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もう一度にんじんと読む「哲学的思考(西研)」🥕 序章

序章 現代思想の〈真理〉批判をめぐって

この序章では、現代思想の〈真理〉批判のあらましをたどりながら、その仕方のどこに問題があったのか、そして現象学はこの同じ問題に対してどのような構えをとろうとするのか、ということを描き出してみたい。

哲学的思考 フッサール現象学の核心 (ちくま学芸文庫)

  伝統的な「真理」は次の二点から成り立っている。

  1.  言語や認識関心以前に、客観的事態=客観的真理があらかじめ存在している。
  2.  この客観的事態は、言語でもって言い表すことができる。直接言い表せないとしても、少しずつ接近していくことができる。つまり、真理性はそれにどれだけ近づいているかで決まる。

  しかしこのような「真理」については、多くの批判がなされてきた。

 

そもそも「言語以前・認識関心以前に存在する客観的現実にはそもそも私たちは出会うことができない」。つまりは私たちはいつも言語と関心とに従って事態を眺めるのであって、それ以前の客観的現実などというもののことはわからない!

 

 これがそれら批判の””背骨””である。客観的というものに疑いが投げかけられ、正しさというものがローカルなものであることが示唆される。文化によって正しさは異なるという文化相対主義という帰結を、私たちは受け入れるべきなのだろうか? もちろん、現象学はそのようには考えない。

 たしかに真理というものを人間の営みのなかにだけ見出そうとする姿勢は共感できる。しかしだからといって、真理が普遍的なものではありえない、ということにはならない。たとえば、机があるとかないとかは””机””がどういうものと捉えられているかによるだろうが、まさか「物体そのものがない」と言うやつはいないだろう。また数学や自然科学も、普遍的なものを予感させてくれる。逆に、そのように予感するからこそ、客観的真理という観念があるのだ。この観念はフィクションではない。『私たちが生きて経験することのうちに、そうした観念を必然化する機制がある』(哲学的思考 フッサール現象学の核心 (ちくま学芸文庫))。

 2つの課題がある。①この必然化する機制を明らかにしなければ〈真理〉批判は完遂されない。②そうして〈真理〉というものが害を及ぼす場合をきちんと考察していかなければならない。それは例えば自然科学が絶対視されたり、ある価値観を〈真理〉だとして絶対視するときである。もし必然化機制が明らかにされないならば、真理は永久に蘇り続ける!

 これを行おうとしたのは誰か。それがフッサールであり、彼の「現象学」だった。

 

 

 出発点はこうだった。私たちの主張はなんであれローカルなものから始まる。文化によって異なって来るものだ。だが、しかし、そうであっても、真理性を吟味するための「土台」があるはずだ。みずからの体験を反省しつつそれを見出す! これが現象学の方法である。

フッサールは、学問というものの理念は、〈一人一人がみずからその根拠を洞察しつつ認識を共有していくこと〉にあると考えていた。

哲学的思考 フッサール現象学の核心 (ちくま学芸文庫)

 

 

哲学的思考 フッサール現象学の核心 (ちくま学芸文庫)

哲学的思考 フッサール現象学の核心 (ちくま学芸文庫)

  • 作者:西研
  • 発売日: 2005/10/05
  • メディア: 文庫
 

 

 

にんじんと読む「おしゃべりな腸(ジュリアエンダース)」🥕 便の話

(ウンチのお話 中身・色・形)

 ウンチの構成要素をみてみましょう。4分の3が水分です。残りは固体。ではその固体はどういう構成になっているのか。3分の1が引退する細菌、もう3分の1が消化できない食物繊維。フルーツや野菜をたくさん食べると便を大きくすることができます。それでもう3分の1は身体が必要としないもの、たとえば吸収されなかった薬、色素、コレステロールなどです。

 ウンチの色はたいてい同じ色です。尿もそうですね。材料は血液です。解体された血液の色素はまず緑色になり、そうして黄色になります。だから尿は黄色いわけです。で、腸内細菌の効果で茶色になります。だからウンチは茶色い。……というわけで、ウンチの色は身体の異変を教えてくれるシグナルにもなっています。

