にんじんブログ

にんじんの生活・勉強の記録です。

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哲学

にんじんと読む「味わいの現象学 知覚経験のマルチモダリティ」 第一章

この本は「味わいこそ知覚経験のモデルである」と主張する。知覚経験というものは五感などが混ざり合っているマルチモーダルなものであり、この特徴を最もよく示しているのが『味わい』なのだ。 私たちは五感といって、まるで五つの感覚が独立して働いている…

(メモ)考えごと

「生命体はいろいろなものを分節化している。分節化はコトバ以前にも行われているし、言語的なものは非言語的なものをもとにしている。非言語的なところで分節化以前のものと出会っている。それはなにも分節化されていないので、区切りのない世界である」 そ…

(メモ)代表としての、ノエマ的意味

サイコロはすべての面を同時に見ることはできない。しかしたとえば「4」「5」「6」という面が見えていれば、それを「サイコロ」として捉えられる。この一側面を現出といい、それがサイコロという現出者を捕まえるのである。現出者は現出を必ず伴い、現出…

にんじんと読む「グライス 理性の哲学」 ④途中まで

④ 重要なのは、日常言語の実際の使用のうちで「意味」にかかわる事柄とそうでない事柄を区別することである。そこでグライスが作り上げたのが会話的推移の理論である。グライスが批判する論者たちは共通して『ある表現がある条件下ではふつう使われないとい…

にんじんと読む「グライス 理性の哲学」 ③

③ しかしグライスの概念分析という目的は、ある語に共通するものとしての「意味」を探し出そうとする一昔前の哲学に逆戻りするように思われる。日常言語学派においては「意味」と「使用」という区別をなくし、意味とは使用なのだというスローガンを掲げてや…

にんじんと読む「グライス 理性の哲学」 ②

② オースティンの哲学のやり方をみよう。 たとえばあなたが人をぶん殴ったらあなたに責任がある。だがもし伸びをしようとして腕を伸ばしたときにうっかりぶつけてしまったなら、普通に殴りつけるより責任は軽いだろう。つまり「行為の責任というものは自由な…

にんじんと読む「グライス 理性の哲学」 ①

① グライスは、オースティンと同様に日常言語に重きをおく方向へ進んだが、日常言語の使い方をつぶさに見るという方法の先にあるものはオースティンとは違っていた。オースティンは言葉の意味というものを考えるのを戒めたが、グライスの目的はまさに概念を…

にんじんと読む「自我の源泉 近代的アイデンティティの形成」 ②

② 我々の目標は、私たちの持っている道徳的直観を明確化する存在論である。ここで明確化されるのは、正しさに関するどんな主張においても前提とされている背景であり、つまり、それがどうして正しいのかと問われればそこに立ち戻らざるを得ない。明らかにこ…

にんじんと読む「自我の源泉 近代的アイデンティティの形成」 ①

① 人間という主体であること、あるいは人格であること、あるいは自我であることがいかなることであるかについて、わたしたちが持っている近代的な考え方を「近代的アイデンティティ」と呼ぶ。そしてまず確認しておかなければならないことは、自我のあり方と…

にんじんと読む「フッサール現象学の倫理学的解釈」②

アリストテレス倫理学における徳とは、善い行為の本質的動機付けとなっている確固たつ性格、習性ないし性向である。徳は身に着けさえすれば苦も無く自動的に有徳な行為ができてしまうように思われてしまう(認知的要素も自由意志もない)かもしれないが、こ…

にんじんと読む「フッサール現象学の倫理学的解釈」①

徳倫理学の様々なタイプ 徳という概念が過小評価されてきたのは、「徳」という言葉の今日的用法に求められると考えられている。徳という言葉は、今日的用法においては、人間の長所とりわけ道徳的な善さを指す。しかし本来は、「あらゆる事物がそれぞれの目的…

にんじんと読む「フッサールの現象学(ダン・ザハヴィ)」🥕 ②志向性という概念

志向性という概念 志向性というのは対象と作用との根本的な結びつきのことであり、「意識は~についての意識である」という風な標語もある。だがそれは一体どのような結びつきなのか。 最もシンプルに思いつかれるのは客観主義的なものである。対象に向けら…

にんじんと読む「フッサールの現象学(ダン・ザハヴィ)」🥕 ①フッサールの心理主義批判

フッサールの心理主義批判 『知覚すること、信じること、判断すること、認識すること、これらはいずれも心理的現象であるから、これらの構造を調べるには心理学を用いなければならない。つまり論理学というのは結局心理学の一分野であり、論理法則は心理学的…

にんじんと読む「経験の構造」🥕 第二章

第二章 真理と実在 現出を手持ちに説明していこうとするとき、「あれはたしかにヘビだ」というためには、ありとあらゆる側面から完全に「ヘビである」ということがわかればよいということになるが、””ありとあらゆる側面””などそれこそ無限にあるわけで一生…

にんじんと読む「経験の構造」🥕 第一章

第一章 能動的認識行為の現象学 なにかを観察する。森があって、道があって、途中にロープが落ちている。……と思い近づいてみると、ロープはヘビであった。ここでいくつかのことを確認しておこう。 同じものでも、それを見る視点が変われば見え方・現れ方が変…

