にんじんブログ

にんじんの生活・勉強の記録です。

MENU にんじんコンテンツを一望しよう!「3CS」

哲学

にんじんと読む「実在論と知識の自然化(植原亮)」🥕 第二章

第二章 理論的問題 前章で示した自然種の特徴づけは、それぞれの自然種ごとに程度差を許す。たとえばトラという生物種にあらわれる諸性質は、その種に属するすべての個体に常に出現するわけではない。性質のまとまりとしての安定性には強弱が見られるのであ…

にんじんと読む「実在論と知識の自然化(植原亮)」🥕 第一章+第二章

第一章 自然種論の系譜 あなたの家ではポチを飼っている。隣の家ではタローを飼っている。なるほどこれは間違いないと誰もが納得するのだが、少々意見の割れることがある――――彼らのことを一括りに「犬」と呼んでもいいのだろうか、と。 われわれがポチやタロ…

近代哲学の根本問題「主観/客観」

近代哲学の根本問題 カントの解決 【認識論的主観主義という要請】 【カント『純粋理性批判』を読む】 【これまでのまとめ】 フッサールの解決 【現象学入門】 【現象学的還元という方法】 【フッサール現象学の展開】 【時間意識の現象学】 ハイデガーの解…

古代懐疑主義について

認識論は「確かなことなどあるのか」について答えようとする。 これについて懐疑的に答えたのは古代懐疑主義者たちだった。古代懐疑主義はエリスのピュロン(紀元前360年頃 - 紀元前270年頃)により始まり、紀元後200年のセクストス・エンペイリコスの著作『…

最初の哲学者・タレス

最初の哲学者・タレス アリストテレスが書き残したところによれば、人類が最初に哲学したのはいまから2600年ほど前、紀元前6世紀頃の小アジアのこと。小アジアというのはイタリアを東に、ギリシャを通過して、さらに東。黒海より南で、エジプトの丁度北付近…

にんじんと読む「言葉を使う動物たち(エヴァ・メイヤー)」🥕

新刊です!(2020.5.8初版) 記念撮影(南極にて) 私は哲学を学んでいたときに、伝統的な西洋哲学には動物がほぼ完全に不在であることに驚きました。思考は、人間のための人間についての活動として認識されてきたのです。けれども、今はそれが変化しつつあ…

解釈学について

古典的解釈学 ジャン・グロンダン『解釈学』から ディルタイ解釈学 ※古代の解釈学 古典的解釈学 19世紀、ベックやシュライエルマッハーによって体系化されていた解釈学は「文献」を主題としたものだった。それは解釈学という言葉のあらわす通り、《テクスト…

研究の途中記録

倫理学:幸福とはなにか。正しい行為とは。 この成果についてはある程度記事にまとめている。次は、ヒトと動物の連続性を考慮しながら、言語による接続を考える。だとすると、ヒト以外の動物たちもあるレベルにおける「言語」を用いることができる、と考えな…

「どのように生きるべきか」の理論

「生まれてこないほうがよかった」のか? アンチ死亡促進主義的反出生主義の論証戦略 存在<非存在? 反出生主義へ 生きることへの疑念 生きることの意味 第一の問題 第二の問題 生きることの目的 → エウダイモニアへ その他 「意味」の意味について(過去記…

新アリストテレス主義は利己的か?

新アリストテレス主義は利己的か? エウダイモニアを得るためには有徳な行為者を目指さなければならない。しかし、そもそも道徳というのは他者の利益や関心にかかわるものであって、幸福になりたいからといって有徳を目指すというのはなんだかおかしい気がす…

徳倫理学に「絶対的禁止」はないか?

徳倫理学に「絶対的禁止」はないか? この問いに関する答えは「ある」になる。徳倫理学は絶対的禁止を認めていないように見えるがそれは誤解にすぎない。そしてその誤解は徳倫理学の支持者によっても強められているのである。まずはそのことを見よう。 ―————…

にんじんと一緒に「徳」について考えよう! ~序~

倫理学の主流な学派には「功利主義」「義務論」「徳倫理学」がある。 正しい行為 正しい行為 正しい行為とは、もし有徳な行為者が当該状況にあるならなすであろう、有徳な人らしい(つまり、その人柄にふさわしい)行為である。 有徳な行為者とは、ある性格…

エウダイモニア主義

エウダイモニア主義 エウダイモニア主義とは、徳と幸福に関する考え方の一つである。 エウダイモニアとは古代ギリシア語で、一般に幸福と訳されるが、よく生きることと同じ意味をもつ。それゆえエウダイモニアは特定の場面での感覚や気分ではなく(短期的幸…

新アリストテレス主義的な徳倫理学に関するいくつかのメモ

新アリストテレス主義 幸福・エウダイモニア 正しい行為 割り切れなさ 行為の指針と評価 新アリストテレス主義 徳倫理学には徳をどのように考えるかでいくつかの種類があり、新アリストテレス主義はそのうちのひとつである。それが「新」であるのはアリスト…

(二回目)にんじんと読む「徳は知なり(ジュリア・アナス)」🥕 第六章まで

徳、性格、傾向性 《徳とはある種の傾向性であり、ある一定のしかたで推論し、感じ、行為する傾向性である》(p329)。徳とはその人自身に備わる特性であり、(1)一貫して存続するpersisting(2)当てにできるreliable(3)性格を表すcharacteristic。 …

