にんじんブログ

にんじんの生活・勉強の記録です。

MENU にんじんコンテンツを一望しよう!「3CS」

哲学

にんじんと読む「〈つまずき〉のなかの哲学」🥕 第一章

第一章 つまずきとしての〈謎〉を考える 哲学は、「幸福とは何か」など色々な問いをつづけてきたが、どうにもこの問いというのは、ちょっとふつうの問いと性質の違うものなのかもしれない。それは〈謎〉である。たとえばそれは、「ダンプカーがカーブで落と…

にんじんと読む「ささやかながら、徳について(アンドレ・コント=スポンヴィル)」🥕 1.礼儀正しさ

礼儀正しさ 礼儀正しさは、すべての徳の源である。だが徳の源であるからといって、それが徳であるとは限らない。このことを説明するために、個人の成長段階を追ってみよう。新生児には徳行は見られないしそんなことが問題になることはない。乳児でも変わらず…

にんじんと読む「ウィトゲンシュタインとウィリアム・ジェイムズ(ラッセル・B・グッドマン)」🥕 第三章

第二章 ウィトゲンシュタインと『宗教的経験の諸相』 略 第三章 ウィトゲンシュタインと『心理学原理』 ウィトゲンシュタインはジェイムズのことを幾度となく言及し、最晩年に至るまで彼を批判し続けている。だがだからといって、彼から何も学ばなかったわけ…

にんじんと読む「ウィトゲンシュタインとウィリアム・ジェイムズ(ラッセル・B・グッドマン)」🥕 第一章

第一章 プラグマティックな経験の諸相 ウィトゲンシュタインは、その生涯の最後の年にこう書いた――「つまり私は、まるでプラグマティズムのように聞こえることを言おうとしている。ここで私は、ある種の世界観(Weltanschauung)によって妨げられているのだ…

にんじんと読む「現象学ことはじめ」🥕 第一章 第二章

第一章 数えること いったい「なぜ」「何が」「どうなって」いるのか。事象の根拠、本質、構造。それは現実問題「何が必要か」「何が役に立つのか」にアプローチすることでもある。 何かを見ているということと、見えている何かは区別されなければならない。…

にんじんと読む「道徳の自然誌(マイケル・トマセロ)」🥕

同情と公平。これは協力における二つの形「利他的な援助」と「相利共生型の協同」の二つの違いを説明するものとされる。道徳性と呼ばれる協力形態においても無論である。そして同情とは道徳性において基礎的なものであり、血縁選択に基づく子への親の世話が…

にんじんと読む「徳倫理学について(ハーストハウス)」🥕 徳であるための客観的基準

徳であるための客観的基準 ある特定の性格特性が徳であるといえるための客観的基準は存在するのだろうか。徳倫理学を説明するためには「徳とは……」という、……の部分を補完しなければならない。それは義務論が、何を正しいルールとするかを決めなければならな…

にんじんと読む「徳倫理学について(ハーストハウス)」🥕 義務論、功利主義、徳倫理学

徳倫理学の位置づけ 行為功利主義者が「正しい行為」について記述するならば、《行為は、それが最善の結果をもたらす時、またその場合に限って、正しい》(p.39)となるだろう。功利主義者は正しい行為と最善の結果という二概念を結び付ける。そして次に《最善…

にんじんと読む「オートポイエーシス論入門(山下和也)」🥕 第二章② ここまで

オートポイエーシス・システムは、そのオートポイエーシスが維持できている範囲でネットワークに属する産出プロセスを変化させることができる。それに応じて構成素や構造も変化する。たとえばオタマジャクシがカエルになるようなもので、たとえ変化したとし…

にんじんと読む「オートポイエーシス論入門(山下和也)」🥕 第二章①

第二章 概念整理 「環境」 ・・・ オートポイエーシス・システムは自分でないあらゆるものを自分自身から切り離せるが、この時、システムから切りはなされたシステムでない一切のもの。*1 「相互浸透」 ・・・ システムの構造はその環境を巻き込んで成立して…

