にんじんブログ

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けっこうひどい文章

 Twitterでも相当ぼやいております。本を読んでいるとどうも気になって仕方がないのが、なんだかクドイ文章です。

 コトコト書いていることももちろんひとつ言いたいことでもあることなのですが、「人が最低限理解せねばならないのは××ということである」で何故済まなかったのかということであることを肝に銘じなければならない、ということですね。読みにくいでしょう。

 

作文の論理―『わかる文章』の仕組み

作文の論理―『わかる文章』の仕組み

 

 

 出版社の本

 まず確認しておきます。この世のありとあらゆる文章よ見直せ、と言っているわけではありません。

 にんじんがいちいち注文をつけるのは「出版社から出ている」からです。著者以外の人間の目が入り「よしこれなら出せるな」となっているはずの本に、あからさまにおかしい文がいくつも見られるというのは、やはりその文章内容にも不信感が生まれるでしょう。しかもその本の著者はかなり偉い先生でした。アメリカの大学を卒業されて大学教授になっている方なのに、疑問に思わなかったのでしょうか。

 

読書について 他二篇 (岩波文庫)

読書について 他二篇 (岩波文庫)

 

 文章のくせ

 とはいえ、人のことは言っていられません。

 にんじんが何も考えずに文章をだらだらと書いて、あとで読み直すと、「ない」だらけになっています。否定文ばかりなのです。たとえばこの「否定文ばかりなのです」というひとつをとってみても、「肯定文がないのです」と書くことがあります。

 また冒頭で「こと」だらけに文句を言いましたが、にんじんもよくやってしまいます。「動くということはない」とか。そこは「動かない」でいいんです。もちろん、評論とか、主張文の話です。小説とかなら、いろいろ事情もあるでしょう。

 あとよくやってしまうのが「と思います」ですね。これは本当に多いと思います。これはブログなので別にいいですが、真面目になにかを主張する文章を書いてるときに「動くということはないと思います」なんて書くわけにはいきません。「動かない」でいいんです。

 特に「と思います」と書くと主張が少し和らぐというか、トゲがとれる感じがします。だからやってしまうのでしょう。「少し」とかもそうですね。「ちょっと」とか。

 「動くということはちょっとないと思います」みたいなことです。

 「動くということはちょっとないだろうと思います」柔らかいですね。

 こんなことを本で書いてる人がいるのかという話ですが、たまにあります。「動かない」と書いてくれれば一発で終わるのですが、そうはしません。やはり文字数でしょうか。

読書感想文

 以上のテクニックを使うと、読書感想文は気楽なものです。

 ハリーポッターにしても、ハリーがなにかいろいろあって戦ったということを知っていれば「自分はこうこうこういう人間です。でも主人公のハリーは勇気があります。ぼくもこんな勇気をもてる人間になりたい」と書けばよいのです。そしてこれを徹底的に引き延ばす。勇気のないエピソードを若干長く書いて、ハリーの「勇気ありますエピソード」でもひとつ引用すれば五枚ぐらいは軽くクリアできます。

 そして可能な限り徹底的にありとあらゆる手段を使って、一文を回りくどく書きます。ここで「こと」「ない」「少し」「思います」「だろう」が役に立たないということはちょっとないだろうと思います

「最後の行まで埋めなさい」

 高校ぐらいからでしょうか。なにかイベントがあって、感想を書く紙が渡されると、「キッチリ最後の行まで埋めて提出すること」と指示されるようになりました。さらに大学に入ると「考察」なるものまで書かされるようになりました。

 ああいうのは短く、きちりと要点を書くと再提出になります。

 そこで読書感想文の知識が役に立ちます。徹底的に引き延ばすのです。時には「〇〇(教科書『***』45ページ)」などとやります。

 このようにやって提出すると、まったく同じ内容にもかかわらずOKが出ます。「ああ、この人たちは書いたかどうかが問題なんだな」とはっきり悟る瞬間です。内容ではなく空欄を埋めたかどうかが重要なのです。

 

 

 

 

 そしてそういう文章を書いていると、ある日こういう風に言われます。

「なんでこんなに長たらしく書くの? ここだけで良くない?」

 

 

 

 ( ◜ω◝ )・・・。

 

 

 

 ( `ᾥ´ )カッ

 

 

 

 

 

文庫 平気でうそをつく人たち 虚偽と邪悪の心理学 (草思社文庫)

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