  •  ウンチの茶色が薄かったり黄色だったら? 原因は2つ考えられます。血液をバラす過程か、腸内細菌で茶色に着色する過程です。前者はジルベール症候群といって血液分解酵素に問題があり、後者は腸内細菌がうまく働いていないということになります。抗生物質を服用したり下痢のあとにそうなることもあります。
  •  ウンチが灰色だったら? これは病院に行くケースです。材料の血液色素がウンチに到着していないのです。これは肝臓から腸への通路の障害と考えられます。いいことはありません。
  •  ウンチが黒か赤だったら? 赤い場合はただの痔でしょうが、黒い場合は血液自体がウンチに混じっているのです。色素ではなく血が混じるということは……。

 次はウンチの形です。「ブリストルスケール」といって7分類されています。

  1.  ナッツタイプ。小さなかたまり。出しづらい。
  2.  石ソーセージタイプ。表面がゴツゴツしている。
  3.  ひび割れソーセージタイプ。表面にひび割れがある。
  4.  歯みがきペーストタイプ。
  5.  ばらばらの柔らかいまとまり。
  6.  おかゆタイプ。
  7.  完全に液体。

 まともなウンチはひび割れソーセージか、歯みがきペーストです。表面が滑らかでやわらかいものです。タイプ1は完全に便秘。消化されない食べ物が100時間も腸内をさまよっています。タイプ7はいうまでもなく下痢。

 ウンチが沈む様子も観察して見ましょう。まともなウンチはガスを含んでいるため、ゆっくり沈みます。ドスンと落ちるものは正常ではありません。

 

超リアル ウンコ Fake Poop

ウンコはどこから来て、どこへ行くのか ──人糞地理学ことはじめ (ちくま新書)

うんこ入浴剤

にんじんと読む「おしゃべりな腸(ジュリアエンダース)」🥕 ④

 小腸における脂肪の吸収は、血管ではなくリンパ管を用いて行われます。リンパ管は血管の横を通っている管のことです。小腸においてはこのリンパ管がすべて集まり、一つの大きなチューブとなって、脂肪を吸収しています。もし小腸のひだひだの血管から脂肪を取り込もうとしたら、すぐに詰まってしまうでしょう。この大きなチューブを「胸管(きょうかん)」といいます。

 ここに集められた脂肪は、まっすぐ心臓へと向かいます。血液の場合は肝臓による検査が入りましたね。でも脂肪は検査されません。だから、””悪い油””はダイレクトに体に影響を及ぼします。エクストラバージンのオリーブオイルはおすすめです。値は張りますけどね。……でも、オリーブオイルをフライパンで熱するのはいけません。熱によって脂肪酸が変性してしまうからです。焼き料理には調理油、バター、ココナッツ油などの固形油脂を使用しましょう。それから高級な油はすぐに「フリーラジカル」という不安定分子と結びついてしまいます。フリーラジカルは化学反応しやすく体内で悪さをするので、高級油はきちんと冷蔵庫で保管しましょう。でも当たり前ですが、使い過ぎは害がありますよ。

 

 さて、糖質と脂肪についてはお話ししました。次は「アミノ酸」です。アミノ酸は組み合わさって、「タンパク質」になります。アミノ酸の種類は20種類あります。私たちが食べるものはすべてアミノ酸が含まれていますが、肉を食べずに必要な分を補給するのは至難の業です。植物性と動物性のものは含まれているアミノ酸が異なり、植物だけではほとんど摂取できないものがあります。これゆえ植物性タンパク質は不完全たんぱく質とも呼ばれます。

 ベジタリアンはやめろ、と言いたいわけではありません。たとえば「豆類」は畑のお肉と呼ばれていますね。でも豆も植物なので、メチオニンというアミノ酸が不足しています。ところが他の植物と組み合わせることで、補い合うことができます。実はそれが米です。米と豆はこの””補い合い””の模範的なカップリングです。蕎麦も重要なアミノ酸を十分に含んでいます。

 この頃は大豆アレルギーを起こす人が増えています。アレルギーの発生には小腸での消化が関係しています。タンパク質が十分バラせなかった場合、小さな物質が腸内に残りますが、これがリンパに入り込むと、体内を見回っている免疫細胞にとっ捕まり、異物認定されて攻撃されるのです。この次に豆なんて食べた日には””シバくリスト””に入っているのでボコボコにされます。だからアレルギー反応を引き起こす食品は””分解されにくいもの””であり、たとえばベーコンのようなお肉はアレルギーになりません。私たちはそうしたものを消化するのがもともと得意だからです。

 