にんじんと読む「オートポイエーシス論入門(山下和也)」🥕 第一章

産出されたものがあれば、必ずそれを産出した働きがある オートポイエーシス論入門 第一章 定義 オートポイエーシス・システムとは、産出物による作動基礎づけ関係によって連鎖する産出プロセスのネットワーク状の自己完結的な閉域である。閉域形成に参与す…

にんじんと読む「ケアの倫理(ファビエンヌ・ブルジューヌ)」🥕 第一章のみ

以前、別の記事でまとめたように、『依存的な理性的動物: ヒトにはなぜ徳が必要か (叢書・ウニベルシタス)』において主張されていたことは、ヒト以外も含めて動物一般はその生涯において他者からのケアを必要とする存在だということであった。しかしこれまで…

にんじんと読む「心の進化を解明する(ダニエル・C・デネット)」🥕 第一部

第一部 私たちの世界をさかさまにする 心はいかにして存在するに至ったのか? そして、心がこんな問いを発し、それに答えるということはいかにして可能であるのか? 手短な答えを言えば、進化の産物としての心が数々の思考道具を創り出し、やがて心は、それ…

(もう一度!)にんじんと読む「現代認識論」 第一章+第二章

第一章 知識の標準分析 知っているとはどういうことか。標準的には、知識とは、正当化された真なる信念である(K=JTB, Knowledge= Justified True Belief)。自分がリストラされないのに、「自分がリストラされることを知っている」と主張するのはどうかして…

にんじんと読む「心の進化を解明する(ダニエル・C・デネット)」🥕 第四章

第四章 二つの奇妙な推理の逆転 ダーウィンがもたらしたものは神≒人間→その他というような創造理論(トリクル・ダウン理論)から、バクテリアなどの単純な生物から動物へと至る創造理論(バブル・アップ理論)への逆転であった。これを否定したい者たちは、…

にんじんと読む「心の進化を解明する(ダニエル・C・デネット)」🥕 第二章+第三章

第二章 バクテリアとバッハの間に 最初期の生命形態でさえ、それは既に複雑で秀逸きわまる自己維持システムであった―――と書くと、ちょっと妙な気がするかもしれない。 問われているのは非生命から生命への道筋、つまり、 可能な出来事がいかに配列されれば、…

にんじんと読む「笑いの哲学(木村覚)」🥕 ④

④ 機知を用いる笑いをチャップリンは狭義のユーモアと称した。では広義とはなにか。それは、「人間の生存意識」「健全な精神」に関わり、「均衡感覚」さえ私たちに与えるものだ。テレビに出てくる多くのお笑い芸人は日々、自らの機知を遺憾なく発揮している…

にんじんと読む「笑いの哲学(木村覚)」🥕 ③

carrot-lanthanum0812.hatenablog.com ③ さて、ベルクソンのいった笑いは「枠」を用いた笑いであった。だがよく注意しなければならないのは、 その烙印がおもしろい その烙印をはめられることがおもしろい のふたつがあるということだ。いわゆるあるあるネタ…

にんじんと読む「笑いの哲学(木村覚)」🥕 ②

carrot-lanthanum0812.hatenablog.com ② だが、考えてみれば笑われるのがいつも嫌なわけではない。芸人でなくとも、笑ってほしいときがある。たとえば朝ぼうっとしているときに冷蔵庫にリモコンを入れてしまったら「この前ぼけっとしててさぁ」などと言いた…

にんじんと読む「笑いの哲学(木村覚)」🥕 ①

① トマス・ホッブスは『リヴァイアサン』において、「とつぜんの得意は、笑いと呼ばれる顔のゆがみをおこさせる情念」だといい、「他人の欠陥についておおいに笑うことは、小心のしるし」であると言った。階段で転んだ人を見てあなたが笑うのは、「馬鹿だな…

