にんじんブログ

にんじんの生活・勉強の記録です。

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とりあえず読みましたのコーナー #3

 

読書日記。精読してません。

 

 

 

本望でございます~芸人魂の詩Part II ~

本望でございます~芸人魂の詩Part II ~

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 「ストーカー」は何を考えているか

「ストーカー」は何を考えているか (新潮新書)

「ストーカー」は何を考えているか (新潮新書)

 

 

 ストーカーは最悪。これは間違いなく人間関係の悩み・病的パータン……。

 こういうもので一番困るのは、そのストーカーだけでなくて被害者の世の中に対する信頼が一気に失われることだと思います。一度被害にあったら人間と関わる気が失せてしまいますし、人と話すたびに「まさかこの人も」ということが頭にちらついてしまいます。

  大学院生が教授と不倫して、卒業した時に別れ話になったらストーカー化したという話がありました。彼女がストーカーにならないために、学問は何の効用もなかったことになります。学問とは実際的な生活を離れたものか、たまたま就職などで役に立つことがあるだけの、ともかく遠くにある装置に過ぎない……にんじんはこういう例に出くわすたびにウィトゲンシュタインの言葉を思い出します―――実生活上のことになんの良い影響も及ぼさないなら、学問なんて無意味なことだ。そんなようなことです。彼は哲学についてそれを書きましたが、学問一般にも同じことがいえると思います。

 

 

大人のピアノ入門

 

 コード奏法を使えばピアノも三か月で弾けるようになるよという本。

 滅茶苦茶期待。大期待で読み始めました。

 

 要するに、

 ピアノには「右手」と「左手」があります。めちゃくちゃ複雑な楽譜も実は単純に書き換えられるんですね。それが、「メロディ」と「コード」です。コードは押さえ方が完全に決まってるので、コードさえ知っていればメロディ(主に右手)を見ながら弾くことができるんですね。コードの音を左右で足して行って複雑にしていってはいるけれど、コードがすべての基本になっておるのです

 これだけです。残りの部分は「ピアノ教室の選び方」「バンドを作ろう」「人前で弾くのがええがな」です。

 

 感想

  これだけです。

 

生きるための論語

生きるための論語 (ちくま新書)

生きるための論語 (ちくま新書)

 

 

 【論語は「学習に基づいた社会秩序」という思想を、最も早く、最も明瞭に表現した書物である】――この本の基本的主張。学而第一の第一章を著者は次のように解する。

 先生が言われた。何かを学び、それがある時、自分自身のものになる。よろこばしいことではないか。それはまるで、旧友が、遠方から突然訪ねて来てくれたような、そういう楽しさではないか。そのよろこびを知らない人を見ても、心を波立たせないでいる。それこそ君子ではないか。

 通説では「学んだあとに復習すると理解が深まっていいね。学ぶことで名が知られるようになると人が集まって楽しいね。人に理解されないからと言ってうらまないのは君子だね」という感じになっている。友が来る下りを比喩だと見るのははじめて聞いた。

 論語のことはあまり知らないから歴史的にはどうだとか、にんじんには言えない。ともかく確かなのは読み方が斬新で、上述の主張に従って一貫性があり、言われてみれば通説は確かにわけわかんねえなと思ってしまうこと。

 「これを知るをこれを知ると為し、知らざるを知らずと為せ。これ知るなり」という言葉があるが、単純に解釈すると「知る」という言葉を説明するのに「知る」を使ってしまっていて何をいっているかわからない、という。だから著者は「知る/知らない」を区別するという過程そのものを〈知〉であるとする。ステージがひとつ違う感じ。

 あるいは「己に如かざるものを友とするなかれ」という言葉がある。単純に解釈すると誰とも友達になれなくなる。下のものは無論駄目だし、上のものは下のものを相手にしないからやっぱり友だちになれない。♪L( ^ω^ )┘ワロタ└( ^ω^ )」♪

 感想

 最初借りたときに「きっとよくある論語の名言紹介みたいな本だろう」と舐めていました。でも、結果的に何度もナルホド! と言うことになりました。論語に興味ある方は是非読んでみてください。

 

 追記

 この本をまた借り直しました。

 

現代思想としての西田幾多郎

現代思想としての西田幾多郎 (講談社選書メチエ)

現代思想としての西田幾多郎 (講談社選書メチエ)

 

 

