にんじんブログ

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2022-02-01から1ヶ月間の記事一覧

にんじんと読む「なぜ心はこんなにも脆いのか?」🥕 ②

病気になるとしかじかの症状が出るが、症状自体は問題ではない。かぜを引いて咳が出ても、咳が悪いわけではない。それは正常な、役立つ反応である。それが過剰になったり、十分に現れないのが異常な反応である。『ある反応が正常なものか、または異常なもの…

にんじんと読む「なぜ心はこんなにも脆いのか?」🥕 ①

「なぜ自然選択は、私たちの体を病気に対して脆弱にするような形質を残したのか?」 これがこの本の中心的な問いである――――「病気」は、絶対に進化学的に説明できない。なぜなら、その病気になることは進化的な適応の結果ではないからだ。だが、どうしてそれ…

健康は大事だね

健康は大事だ。身体的健康はすべての基本だ。 身体的健康とはなんらかの病気がないことをいう。 発病三要因は「生活習慣」「遺伝」「外的=ストレス、ウイルス等々」である。新型コロナウイルスがはやったこともあって、手洗いうがいはたいていやるようにな…

【二回目】にんじんと読む「フッサール現象学の生成」🥕

若きフッサールの探究の目が「意識の志向性」に向いたきっかけはいくつか考えられるが三点取り上げるなら、 (1)数学者ヴァイアーシュトラースとクローネッカー (2)心理学者ブレンターノ (3)意味と対象との区別ならびにイデア性の承認 ということに…

にんじんと読む「「がん」では死なない「がん患者」」🥕

栄養の観点からすれば、「がん」は代謝異常の病気といえる。代謝とは、『生命と維持するために必要なエネルギーを作ったり、筋肉などの組織を作ったりするために、私たちの体内で起こる生化学反応全般』のことである。がんはこの生化学反応を異常にしてしま…

にんじんと読む「東洋の合理思想」🥕 ③

③ 陳那によると、認識の対象は自相ジソウと共相グウソウに大別される。自相とは個別性、共相とは一般性をいう。前者を認識するものが現量、後者を認識するものが比量である。比量とは推理のことであり、推理は自比量と他比量に分かれる。自比量とは『論者が自己自…

にんじんと読む「東洋の合理思想」🥕 ②

② 初期仏教の合理的態度は、後年、「論理」へと繋がっていく。陳那(ジンナ)によって完成された形式論理学を新因明シンインミョウといい、それ以前を綜合して古因明と呼ぶ。 インド論理学者は知識または認識の源を「量」といい、これを重視する。量がいくつあるかに…

にんじんと読む「東洋の合理思想」🥕 ①

東洋思想は実践的関心を中心とし、それを知的に捉えようとするところに極めて合理的な一面がある。そのひとつの結実が仏教思想であり、これはカントの批判哲学に類し独断的な形而上学を排し現実に目を向けるものである。しかしカントの目的は近代科学の基礎…

(メモ)日本の歴史について

前日本史 縄文時代(1万2000年前~2300年前) 弥生時代(~250年頃) 古墳時代(~592年) 飛鳥時代(~710年) 奈良時代(~794年) 平安時代(~1185年) 鎌倉時代(~1333年) 建武の新政(~1336年) 室町時代(~1573年) 安土桃山時代(~1603年) 江…

にんじんと読む「だれもが偽善者になる本当の理由」🥕

私たちの行動が一貫性を欠くのは、「心」の成り立ちそれ自体に原因がある。「心」は多くのアプリケーションから成り立っている。iphoneアプリに見られるように、それぞれは独自の論理に従って駆動する。人の行動はどのアプリを使うかによって変わるので一貫…

【二回目】にんじんと読む「男たち/女たちの恋愛」🥕 ⑥END

⑥ 平塚らいてうによって推進されたケイの「恋愛至上主義」「母性中心主義」に異をとなる女性たちも当然、存在した。大正3年、尾竹一枝を中心に純芸術雑誌を目指す『番紅花』が創刊。恋愛ではなく芸術を通して「自己」を追求する。そこでは女同士の恋愛を肯定…

【二回目】にんじんと読む「男たち/女たちの恋愛」🥕 ⑤

⑤ 次は女性について見て行こう。女性の「自己」についての議論は明治三十年代後半頃から徐々に登場してきた。そのきっかけは明治32年の高等女学校令公布であり、義務教育以上の教育を受けた女性が存在感を放ちはじめていたことである。もちろん高等女学校教…

にんじんと読む「ラポール 最強の心理術」🥕 

人とのかかわりは精神・身体の健康を維持するうえで重要な要素だとわかっている。どれだけ一人が好きだろうが、定期的に他人を関わらなければならないわけだ。19世紀のユーモア作家ジョッシュビリングスがいうように「孤独は訪れるにはいいところなのだが、…

【二回目】にんじんと読む「男たち/女たちの恋愛」🥕 ④

④ このような立身出世を望まない「反社会」的な考え方が広まることは当然社会から見て望ましいことではなかった。特に日露戦争終結(明治38年)後は政府も「煩悶青年」たちに関心を強く示し、明治39年には国民としての自覚をもつように訓令を出している。自…

【二回目】にんじんと読む「男たち/女たちの恋愛」🥕 ③

③ さて、このように形成された「夫婦愛」の形にすべての人が同意していたわけではない。明治20年代後半から明治末にかけて、立身出世という公的規範、男性が担うべき役割といったようなものを否定し、自己探求のみを求めた青年たちがいたのだ。彼らは必ずし…

【二回目】にんじんと読む「男たち/女たちの恋愛」🥕 ②

② 明治20年代、真友という概念ととも構築されていたのは「家庭(ホーム)」だった。はじまりは明治28年『女学雑誌』において描かれた家庭の姿だった。そこにおける家庭像は、成員間に特別な関係性、愛情や親密さといった情緒的結合を求めるものであった。実…