にんじんブログ

にんじんの生活・勉強の記録です。

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哲学

にんじんと読む「善い学びとは何か」

第一章 学びとはなにか、学ぶことの価値とはなんなのか。 学ばれるものを知識と呼ぶことにすれば、知識には以下の三つの種類が考えられる。 命題的知識 かくかくしかじかであるという知識 ノウハウの知識 ピアノを弾くなど、ある活動のためのスキル。ピアノ…

論理学の哲学

真であること・必然的であること・確実であること 「9は3の倍数である。9は3の倍数であることは真である」 真であるということは単に冗長な表現にすぎないのだろうか。この点についてはまた議論することにして、上の命題から真であることと必然性の区別…

にんじんと読む「生殖する人間の哲学」

第一章 「生殖」と他なるもの 人間を生殖するものとして見ること。それは人間を動物として見ることでもある。それは単に食べ、疲れ、休み、老い、病み、死ぬということだけでなく、他の人間と関係しなければ行えない生殖の側面をあらわにする。すなわち、人…

にんじんと読む「EVIDENCE AND INQUIRY(Susan Haack)」第四章

4 Foundherentism Articulated Our goal is an explication of epistemic justification which conforms to desiderata which emerged from the arguments of the previous chapters: to allow the relevance of experience to empirical justification(略…

証拠の構造について(基礎づけ主義・整合主義)

証拠の構造 信念Pを証拠R1という理由で正当化しよう。もしR1に正当化が必要ならばR2によって示されるだろうし、R2に正当化が必要ならばR3によって示されるだろう。こうした証拠の連鎖は次の四つのいずれかの構造を持つと思われる。 循環せず、どこかで止まる…

にんじんと読む「入門講義ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』」🥕 途中まで

論考とはなんだったのか ウィトゲンシュタインは「前期」と「後期」に大きく分けられるが、そこには連続性がある。彼は哲学を治療として捉え、哲学的問題を問題としてしまうのは言語に対する誤解のせいだと診断する。哲学者たちはなにか意味のある議論をして…

にんじんと読む「論証のルールブック」序章、第一章

序章 「論証する」とは、結論を支える一連の根拠や証拠を提示することを意味する。 それは単に自分の考えを主張することだけではないし、口喧嘩をすることとは異なる。論証とは特定の考えを根拠で裏づけようとする行為である。論証が無意味なものではなく、…

にんじんと読む「スマートな悪」

重量は価値中立的だが、「スマートさ」はそうあるべきとされている。私たちの身の回りはスマートフォンからスマートウォッチまでさまざまあり、国は超スマート社会を目指すべき未来像として掲げている。いったいスマートさとはなんなのか。果たしてそれはよ…

にんじんと読む「職場の現象学」第一章~第三章

第一章 「たった一人のあなたの実感」から始まる現象学 電車が揺れて隣の人の足を踏んでしまったとき、私たちは自分でそれが「故意」かどうかわかっている。その理由をあえて言葉にすれば、わざとやるときにはわざとやってやるという思いが先に来るけれども…

にんじんと読む「哲学がわかる懐疑論」 第一章

第一章 懐疑論とは何か 「懐疑論」とは、疑念を抱くことである。何かについて懐疑的な態度をとるとは、それについて疑念を抱いているということである。つまり、問題の物事を信頼してよいものか不審に思っている。懐疑論を程度をわきまえさえすれば、多くの…

にんじんと読む「フッサールにおける価値と実践」 第六章:有限性、愛、人生の意味

第六章 有限性、愛、人生の意味 理性的に生きること、熟慮して選び取ること。そのように生きることがよく生きることと言い切ってしまってもよいのだろうか。こうした疑問が前章で残ったのだった。私たちがもしすべてをコントロールできるならきっとそうなの…

にんじんと読む「フッサールにおける価値と実践」 第五章:道徳的判断と絶対的当為

第五章 道徳的判断と絶対的当為 道徳的判断とは、ある行為をある状況のもとでなすべきであるとみなすことの表現である。一般的に、この「(作用が)表現される」ということには三つの区別がある。 表現される作用が意味付与作用(他の作用を確証させる)とし…

にんじんと読む「進化倫理学入門」

なぜ自然選択は、道徳的に考え(しばしば)道徳的に振舞うヒト科の生物にとって有利に働いたと考えられるのか? 道徳的に考え道徳的に振舞うヒトは、どのようにして自然選択から生み出されたのか? 第一章 自然選択と人間本性 すべての個体は平等につくられ…

現象学的還元とはなにか(メモ)

現象学的還元は、現象学においてその中核を担う方法論でありながら、その内実は漠然としていて捉えどころがない。それは一言でいえば「自然的態度から超越論的態度へ」であるが、単なる態度変更にとどまるならば「現象学者らしくがんばりましょう」と似たよ…

明証性の原理について(メモ)

現象学が方法的に基礎をおいているのは「明証性の原理」である。それは、明証性から汲み取ったのではない判断(その判断に対応する事象や事態をそれ自身としてわたしに現前させる経験から汲み取ったのではない判断)を決して行ってはならないし、まったくそ…