おしゃべりな腸

あなたの体は9割が細菌: 微生物の生態系が崩れはじめた

脳はバカ、腸はかしこい

にんじんと読む「おしゃべりな腸(ジュリアエンダース)」🥕 ③

 生き物は生き物を食べます。生き物の基本構成は「糖分子」「アミノ酸」「脂質」。消化の営みは、生き物をこれらの基本物質に分けてしまって取り込むことです。

 糖分子は互いに結びついて複雑になることがあります。炭水化物です。あんまり複雑だからか、甘くありません。トーストをぱくりと食べると最終的にはスプーン数杯分の糖分子ができあがります。それじゃあまさに糖そのものといったような砂糖はどうかというと、あれは分解されるまでもありません。そのまま小腸から血液にいってしまいます。だから甘いものをたくさん食べると、血液がしばらく甘くなります。この二つの違いはなにか。結局糖分子じゃないか―――問題は、トーストは分解されながらゆっくりと吸収されていくのに、砂糖はダイレクトに血管に入り込むということです。体はもとの状態を保とうとするものですから、血が甘くなると(血糖値が高くなると)、インスリンを放出して対処します。でも、これがけっこう疲れる。この疲れがいけない。

 体はエネルギーを得ると喜びます。食べた時点でまあまあ疲れているところ、エネルギーがきたらそりゃ嬉しいでしょう。だから脳も喜びます。でも砂糖をダイレクトに食べてると、体に負担をかけます。ところが、私たちは砂糖まみれのものを飲み食いする時代に生きています。

 

 今すぐ必要でない糖分子は合成されて「グリコーゲン」として肝臓に保管されます。もしくは、脂質に変換して脂肪組織に貯蔵します。あなたがジョギングをし始めると、まず肝臓のグリコーゲンをせっせと消費し始めます。脂肪はあと! だから数分走って「いやあいいダイエットだった」というのは時期尚早です。

 ダイエットに協力する意味でも、糖の消費は脂肪からにしてほしいと思うかもしれません。でも、体にとって脂肪というのは非常に大事なものです。脂肪はエネルギー効率が高く、グラムあたりのエネルギー生成量が大きいのです。また体のいろいろなところに脂肪が使われています。わたしたちが考えることができるのも、細胞がこうしてあるのも、全部脂肪のおかげなのです。だからもし食糧難がきたら、脂肪を蓄えている人が生き残ります。

 

世界一やさしい! 栄養素図鑑

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一生役立つ きちんとわかる栄養学

にんじんと読む「おしゃべりな腸(ジュリアエンダース)」🥕 ②

 次は「小腸」です。長さは7メートルほど。トランポリンなんかやってると小腸も揺れる、揺れ揺れな器官です。光沢があって、ピンク色で、かなりきれいです。小腸はぐねぐねと曲がりくねっているだけに見えますが、真の実力はズームインしたときに見つかります。小腸にはひだひだがあるのですが、ひだひだにはさらにひだひだがあり、7メートルの長さを使って最大限に表面積を増やそうとしています。小腸を眺めてみると絨毯みたいになっているので、ひだひだのことを絨毛(じゅうもう)といいます。表面積を増やそうとするコイツの工夫はとんでもなく、もしそれをまっすぐに引き延ばしたら全部7キロメートルになります。

 消化するのはそれだけ大仕事。口で潰し、胃で溶かし、小腸でさらに最小サイズにまで分解しなければなりません。小腸が始まる部分には穴があって、肝臓と膵臓から液体が流れてきます。これによってリンゴはもはやリンゴではなく、何千万もの分子で構成される栄養液へとかわっています。それをひだひだでキャッチするわけです。

 ひだひだにはとても細い血管が走っております。栄養はそこで吸収して、肝臓へ。肝臓は有害物質が紛れていないか検査します。そして肝臓くんはまず自分の栄養分を補給し、心臓へ残りを送ります。あとはご存知の通り、心臓が全身へ血液を送り出すわけです。この流れのなかで糖分子が酸素と結びついてエネルギーと水分を出し、ついでに熱を出すので、体温が一定に保たれます。こういうプロセスのなかで「エネルギー」が補給されるわけですから、食べた瞬間に元気満タンなどということにはなりません。消化するためにエネルギーが必要なので、むしろ食後は食前より疲れています。

 

 おへその右下あたりに「盲腸」っていうのがあります。これは大腸にくっついてる器官です。正確には「虫垂(ちゅうすい)」といって、その付近のことを大雑把に「盲腸」といっています。というのも、虫垂のあたりというのは大腸の中でもへんぴなところにあって、消化の役にまったくたちません。でも、やっぱりいるからには特別な力を持っているのです。そうでなければ、医者に切除されてしまいます。