にんじんと読む「フッサール 起源への哲学」 事象そのものへ

事象そのものへ フッサールとデカルトは超越論的動機(最終的な源泉・地盤を突き止めようとする)を共有する。だがデカルトが「絶対に疑い得ない確実なこと」を求めたのに対し、フッサールは「認識の起源」を求めた。認識の起源とは、私たちがどう考えるにせ…

にんじんと読む「知への恐れ」🥕 途中まで

はじめに ネイティブアメリカン部族と考古学者がぶつかったことがある。考古学者は彼らの起源について「一万年前にベーリング海峡を渡ってはじめてアジアからアメリカ大陸に来たのだ」と説明したが、部族はこれに反発して言った。「いや、我らの祖先は精霊の…

(メモ)現象学の主要目的と構造

現象学の主要目的とは、学問の根拠づけであり、とりわけ論理学の超越論的根拠づけである。 意識の自然―現象学の可能性を拓く この目的に沿って現象学の構造を記述するにあたっては、ふつう、いくらかの概念を明確に規定しておくのが望ましい。しかし、それが…

現象学・志向性について

心的現象/物的現象の区別は「心」「物」という二つの実在に関わる区別ではない。それは意識の「作用」とそれが作用する「対象」との区別なのだ。 心的現象は「作用」なのだから、必ず何かに「作用」する。では「作用」自体は対象となりうるのか。もちろん、…

現象学の(不完全な)まとめ旅

スタート地点(学問の基礎→直接経験という起源) 直接経験=志向的体験 余り スタート地点(学問の基礎→直接経験という起源) フッサールのそもそもの目的は「諸学問の基礎」を打ち立てることだった。本人も自らを『新デカルト主義』というほどに、これは哲…

【二回目】にんじんと読む「フッサール現象学の生成」🥕

若きフッサールの探究の目が「意識の志向性」に向いたきっかけはいくつか考えられるが三点取り上げるなら、 (1)数学者ヴァイアーシュトラースとクローネッカー (2)心理学者ブレンターノ (3)意味と対象との区別ならびにイデア性の承認 ということに…

にんじんと読む「現代哲学の真理論」🥕 ①~③

① 真理論が共有してきた前提は、それを『特定の文化や社会を超えた確固不動の何かに支えられた観念とみなす』ということであり、これはそれを否定するという意味で相対主義者や懐疑主義者も同様であった。ところが二十世紀に入り、このような前提そのものが…

にんじんと読む「フッサール現象学の生成」🥕 序~第二章

序 フッサールにはじまる現象学は、テキストをきちんと読めばわかるもので、現代的意義を有していることが理解されるというのに、歴史的にはいつも批判ばかりされてきたしその批判を前提として議論を進めているような例も数多い。本書(「フッサール現象学の…

にんじんと読む「哲学へ ヤスパースとともに」🥕

万人の哲学と哲学者の哲学 人は誰しも哲学する。「哲学」というものを一義的に説明できないとしても、「哲学する」という人間のはたらきは万人に共通するものなのである。哲学とはphilosphy、つまりギリシャ語由来の””知を愛する””という言葉をもとにする。…

にんじんと読む「フッサール現象学の理路」🥕 第一章のみ

第一章 現象学の理念と方法 根本的に新たな始まりを求めるデカルトの指導理念は、デカルトにおいては主観へと転じられた哲学において達成されなければならない。なぜか。第一に、哲学の全面改革は個人の中に生じるしかないから。もし共同研究をしているにし…

にんじんと読む「はじめてのスピノザ」🥕

コナトゥスと欲望 おのおのの物が自己の有に固執しようと努める努力はその物の現実的本質にほかならない。 はじめてのスピノザ 自由へのエチカ (講談社現代新書) エチカ、第三部定理七 ここでいう「努力」をコナトゥスconatusといい、つまり「自分の存在を維…

(メモ)龍樹、空、言語批判

釈迦が「我っていうのは五蘊から成るんだよ」と言ったので、五蘊について熱心に研究し始めたのが、小乗仏教といわれる人たちだった。あんまり専門的になりすぎ、学問的になりすぎてしまい、やがて大乗仏教といわれる人たちに批判を食らう。それが『般若心経…

(メモ)輪廻思想の三型

インダス文明の栄えたのち、アーリア人たちが進出してきた。そこでできたのが『リグ・ヴェーダ』などの「聖典」である。ここに生じた階層制度に現代のカースト制の起源を見ることができるそうだが、仏教の基礎にある「輪廻転生」の考え方もアーリア人との混…

(メモ)梵我一如、無我

西洋と東洋の思想の違いは「光あれ」で分かたれるという(新編 東洋的な見方 (岩波文庫))。前者は「光あれ」から、後者は光が射す前も射程に置く。理論theoryのもととなったテオリアという言葉は、見るという動詞の名詞形であるが、東洋は真理探究のために…

にんじんと読む「〈つまずき〉のなかの哲学」🥕 第二章

第二章 ヴィトゲンシュタインの人生論 ヴィトゲンシュタインは〈謎〉を、次の形式を持つものであると言った。 私が答えとして受け入れたくなるようなことをしなさい。ただし、私自身はそれがどのようなものであるか知らないが。 おとぎ話に出てくる王様がお…