にんじんと読む「フッサールにおける価値と実践」

第一章 価値にかかわる経験 【第一章要約】 評価作用を非客観化作用とみなすと、客観主義的な直観と合わない。 → フッサールはもはや客観化/非客観化という作用の区別を放棄することにする。 フッサールは、対象にかかわる体験を、作用と呼ぶ。あらゆる作用…

これまでの哲学記事の要約(おためしAI)

ChatGPTを使って、にんじんブログを要約してもらいました。 かなり古い記事なのでChatGPTのほうが簡潔でわかりやすいです。 「欲望について」 「今、あなたは何か欲しいものがあって、それを手に入れようとしてこの文章を読んでいるんだよ。例えば、ポイント…

にんじんと読む「フッサールにおける超越論的現象学と世界経験の哲学」 第二章途中まで

はじめに 世界があり、事物があり、我々がいる。我々は世界のうちで行動し、様々なことを経験し、世界について種々の知識を持つ。(p.i) これほど自明なことにも、哲学は疑いのまなざしを向ける運命にある。デカルトが『省察』で行った懐疑論の爆撃は、私た…

にんじんと読む「パラダイム論を超えて」 パラダイム

パラダイム ある業績がパラダイムであるとは、次の2特徴を持つことである。 その業績が、他の競合する科学研究活動を捨てて集まる支持者の持続的グループを形成させるほど十分ユニークなものである。 その業績が、再構成された研究グループに解決すべきあら…

にんじんと読む「フッサールの志向性理論」

現象学は志向性の理論として認められている。その議論の多くは意識作用(ノエシス)と意識対象(ノエマ)の内在的な連関にかんする記述である。一方、こうも認められている。世界を意識に還元する観念論だとか、心のなかを覗けばなんでもわかる内在主義だと…

にんじんと読む「スピノザの方法」

第一章 方法の三つの形象Ⅰ ものを考えるにあたりわれわれは暗闇のなかをひとり手探りで進まなければならないのか。それともその暗闇のなかには道案内がいるのか。また道案内は可能か。 スピノザの方法 この問いに関わって、スピノザが「方法」について論じて…

にんじんと読む「感情の哲学入門講義」

なにかの本質とは、それがなくなってしまうとそのなにかのままではいられなくなるようなものの規定のことである。私たちは具体例をいくつも挙げ、それらの共通項を抽出することでこの本質について考えることができる。 私たちが「感情」というものを見る場面…

にんじんと読む「味わいの現象学 知覚経験のマルチモダリティ」 第二章

第二章 感覚のスペクトル 感覚様相相互の区別といったものの、果たして「五感」とはっきり言ってしまえるほど、正確に数えられているのだろうか。いったい何を規準にそんな風にいっているのか。グライスは四つの基準を挙げた。 知覚の対象がもつ色や音などの…

にんじんと読む「味わいの現象学 知覚経験のマルチモダリティ」 第一章

この本は「味わいこそ知覚経験のモデルである」と主張する。知覚経験というものは五感などが混ざり合っているマルチモーダルなものであり、この特徴を最もよく示しているのが『味わい』なのだ。 私たちは五感といって、まるで五つの感覚が独立して働いている…

(メモ)考えごと

「生命体はいろいろなものを分節化している。分節化はコトバ以前にも行われているし、言語的なものは非言語的なものをもとにしている。非言語的なところで分節化以前のものと出会っている。それはなにも分節化されていないので、区切りのない世界である」 そ…

(メモ)代表としての、ノエマ的意味

サイコロはすべての面を同時に見ることはできない。しかしたとえば「4」「5」「6」という面が見えていれば、それを「サイコロ」として捉えられる。この一側面を現出といい、それがサイコロという現出者を捕まえるのである。現出者は現出を必ず伴い、現出…

にんじんと読む「グライス 理性の哲学」 ④途中まで

④ 重要なのは、日常言語の実際の使用のうちで「意味」にかかわる事柄とそうでない事柄を区別することである。そこでグライスが作り上げたのが会話的推移の理論である。グライスが批判する論者たちは共通して『ある表現がある条件下ではふつう使われないとい…

にんじんと読む「グライス 理性の哲学」 ③

③ しかしグライスの概念分析という目的は、ある語に共通するものとしての「意味」を探し出そうとする一昔前の哲学に逆戻りするように思われる。日常言語学派においては「意味」と「使用」という区別をなくし、意味とは使用なのだというスローガンを掲げてや…

にんじんと読む「グライス 理性の哲学」 ②

② オースティンの哲学のやり方をみよう。 たとえばあなたが人をぶん殴ったらあなたに責任がある。だがもし伸びをしようとして腕を伸ばしたときにうっかりぶつけてしまったなら、普通に殴りつけるより責任は軽いだろう。つまり「行為の責任というものは自由な…

にんじんと読む「グライス 理性の哲学」 ①

① グライスは、オースティンと同様に日常言語に重きをおく方向へ進んだが、日常言語の使い方をつぶさに見るという方法の先にあるものはオースティンとは違っていた。オースティンは言葉の意味というものを考えるのを戒めたが、グライスの目的はまさに概念を…