 小腸が消化できなかったものは、「大腸」に送られます。このフロアにはさっきみたいなひだひだはありません。その代わり、細菌が生息しています。彼等が残り物を分解してくれるのです。その細菌のお目付け役として、「虫垂」がいるのです! 彼らは免疫システムであり、細菌を監視しています。有害な細菌がやってくるとすぐさま包囲し、叩きのめします――――が、叩きのめした時に炎症を起こす場合があり、虫垂が腫れて大きくなることがあります。これがいわゆる虫垂炎。モウチョウともいわれますね。

 でも監視だけが虫垂の役目ではありません。たとえばあなたが下痢になったとしましょう。下痢になると腸内細菌を全部まとめて吐き出してしまいます。そこに虫垂が登場。とにかく関係ないところにいるので、その中にいた「良い細菌」の一団が大腸に広がっていき、定着し始めるのです!

 

 さて、「大腸」に話をうつしましょう。彼は小腸をぐるりと取り囲む太い管です。彼はその大きな空間を利用して、平均16時間も残りかすをていねいに分解します。そして他の場所では取り込めないような栄養分を取り込んでくれます。たとえばカルシウムなんかも大腸です! 栄養分は肝臓に送られ、やっぱり検査します。検査を免れるのでは、管の最後数センチメートル。もう十分にボコボコにしてるので、直接循環系に回されます。

 最後の数センチメートルで直接吸収。これを利用しているのが「座薬」です。口から薬を入れるとどうなるかというと、薬の成分の大半がボコボコにされてしまいます。だから飲み薬は成分を大目にいれておかなければなりません。ところが座薬だったら! そう、直接薬効が届くのです! 消化にはエネルギーがいると書きましたが、薬をボコるエネルギーも当然かかります。つまり体に負担がかかります。そういうときには座薬。特に、子供と老人の場合。

 

一生役立つ きちんとわかる栄養学

新しい腸の教科書 健康なカラダは、すべて腸から始まる(池田書店)

腸のトリセツ

にんじんと読む「『健康』から生活をまもる(大脇幸志郎)」🥕

 

 新型コロナウイルスをみてもわかるように、『ウイルスそのものよりもはるかに強く、ウイルスが連れてきた社会の混乱にこそ苦しめられている』(「健康」から生活をまもる 最新医学と12の迷信)。治療薬やワクチンの進歩はわたしたち一般人にはどうしようもないことだが、パニックに免疫をつけることは可能なはずだ。つまり敵の正体を知り抜き、迷信をあばき、向き合う方法を学ぶことだ。コロナだけではない。ちまたには健康情報が溢れかえっている。みんな「これがいい」というものがあるが、なぜいいのかはたいてい誰も知らない。「適度の飲酒は体にいい」? 適度の飲酒ってなんだよ! 健康のためだったら酒は一滴も飲まない方がいいに決まっている。

 しかし私たちは健康のために生きているのではない。「酒は健康にいいか、わるいか」なんて問題を判定しなければならない、などと考えていること自体が既にひとつの迷信なのだ。「健康のためです」といわれればナルホドと思ってしまう。

 人は健康より大事なものをもっていて、そのために体を壊す。そんなことは当たり前だ。というか、健康はそのためにあるのだ!

 

痛風、尿酸、プリン体

 プリン体は体に悪いらしい。それは尿酸に変わり、痛風の原因になる。だからプリン体は減らそう。しかしちょっと待て。本当にそうだろうか。

 まず確認しておきたいのは、ビールにはプリン体はごくわずかしか含まれない。重量あたりのプリン体の量は肉や魚のほうが十倍多い。でも魚を食べていると健康的だねと言われる。どうなってるんだ。しかもプリン体はわざわざ食わなくても体内で生成されている。しかも口から入って来るより数倍の量が生成されている。

 というわけでプリン体については一旦忘れよう。ビールがどうだのなんだの、誤差レベルだ。「問題は尿酸なのよ」ということになってくる。「アルコールは間違いなく尿酸を体にためこむ作用があるのだから、ビールなんて飲んじゃ駄目」と来る。正直、実際のところ、アルコールを飲むと痛風に至る可能性はある――――ただし、確率は低い。だったら別にならないほうに賭けたっていいじゃないか

 おっと、ここで血液検査の登場だ。医者があなたの目の前にきて「おや、尿酸値が高いですね。酒は控えてください」といってくる。これはもう駄目かもしれない。しかしそんなことはない。禁酒すると痛風が減る証拠はなく、食べ物を変えても痛風が減る証拠はない

 いや、ちょっと待て。証拠はないかもしれないがやめたほうがいいんじゃないか。しかしこれを言い出すと、雨ごいをしたほうが何もやらないよりマシだろう、という理屈も認めなければならなくなる。よし、飲み続けよう!

