも良い生存戦略だと思います。

 ただ、熱意がある燃えているぜというひとの中にはよく調べもしないでイメージだけで語っている場合が多いということです。中途半端に知識があるのも問題で、なぜ1+1=2が成立するのかを説明するといって環の定義をし始める人もいる。しかもちっとも疑っていない。1+1=2を前提としながら1+1=2であると結論して澄ましている。

 そうとはいえ、中には物凄い意欲を持った方もいる。数学の楽しさを教えるんだといって院で研究をして、出た後は教育学を学びながら教場へ出る人もいる。なんて大変な仕事なんだろうにんじんにはとてもできない、と感服しました。

 音大でピアノを学んだという先生が音楽の時間に伴奏をしているのだけれども、生徒たちはそれを当たり前みたいに聞いている。ちょっ、あの人しゃべりながら手足を動かしてるぞすごいと思わんのか、オイオイオイ……とはいうものの生徒は大して感動した様子もありません。まぁそんなもんかもしれません。だからきちんと基礎を固めても、表にはなかなか現れんものでしょう。あぁ、なんて大変な仕事だろうと何度も思います。

 

脱学校の社会 (現代社会科学叢書)

脱学校の社会 (現代社会科学叢書)

 

 

おわり

 教員になるという夢を持つ方、そして今教員をなさっている方、大変だろうけれども頑張ってください₍₍ (ง ˙ω˙)ว ⁾⁾

 

 

 おしまい ₍₍ ◝( 'ω' )◟ ⁾⁾

 

 

社労士『労働基準法』一か月単位の変形労働時間制

 今回は変形労働時間についてメモ。わかりにくいなと思ったところを自分なりにかみ砕いて説明しているだけなので短めです。また、単ににんじんがわからなかった部分というだけなので他の人は「当たり前では」という内容かもしれません。

みんなが欲しかった! 社労士の教科書 2019年度 (みんなが欲しかった! シリーズ)

みんなが欲しかった! 社労士の教科書 2019年度 (みんなが欲しかった! シリーズ)

 

続きを読む