 純粋経験を基礎に組み立てられた哲学。

 フッサール現象学と非常に似通っているけれども、新しさも感じる。非常に共感するところが大きいので、きちんと勉強してみたいと思う。『善の研究』を読む前にこれを読むとよいのがよいと思います。メチエ、良い本が多い気がします。

 

 

善の研究 (岩波文庫)

善の研究 (岩波文庫)

 

 

やさしさ過剰社会

「やさしさ」過剰社会  人を傷つけてはいけないのか (PHP新書)

「やさしさ」過剰社会 人を傷つけてはいけないのか (PHP新書)

 

 にんじんが読み取ったのは、

世の中には偽物のやさしさが多すぎる。それは自分を良くみせようという戦略的なやさしさである。相手をなんとかしてあげようという治療的なやさしさより、何も起こらないようにしようという予防的なやさしさであふれている。本当のやさしさというのは厳しさのなかに、寛容さのなかにある

 ということです。寛容さのなかにある、というのは、相手の間違いを指摘して嫌な顔をされてもそれを許すということ。「せっかく教えてやったのに!」という攻撃的な気分にならないこと、です。

 言っていることは恐ろしく常識的な見解です。やさしさをテーマに友達同士で話し合えば出てくるほど常識的です。「わかる」というより「聞いたことある」に近い。

 

 

 だからそれほど言うことはないのですが、厳しくすればいいというものでもないだろうなとは思います。というか、本当にいちいち指摘してたら喋ることが多すぎて困ります。たとえばいまにんじんの近くで「こたつで寝ながらタブレットをいじってる家族」がいますが、

こたつで寝るな脱水症状出るぞタブレットいじるな目が悪くなる早く起き上がりなさいていうか今何時だと思ってんだお風呂はどうしたんですか入れないんですか設定温度高すぎるぞどうにかしろ洗濯物取り込んだのかそうやってたたむんじゃないこうだこうするんだ

 って言うのがやさしさでしょうか。知識を持てば持つほど世の中が窮屈になりますね。口うるさく言いすぎてるから今日はこれぐらいで、っていう優しさもあるのでは。なんかTwitterで「ちょっと横から失礼しますが」って言いそうです。掲示板で暴れてる荒らしに「あなたの行為はネットマナーに反していますよ」って注意しそうでもある。

 

 では、どういうものがやさしさなのか。

 さんざん書いてきたけれども、やっぱり常識的な見解が正しいと思われます。即ち、非戦略的義務逸脱行為……これをやさしさと言いたい。たとえば回覧板を回すのはある意味義務みたいなものですので、回ってきたところで特にやさしいわけではありません。また、著者の言う通り、利己心から発する行為も(利己心から発していることがバレてる場合には)やさしさとは言われますまい。故に、非戦略的な義務逸脱行為をやさしさといって一応かまわないだろうということです。

 但し、示された義務逸脱行為は戦略的なものか、非戦略的なものかなどふつうは区別できません。行為を受けた人間が手持ちの情報をもとに、どちらかに推定する性質のものです。このあたりのふわっと感が「本物の~」とか「偽物の~」の正体でしょう。即ち、

 本物のやさしさ = 非戦略的であると推定される義務逸脱行為

 偽物のやさしさ = 戦略的であると推定される義務逸脱行為

 といって差し支えないことになる。

 

 無論単なる義務逸脱行為では駄目ですよ。当該行為が対象者にとって利益となると思われなければなりません。そうすると、

 やさしさ = 非戦略的であると推定される義務逸脱行為のうち、当該行為によって対象者が利益を得ることが想定され得る行為

 といってよい。たとえばですね、相手がいきなりゾウの物まねを始めたとします。彼は「世界ゾウ大好き教」の教徒であり、そのようにすることはきっと人のためになると信じているのです。しかしそれをやられたにんじんは意味不明過ぎて♪L( ^ω^ )┘└( ^ω^ )」♪←こうなります。でも「いや、実はゾウの踊りがハッピーなあれだと思ってまして」と説明されたら一応、理解はできないが自分のためを思った行為であることがわかる……。けどももし『誰かがため息をついたら踊らなければならない決まりなんです』などといわれたら義務だということになるので「やさし」くはない……。

 ただ、どこまでを「義務」と思うかは人によって違います。

 たとえば誰かを一度励ましてやったのを「1励まし」と呼ぶやつがいて、「いま125励ましだから、私が落ち込んだときは少なくとも125回は励まさないと許さん」と言う場合もありえます。

 

 

 