 ところが残念なことに、医者は「尿酸値を下げましょう。お薬を出しておきます」と言ってくる。ちょっと待て、防ぎたいのは痛風じゃなかったのか? 薬によって是正できるのは尿酸値だけで、痛風の予防にはならない。「え! 尿酸値が高いと痛風になるのでは?」ところが、尿酸値が高い以外に持病がなく痛風になったこともない人がお薬を飲んだときにはじめての痛風が防げる、なんてデータはない。日本のガイドラインには尿酸値が高いだけで薬を出すのは慎重になるべきだという意味のことが書いてある。医者に言われたらこう答えよう。「でも先生、ぼくは痛風になったことがありません」

 

 薬で痛風を防げるというのは迷信である。しかし薬はカスだというのもやはり迷信にすぎない。実のところ尿酸値を下げる薬には副作用があって、なかには死亡リスクさえある。どんな薬にも副作用があり、使用リスクがある。どうも酒を飲むということのリスクばかり強調されるが、薬だって相応のリスクはある。どっちのリスクをとるかだ。

  • 酒を飲む? 飲まない? → 飲むリスクあり!
  • 尿酸値が高いよ! 薬を飲む?飲まない? → 飲んでも飲まなくてもリスクあり!

 酒は飲まないほうがよいのは、飲まなければ酒のリスクがないからだ。ただし、当たり前のように、酒を飲まなければ酒は飲めない。賭けるか、賭けないか?

 

 

 

「健康」から生活をまもる 最新医学と12の迷信

「健康」から生活をまもる 最新医学と12の迷信

 

 

タバコ、酒、次の標的

 お次は「タバコ」である。吸わない方がいい。当たり前だ。

 しかし、吸いたい人もいる。これも当たり前だ。彼らは肺がんのリスクを重々承知で吸っている。でもちょっと待った。たばこを吸うと肺がんになるのか? 本当に? かつての日本は喫煙に寛容な国だった。未成年者の喫煙が禁止されたのは明治33年であり、1966年には成人男性の83.7%が喫煙者だった。しかしその頃には既に日本人の平均寿命は先進諸国と遜色なく、1975年頃からはトップクラスだった。喫煙者が世界の平均程度まで少なくなってきたのは2010年以降のこと。で、その結果、平均寿命は頭ひとつ抜きんでたかと言うと、まったくそんなことはなかった

 たばこの害はその他のリスクを考えると大したものではない。それより先に高齢者がモチを食うことを禁止したほうがいいだろう。お酒もそうだ。健康を考えるならあんなもん飲まないほうがいい。しかし、飲酒運転をなんとかしたほうが死亡率は減る。タバコと酒をリスク承知で吸うのは、文化的側面もある。嫌なことを忘れたかったりもする。ていうか別に理由はなんでもいい。飲みたい奴は飲め、吸いたい奴は吸え、そういうものじゃなかったか?

 ちょっと待った。お酒よりもタバコのほうが睨まれるにはワケがある。そう、受動喫煙である。喫煙のリスクがたかが知れていることを理解しても、受動喫煙は鬱陶しがられる。なにしろくっせえし、ヤニくせえし、ともかくクサいしで、つまりはクサい。あとケムたい。たしかにその通り(本当にクサいです)。だが喫煙が許されないことにはならない。たとえば酒を飲むひとは同じようにクサいし、絡んでくる。スポーツカーはやかましいし、某アニメキャラは野球をしていてすぐに人の家の窓を割る。趣味が料理のマダムが食中毒を出したり、インスタ映えを狙ってゴミ問題を起こしたり、喫煙と同じぐらい鬱陶しいものはこの世にいくらでもある。が、そうしたものは禁止されていない。なぜタバコという娯楽だけがここまで文句を言われなきゃいけないのか。こうなったのは最近のことである。酒飲みのあなた。たぶん次の標的はお酒ですよ。

 「タバコ」「酒」ときたら、次は「砂糖」かもしれない。甘いものは体に悪い! パクついていたらあっという間に肥満だ。肥満っていうのはデブのことじゃない。肥満というのはBMIという数値によって判定される。ありがたいことに、日本は2016年の時点でBMI30オーバーは全人口の4.4%しかいない。でもみんな肥満を気にしている。それはやっぱり太っているのが嫌だから? たぶん、そうなんだろう。いくらアメリカ人の肥満よりかはマシだよといったって、デブに見られちゃ困るというわけだ。そういう人はダイエットに励む。甘いものを我慢して。それもいいだろう。あなたがいいと思うならば!