にんじんと読む「心の進化を解明する(ダニエル・C・デネット)」🥕 第一章

第一章 序論 心はいかにして存在するに至ったのか? そして、心がこんな問いを発し、それに答えるということはいかにして可能であるのか? 手短な答えを言えば、進化の産物としての心が数々の思考道具を創り出し、やがて心は、それら思考道具を用いて、心が…

にんじんと読む「私はどうして私なのか(大庭健)」🥕 ②

② 自分もまた世界の中のひとつの事物である、と理解するためには何が必要なのか。鏡像は視覚に限定されていたので、ここからはその限定をやめてみよう。もっとも肝心なことは「他人にも世界が現れている」ということと「他人にどう世界が現れているか」とい…

にんじんと読む「私はどうして私なのか(大庭健)」🥕 ①

① 「存在」と「意識」は違う。背後霊を意識しているからといって、背後霊が本当にいるとは限らない。しかし、「私」に関する限り、このことは一致する。つまり、私が存在するというのは私が意識されていることであり、私が意識されているというのは私が存在…

にんじんと読む「ニーチェ入門(竹田青嗣)」🥕 第一章

第一章 はじめのニーチェ まず論壇上の処女作と呼べる『悲劇の誕生』から。(悲劇の誕生 (岩波文庫)) その中身は①悲劇論、②音楽芸術論、③主知主義批判の三つから成る。彼は悲劇の概念を考え直すため、ギリシャ文化をたどる。その変遷をみるために、ニーチェ…

にんじんと読む「なぜ今、仏教なのか Why Buddhism Is True(ロバート・ライト)」🥕 仏教の真実一覧

仏教の真実一覧 「真実」としてここにあげたものすべてが仏教の教義とはかぎらない。むしろ仏教思想から得られる教訓や示唆に近いものがある。しかしいずれも、神経科学や心理学をはじめとする現代科学、なかでも人類の心が自然選択によってどのように形づく…

にんじんと読む「哲学がはじまるとき(斎藤慶典)」🥕

第一部 思考 第二部 世界(途中まで) 第一部 思考 思考とは反復であり、反復の中核をなすのは偏差(ずれ)である。 哲学がはじまるとき―思考は何/どこに向かうのか (ちくま新書) 反復とはだんだん付け加わっていくということで、偏差というのはいわば「世界…

にんじんと読む「生命と自由(斎藤慶典)」🥕 第三章

第三章 間主観性と他者 超越論的領野とは、すべてがそこにおいて姿を現わす場所である。なにかが存在するためには現出が必要であるがその場こそが超越論的領野であり、ここが最終的な地点である。これは個人の心というレベルの話ではない。 しかしフッサール…

にんじんと読む「生命と自由(斎藤慶典)」🥕 第一章③

基づけ関係による階層性 基づけ関係は「こころ」と「もの」に対してだけではなく、広く成立する。たとえば「植物」と「物質」もそうである。たとえば二酸化炭素から酸素を作り出す物質変換過程は、物理的秩序だけからは説明できない。しかし一方で、植物的秩…

にんじんと読む「生命と自由(斎藤慶典)」🥕 第一章②

デイヴィッドソンの非法則的一元論 デイヴィッドソンは、こころとものの関係について「自由」を得る方法はないかと考えていた。これまで行われてきた多くの議論は以下の三つの原理からくみ上げられたものであると指摘する。 (因果的相互作用の原理)少なく…

にんじんと読む「生命と自由(斎藤慶典)」🥕 第一章①

今回はこの本です。 生命と自由: 現象学、生命科学、そして形而上学 生命と自由: 現象学、生命科学、そして形而上学 作者:斎藤 慶典 発売日: 2014/06/24 メディア: 単行本 何ものかに対して何ものかが何ものかとして現れること、即ち現象。 これを「現実」を…