 思いつくままに書いていたら長くなってしまったようです。何が言いたいかというと、ちゃんと決められた通りにやってる人が「やさしくない」わけではないということです。黙ってるのはエゴイズムだ偽物のやさしさだ、などと言われたら傷つきますよ。

 

はじめての経済思想史

 

 アダム・スミス

 【各自がお金儲けを追及する自由競争市場を肯定した経済学者として知られている】けれども、【なおそこに道徳性・公正さが存立するように配慮】した。【「資本主義の道徳的条件」は、後の経済学の歴史を理解するためのカギである】。というのも、後に出てくる色んな経済学は【どうすれば道徳的条件を満たすことができるかを考えたもの】だから。

 要するに最も大事なのは、アダム・スミスを単なる資本主義経済肯定野郎として見るんじゃ駄目だろうということ。国富論っていう有名なやつだけではなくて、道徳感情論っていう本も書いてて、道徳についてもきちんと考えていたということ。

 著者は「資本主義の道徳的条件」としてスミスが掲げていたものを三つにまとめている。①自由競争市場がフェア・プレイに則った競争の場であること、特に資本を動かす人間がフェア・プレイを意識する人間であること、②資産を事業に活用するのではなく、貸し出して利益を得ようとする場合、その行動が資産をよい用途に向けていく助けになり、全体の富裕化を促進すること、③強者が弱者を支配せず、相互利益の関係を結び、弱者の側の能力も活かされること。

 【資本が社会のことなどどうでもいいから利益を稼げばいいというお金儲けの道具になってしまったら、資本主義は肯定できなくなるのである】(第二章)

 

 感想:

 まとめたのは第一章だけだけれども、この時点で相当に読む気になります。経済思想がアダム・スミスを起点としてうまくまとめあげられるのではないか、と期待するからです。

 ぱらぱらと読んだだけですが、にんじんはこれをきちんと読むつもりでいます。そうして、①~③を基礎として経済思想を追うという見方をしたいと思います。そっちのほうが、「この経済学にはこの思想」「これにはこれ」「左翼、右翼は~」とかいうより楽しいですし、全員で前を向いて進んでる感じがしませんか。

 ただまぁ、経済学は一筋縄ではいかない感じがするので、現実的にこの一冊だけの考え方だけではよくないでしょう。著者もいいます:【私は経済学の歴史を、やや単純化しすぎているのかもしれない】。恐らくそうでしょう。しかし入門には良い……まさに「はじめての経済思想史」という感じがします。

 

許せないという病

許せないという病 (扶桑社新書)

許せないという病 (扶桑社新書)

 

  第1章と第2章を軽く読み飛ばす。

 第3章冒頭でとうとう、【「許せない」人は「喪の作業(mourning work)」ができないように見える。】と来る。これが震源であるか、とテンションが上がる。喪の作業とは、言葉から大体わかる通り、「対象喪失」を克服する過程である。フロイトが提唱した概念だそうだ。キューブラー・ロスの死の受容五段階説はこの対象喪失(「死」)に至る過程を追ったものである。①否認、②怒り、③取り引き、④抑うつ、⑤受容

 当然ながら、この五段階説は「死」に関するもので、許すということとは違う。その違いとしては、③の取引などは、死の場合は「いい子になるから助けて」みたいになるけども、許しの場合は「和解を求めよう」とかになる。つまり自己の行いではなく、相手に求めることになる。また、⑤受容も少し違う。受容できなくても許す場合がある。にんじんの想像だけれど、多分殺人事件とか……。

 感想:

 まず本当に「許せない=喪の作業ができていない」なのか? そうだとしても、死の受容五段階説を一気に対象喪失全体への一般化してもよいのか? いいとしても、特に役には立っていないのでは?

 なんというか、決定的に「おっそうだな」ともならず、「違うと思うぜ」ともなりませんでした( ˙ᾥ˙ )

 

 「本当の自分」を見つけて武器にする

「本当の自分」を見つけて武器にする

「本当の自分」を見つけて武器にする

 

  自分そして相手の特性を知り、それに合わせた努力をしよう。この特性を明らかにするのが「エマジェネティックス」である。けっこう権威があるそうです。それはともかくどういう方法なのかというと、

 人間の思考スタイルは、右脳・左脳と抽象脳・具象脳を軸として、合計四種類のタイプに分類されます。抽象脳とは【物事の全体像や概略、イメージを捉える機能を持った脳のこと】であり、具象脳とは【物事を構成するひとつひとつの要素や、目の前にあるものの詳細を捉える機能を持った脳】だそうです。