にんじんと読む「徳は知なり(ジュリア・アナス)」🥕 第六章まで

第一章 序論 本書の目的は【徳について説明すること】である。その必要はあるのだろうか。 徳とはなにかについての共通理解を取りだすことで、徳を中心におく倫理学理論のあいだで起こる論争がはっきりわかるようになり、見渡しがよくなる。 徳を発揮するた…

メモ:ファッションのこと

ファッションとはなにか 「衣服を着るとはどのような意味をもった実践なのか?」という問いから始めるのがわかりやすいと思う。実践はいつもわれわれのなんらかの了解を表現している。たとえば寒い日は長袖にするだろうし、コートも着るだろう。かといって、…

にんじんと読む「目的論(宮本和吉:岩波講座哲学昭和7年)」🥕

序論 目的論は、ものやその生成を目的概念を立ててみる見方である。逆に目的概念を立てずに機械的な因果関係によって説明するのを機械論と呼ぶ。生成とはものがその状態を変じて他の状態となることをいう。哲学史において〈存在〉と〈生成〉の前者を否定しす…

にんじんと考える「真理とはなにか」🥕

真であるとはなんだろうか。なにが真理の規準なのだろうか。 1+1=2は真だが、7は偶数であるが真ではない。この二つの言明はいったい何が違うのだろうか。前者がもっていて、後者がもっていないものとはなんなのだろう。 真理とはなにか 真理の担い手 …

哲学者・岩崎武雄さんのコト。

データを集める 岩崎武雄さんの文章 岩崎武雄著作集 レビュー「西洋哲学史」 おまけ 正しく考えるために (講談社現代新書) 作者: 岩崎武雄 出版社/メーカー: 講談社 発売日: 1972/07/28 メディア: 新書 購入: 17人 クリック: 112回 この商品を含むブログ (8…

にんじんと読む「道徳の哲学者たち」🥕 第一章~第三章

そこで私は古代ギリシア人から始める。なぜそのように遠いところに出発点を求めるのか。答えは簡単で、プラトンとアリストテレスの仕事はまだ乗り越えられていないからである。 道徳の哲学者たち―倫理学入門 プラトンとアリストテレス以前 ノモスーピュシス …

エピクロスの倫理思想

今までのいくつかの記事をまとめました。 エピクロスの倫理思想 倫理思想に対する反論あるいは疑問 アタラクシアと幸福 動的快楽と静的快楽 エピクロスの勉強 エピクロスの思想 エピクロスの思想 規準論 先取観念 解釈学的な「了解」との差異 精神の表象作成…

アリストテレスの生涯について

哲学者・アリストテレス アリストテレスは紀元前384年にトラキア地方のスタゲイラスで生まれた。 歴史について調べると必ずといっていいほど知らない地名が出てくる。日本でないからなおさらである。トラキア地方というのは、現在でいうバルカン半島の南東部…

【哲学】「もの」を「見る」「私」について

物自体ー表象ー意識作用 私たちはものを見る。どのようにしてか。 直観的には次のように考えられている。 モノがある。それがフニャフニャと何らかの刺激を送って来る。心に思い浮かぶ。あっ、見えた。つまり「もの」ー「見る」-「私」である。刺激が来ただ…

問いの構造「もの」と「こと」

何事かを問うということがどんな形式的構造をとるのか? ハイデガーによれば、問いとは探求である。探求は探求せられるものによって方向を決められる→すべての問いは「問われているもの」を持っている。たとえば【美】について問うとき、この問いは【美しい…

にんじんと読む「存在と共同(轟孝夫)第一章」🥕 第二節まで

要約というか、にんじんが理解する限り、という内容です。 にんじんと読むシリーズでは一貫して、そうです。 第一章 「存在の問い」の導入 現象学から「存在の問い」へ 現象学においては、意識は器のようなものではない。そこに何かが盛り付けられているので…

にんじんと読む「哲学的思考(西研)」🥕

第五章まで。 序章 現代思想の〈真理〉批判をめぐって 第一章 ”学問の基礎づけ”とは何か 〈普遍学〉の構想 ”学問の理念”と基礎づけ 二つの方法 ”学問の基礎づけ”とは何を意味するか 第二章 〈生〉にとって学問とは何か 人間の全生存に意味はあるか 自然科学…

にんじんと読む「和辻哲郎の解釈学的倫理学(飯嶋裕治)」 序論+第一章

序論 和辻哲郎の倫理学理論の全体像の解明のために 第一章 解釈学的方法と「日本語で哲学する」こと 第一節 倫理学の方法としての解釈学的方法 これまでのまとめ 序章 第一章第一節 第二節 「日本語で哲学する」という問題構成をめぐって 表現主義 序論 和辻…

「正しさ」と自由

正しさの検討 「いまわたしの目に映っているものは、本当にそれ自体を捉えたもの」なのでしょうか。哲学者たちはこの問題に取り組んできました。デカルトはこの問題に〈神〉を持ち出し、カントは「そんな問いは人間の認識の限界を超えているんだよ」とある意…

「応じ方」としての人間関係の不自由~人間関係についてTHINKする

必要悪なのか? 人間関係について、わたしたちの困惑は相手の「応じる」その仕方にあることは一応納得されることだろうと思います。以前の記事では、「思うままになる」人間関係について考えました。これは言葉通りの意味で応じ方が思う通りになるということ…