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どうして月は落ちてこないの「疑問とは何か」

 生きていて、色々感じる疑問。

 その疑問について応えるより先に「疑問」とは何かについて考える

 それがにんブロクオリティ( `ᾥ´ )

 

 疑問の種類

 インターネットを色々巡っていたら「どうして月は落ちてこないのか日ごろから疑問に思っている方もいると思います」と書いてありました。本当にそんな人いるのでしょうかニュートンでもたまにしか考えなかったと思います。日ごろから月が落ちてこない理由を探している人は少々まともではないスメルがしますね。

 そもそも人間って日ごろそんなに疑問に思うことってないんじゃないでしょうか。街を歩いていてですね、道路を横断してまた横断してまた横断した人がいたら「何をしてんの?」と思うかもしれません。いわば相手の意図なるもの、行動の目的を求めています。しかしこうも考えられます。:

「何をしてんの? そんなことをする必要はないのに」

「何をしてんの? 意味ないでしょ、常識的に考えて……」

  すなわち、そこにはある地盤が存在する。それは自分という地盤です。自分視点で物事を見、それに適合しないものに対して感じる不平であったり「あれっ」という驚きであったり、そういうものが疑問と呼ばれるにふさわしいのではないでしょうか。

 ということを踏まえて表題に戻ると、月が落ちてくるなんていつ疑問に思うんでしょうか

 

 この意味における疑問というのは次の形式を持つでしょう。

 「ボールを手から離すと落ちてくる、じゃあなんで月は浮いていられるんだ?」

 逆にいえば、ぼんやり月を見ていて「なぁんで浮いてんだろうねえ」と思ったとき、むしろまず考えるべきなのはそもそもなんでそんなことが不思議だったんだろうかということでしょう。「そりゃ浮かんでるからだ。ものは浮かないんだ。だってボールを手から離すと落ちるだろ」そう答えるかもしれません。それでようやく疑問の形となります。

  •  目の前に人がいる。その人はなんと呼吸をしている。「なんで呼吸してるんだ?」
  •  目の前に人がいる。その人はなんと時間的・空間的位置を占めている。「なぜこの人は存在することができるんだ?」

 いずれもまだまともな疑問とは言えそうにありません。

 「だけども哲学には存在論がある。どうして存在しているのかは昔から議論になっている」……それでわかることなのですが、そもそも存在というものを疑うこと、その境地に達する地盤を持ちうるほうが難しいのです。

 

論理学をつくる

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追記

 この前読んだ本にすごいかっこいいことが書いてあってですね、「地図は現実の地形をもとに作られるが、地図に合わせて現実の地形ができているわけではない」。修正されるべきは常に地図のほう、けれども地図がないとうまくも進めないのも事実なわけで、つまりは疑問というのは、

「( っ'ω'c)あれっ、郵便局ここにねえじゃん」

「(´ω`)駄菓子屋潰れてるんだが」

  みたいなことかもしれません。

 

共同体の基礎理論 (岩波現代文庫―学術)

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