2022-07-01から1ヶ月間の記事一覧
胎児の段階からさまざまな条件付けが施され、人々は激しい感情を抱くようなこともなく、自らの立場をすすんで受け入れる。彼らはまったく自分の思うように生きているのであって、楽しいと感じることや意義のあると感じる仕事に打ち込み、嫌なことがあればソ…
『だがしかし』オープニングテーマ「Checkmate⁉」 Checkmate!? MICHI アニメ ¥255 provided courtesy of iTunes にんじんに音楽のことはわからず、読み取れるのは歌詞ぐらいである。しかしこの曲は、にんじんの耳が悪いのか、歌詞が部分的になんと言っている…
第六章 怒りのコントロール 怒りは出し過ぎても我慢しすぎても良くない。そこでコントロールが必要になるわけだが、このコントロールの目標としては二段階想定される。まず第一に行動面のコントール、第二に認知面のコントールである。このそれぞれに対応す…
第四章 怒りの鎮静化 怒りの鎮静化プロセスを三段階に分け、それぞれの段階で「感情」「認知」「行動」がどうなっていくのかを見てみよう。 まず第一段階においては、怒りはもちろん強く、怒りを肥大化させる考えであり、人や物にそれをぶつけようとする。怒…
第三章 怒りの表出 怒りに伴う反応には2種類ある。生理的兆候を含む「表出的反応」と「道具的反応」である。前者は顔が赤らんだり声が震えたりするもので、後者は社会化の程度を反映したものでコントロールの余地が大きい。道具的反応は4群に大別される(A…
第二章 怒りの認知 人が怒りを感じるときには「被害にあった感覚」と「責任が相手にあるという感覚」が必要である。嫌な思いをしたんだぞ・大切なものだったのに&お前がやったんだ・避けることができたはずだ……という下位要素をそれぞれ含む。責任というも…
② 我々の目標は、私たちの持っている道徳的直観を明確化する存在論である。ここで明確化されるのは、正しさに関するどんな主張においても前提とされている背景であり、つまり、それがどうして正しいのかと問われればそこに立ち戻らざるを得ない。明らかにこ…
サメ映画といえばジョーズあるいはディープブルーといっても良いほど有名な作品である。遺伝子操作で知能が発達した三頭のアオザメが研究施設アクアティカの人々を襲っていく。サメを回避したり撃退するのももちろんだが、サメがいかに人間を襲い殺すのかも…
① 人間という主体であること、あるいは人格であること、あるいは自我であることがいかなることであるかについて、わたしたちが持っている近代的な考え方を「近代的アイデンティティ」と呼ぶ。そしてまず確認しておかなければならないことは、自我のあり方と…
『上野さんは不器用』エンディングテーマ「心のふりこ」 TVアニメ「上野さんは不器用」エンディングテーマ 「心のふりこ」 上野 (CV: 芹澤 優) アニメ ¥255 provided courtesy of iTunes 『上野さんは不器用』の曲はたいてい良いのだが、結局、一番聞いてい…
「ユーモア」と「笑い」は刺激・反応であり、区別される。ユーモアはくすぐることなのだ。ユーモアの主要な要素は不調和であり、フリとオチが別々のほうを向いていてしかもうまく解消されている。ばかげていることは笑いの種になるが、ばかげていればいいわ…
2022.06.29記 どんな物事も新しい側面を見せる可能性をいつも孕み続ける。私たちの夢想する自分というものの確かさと非-我との決定的分裂が、自己の中身を空虚にし、関係を二次的なものに後退させ、道徳は邪魔ものになった。だが私たちはもちろん、近代的自…
アリストテレス倫理学における徳とは、善い行為の本質的動機付けとなっている確固たつ性格、習性ないし性向である。徳は身に着けさえすれば苦も無く自動的に有徳な行為ができてしまうように思われてしまう(認知的要素も自由意志もない)かもしれないが、こ…
徳倫理学の様々なタイプ 徳という概念が過小評価されてきたのは、「徳」という言葉の今日的用法に求められると考えられている。徳という言葉は、今日的用法においては、人間の長所とりわけ道徳的な善さを指す。しかし本来は、「あらゆる事物がそれぞれの目的…
2022.06.27記 遊びはつねに、遊び手にとっての遊びである。遊びを遊びとするものが遊び手のひとつの「態度」であるということには大きな意義がある。一つは、遊び手は遊びのプレイヤーではない場合がありうる。たとえば木の葉がふわふわと揺れているとき明ら…
2022.06.26記 この頃、どうもいつもぼんやりしているので困っている。ぼんやりしていると本も読めないし、本を読む気も起こらない。昔はもう少し「正しいこと」について貪欲だった気がするのだが、どうやら真理というものが理念的なものに留まるらしいことを…