にんじんブログ

生活の記録です。

≪第2回:にんじんつれづれ≫じこけいはつだよ ぜんいんしゅうごう

自己啓発

 世の中にはいろいろ本があります。よくわからないものから、ものすごく重要なものまで。よく言われることですが、本は淘汰されるので、いわゆる古典は良いものが多いのです。次の世代に遺す価値があると言われ続けてきたものだから「超時代的」側面をもつ、それが古典です。要は時代とか社会状況とかに依らないある種の正しさがそこにはあるのです。

 大抵の本は古典の焼き直しか、古典の一部分を抜き出し解説したものです。そう思うと、この世のたくさんの本が、一気に少なくなったような気がしませんか。

 今回はそういう本の話です。

 ほぼ全部書いてある『菜根譚

菜根譚 (岩波文庫)

菜根譚 (岩波文庫)

 

  今まで見てきた本の中では、菜根譚が一番でした。最近流行りのミニマリズムとか断捨離とか、大概のことは書いてます。

後集53項

多蔵者厚亡。故知富不如貧之無慮。高歩者疾顛。故知貴不如賤之常安。


多く蔵する者は厚く亡う、故に富は貧の慮なきに如かざるを知る。

高く歩む者は疾く顚る、故に貴は賤の常に安きに如かざるを知る。


財産の多い者は、莫大な損をしやすい。だから金持ちよりは貧乏人の方が、失う心配もなくてよいことがわかる。
また、地位の高い者は、つまずき倒れやすい。だから身分の高い者よりは身分のない庶民の方が、
(つまずく心配もなく)、いつも安心していられてよいことがわかる。

  ショーペンハウアの「幸福について」も良い本です。大雑把にいって、幸福というのは世の中にある様々な厄介ごとを避けることができたことであって何を得ることではない、というようなことが書いていますが、

前集50項
福莫福於少事、過莫過於多心。
唯苦事者、方知少事之為福、
唯平心者、始知多心之為過。

福(さいわい)は事少なきより福(ふく)なるはなく、禍(わざわい)は心多きより禍(か)なるはなし。
唯(た)だ事に苦しむ者は、方(はじ)めて事少なきの福たるを知る。
唯(た)だ心を平かにする者は、始めて心多きの禍(わざわい)たるを知る。

 

人生における幸いは、何よりもできごとが少ないことほど幸いなことはないし、災いは、何よりも気が多いことほど災いなことはない。ただ、平生、できごとの多いのに苦労しているものだけが、はじめて、無事平穏なのが幸いであることを悟り、また、平素、心を平静にするように心がけている者だけが、はじめて、気の多いのが災いのもとであることを悟っている。

  と書いています。哲学者のパスカルはパンセの中で、

人間の不幸はすべてただ一つのこと、すなわち、部屋の中に静かにとどまっていられないことに由来する のだということである。

 と書いています。色んなものがぎゅっと詰まっているのが菜根譚で、これがにんじんのお気に入りです。「幸福について」はこれを詳述したものとして見ることもできます。

 もちろんそもそも「幸福について」は意思と表象としての世界の補論なので、一概にそう言い切れません。

ショーペンハウアーパイセンのすごさ

  • 『意思と表象としての世界』の一冊にすべてを込めたこと。

 並大抵のことではないです。「幸福について」であろうが、「自殺について」であろうが『意思と表象としての世界』の補論なのです。毎日おびただしい数の本が出版されていますが、一冊に込めたような本はなかなか見当たりません。すごいぜショーペンハウアー

 『意思と表象としての世界』はカントの著作を読み理解している人を対象としており、よほど敷居が高いのですが、古くから脈々と受け継がれてきている考えを基礎にしてうえでオリジナリティのあることを書いているので、いたしかたなしなのです。

 アインシュタイン相対性理論を生み出したのは「ニュートンはほんまにアレやなあ ほんまにアレやなあ」と思っていたからではなく、ニュートン古典力学を信奉してたからこそです。古典力学に合わないことを発見してしまったのです。

「古典はええぞ よっとかめ」

 そういうお話をしてきました。(多分)聖人たちの本を根にした木の中に、名著と呼ばれる本は入っているのです。そして「ここは違うのでは?」と指摘が入り、まったく新たな本が書かれていく……。

 ♪L( ^ω^ )┘└( ^ω^ )」♪ テンションが上がってきた。

 新刊よりも「古刊」!

 

自殺について 他四篇 (岩波文庫)

自殺について 他四篇 (岩波文庫)

 

 

読書について 他二篇 (岩波文庫)

読書について 他二篇 (岩波文庫)

 

 

追記

 

みたいなことを言ってたんですが、

天理路上甚寛、稍遊心、胸中便覚広大宏朗。
人欲路上甚窄、纔寄迹、眼前倶是荊棘泥塗。

 

天理の路上は甚(はなは)だ寛(ひろ)く、稍(やや)心を遊ばせば、胸中は便(すなわ)ち広大宏朗(こうだいこうろう)なるを覚(おぼ)ゆ。
人欲の路上は甚(はなは)だ窄(せま)く、纔(わず)かに迹(あと)を寄すれば、眼前は倶(とも)に是れ荊棘泥塗(けいきょくでいと)なり。

 

真理の大道は大変広いもので、少しこの道に心を遊ばせてみると、気持も広大になり、ほがらかになるのを感じる。(これに反して)、私欲の間道は大変せま苦しいもので、一歩迷いこんだがさいご、どこもかしこも、いばらやぬかるみばかりである。

  まったくその通りですね。にんじんが考えることなどこのように先取りされておるのです。

 

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