 ほかにもある。これは推奨されているもので、「運動」という。運動は体にいいらしい。でも嫌いな人だっている。当たり前だ! それからスポーツをやることが体に負担をかける。けがもする。「でも運動をすると素晴らしい経験ができます」それは正しいが、明らかに医学の問題ではない。つまりなにがいいたいか。

人の指図は要らない。一事が万事、私たちには自由に生きて不健康になる権利がある。

ナッツはやせる。赤肉と加工肉は大腸がんを増やす。トランス脂肪酸は心血管疾患を増やす。

そんな話はすべて、事実の半分にすぎない。

「健康」から生活をまもる 最新医学と12の迷信

  赤肉食べても大腸がんにならなかった人はいる。それより食生活に気遣ってウンウンいってるほうが負担だ。健康を気にすることは生活のあらゆる面を監視することだ。都合のいい面ばかりとりあげて、あたかも世のため人のためになるみたいな顔をしている。

 健康のために生活に気をつけなければいけないという考えは、迷信だ。

「健康」から生活をまもる 最新医学と12の迷信

 

健康禍 人間的医学の終焉と強制的健康主義の台頭

健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて

 

 

ゲーム障害、アスペルガー症候群うつ病

 体のほうはともかく、心はどうだろう。現代人は疲れるので、あんまりひどいと精神科を受診したりもする。とはいえ、「正常です」と言われる場合もあったりして、「え、おれ病気じゃないの」と驚くこともあるだろう。心を分類するのはたいへん難しい仕事だ。

 ゲームをやりすぎるのも、「行き過ぎると」病気になる。課金しすぎて生活が破綻するとか、指の腱がちぎれるとか、まぁ異常だろう。そういうヤバすぎる事例ならばともかく、自分が単なるゲーム好きなのか病気なのかどうやって見極めるというのだろう。その人としては「きみ、ゲーム障害ですね」と言われて「は? 好きなだけだが……」となるだろう。病気ゆえの抵抗なのか、ふつうに抵抗しているのか。というか、その人としてはゲームで生活が破綻してもいいと思っているのかもしれない。

 そもそも「ゲーム」ってなんなのか。この理屈でいけば、この世のありとあらゆることは病気にできる。私たちは数百種類の病気をもっているのかしらないが、日常生活は普通に送れるのである。それじゃあ、病気っていったいなんなのか。だいたい、社会関係がうまくいかないとか、限定的な強い関心とかいうのが、そこまで異常なのだろうか。ちょっと調べればあなたは自分がなんらかの精神病を持っている可能性があることに行きあたるだろう。もちろん人とうまく話せなくて困っている人はいるが、その病名があるとかないとかで解決するわけではない。というか、たとえば「あなたうつ病ですね」と診断されることが、果たしていいことなのか? よかったね、発見できて?

 過労で心が苦しくなってくる。休みたい。が、休めない。苦しい。お医者さん助けて―――ちょっと待て。「休めない」ほうがおかしいだろう。そっちをなんとかすべきでは? 休むための理由としてお医者さんが「あなたうつ病ですね」なんて言ってくれる必要があるんだろう。それじゃ、うつ病という言葉は本質的ではない。うつと非うつの境界線はたいへんあいまいだ。

病気が客観的で確かなものだと思うのは迷信だ。

「健康」から生活をまもる 最新医学と12の迷信

  「病名はなにか、診断のポイントは?」なんて、その人の悩みとはなんの関係もない。必要なのはその人をよく見てくれる人だ。助けてくれる人だ。そしてそれは、医師である必要はまったくない。なにしろ、彼らは特別有力な方法を持っているわけではないからだ。

 

生きる意味―「システム」「責任」「生命」への批判

脱学校の社会 (現代社会科学叢書)

脱病院化社会―医療の限界 (晶文社クラシックス)