 ①分析型(抽象脳・左脳)=抽象的・理論的思考

 ②構造型(具象脳・左脳)=具象的・理論的思考

 ③社交型(具象脳・右脳)=具象的・感覚的思考

 ④コンセプト型(抽象脳・右脳)=抽象的・感覚的思考

 

 さて、【「人は、考えていること(思考)をそのまま行動に出すものではない」というのが、エマジェネティックスの考え方】ですから、思考スタイルに加えて、三つの行動スタイルの強弱を明らかにしていきます。思考と行動を区別することがエマジェネティックスの大きな特徴なのです。

 A) 自己表現性 =自分自身を、他人や周囲にどれだけ表現したいかの関心度

 B) 自己主張性 =自分の意見や考えを、他人に受け入れさせることへの関心度

 C) 柔軟性 =他人の考えや行動、または状況の変化を受け入れようとする意思

 

 で、簡易チェック表で自分の思考スタイルを確かめます。結果として①が何パーセント、②が何パーセント……と比率で出ます。23%を超えた思考スタイルのことを「優位」であるといい、得意なスタイルだということになります。

 以降は各スタイルごとにどうすればいいかを見ていく内容になっています。

 

 感想

 優位な思考スタイルは普通2,3個あるそうで、にんじんも3つありました。ひとつに決められてしまうよりは柔軟で良いのですが、一方で「じゃあ結局どこのやつに注意すりゃいいの?」となってしまいます。にんじんの場合は優位な思考スタイルが三つとも同率で一番優位であるということもなく、かといって残りの一つと大きな差異があるわけでもなく、読んでる間は(´ω`)←こういう顔してました。(?)

 エマジェネティックス、またどこかで見かけたら読みたいです。

 

 これならわかるよ! 経済思想史

これならわかるよ!経済思想史

これならわかるよ!経済思想史

 

 

 経済思想史を学ぶと【経済の骨格を理解しやすい】【世界の政治や経済がどのようなメカニズムで動いているのか、ぐっと理解が深まるはず】だという。

 基本となる経済思想は3つ新古典派経済学マルクス経済学、ケインズ経済学。このそれぞれを背景として政治思想がある。このあと第一章ではゴニョゴニョとややこしいし、よく知らない政治の話が始まるのでここではカット。というより時折TPPがどうの挟んでくるので以降この記事ではカットするか、配列しなおします。

 さて、この3つの思想の源流となったのがあの有名なアダム・スミスによる「古典派経済学」です。経済学の父と呼ばれているのはそういうわけです。古典派経済学のポイントは三つ。①労働価値説、②分業、③市場メカニズムです。①=ものやサービスの価値は労働量で決まる、②は仕事を分けることで、生産性アップです。

 そして③ですが、いくら良い商品でも高かったら売れねえし、誰も買わないので、だんだんと値段はいい感じに落ち着いてきます。つまり【人々の私的所有と利己的な行動が最も効率的な経済システム(市場)を作る】ことになります。これが有名な【神の見えざる手】です。原文には「神の」がついてないそうです。

 次は、マルクス経済学です。古典派経済学は英国を中心に普及したけれども、ドイツ語圏では違いました。マルクスは古典派経済学の労働価値説を継承します。

 逆に新古典派経済学では労働価値説を否定します。労働量で価値が決まるんじゃなくて買う側の欲望によってものの価値が決まるとしました。市場の分析や価格の研究を行ったのがいわゆるミクロ経済学です。

 最後にケインズ経済学です。ケインズは個別の市場ではなくて全体を見ます。いわゆるマクロ経済学です。

 感想

 「経済思想史を学ぶとすごいよ」「三つの柱があるんだよね」そう来たら読者は、三つの柱ってなんだろう、それぞれはどんなもので、どう違うんだろうということをまず気にすると思います。順序としては、

 (1)古典派経済学のポイント、(2)新古典派マルクスケインズのポイントと古典派との違い(それぞれの思想はどう違うのか?)、(3)この三つを背景にした政治思想ってどんなのがあるの?

 だと思うのですが、本書はこの(1)~(3)が各章に入り乱れます。出だしは快調だったんですが残念なことです。

  • これはあとで説明しますよ、とまぁまぁそれを説明した後に言うので「ンッンッンッ?」となります。
  • 政治思想についてもあとでやるからねと随分先の章を指定されつつ、しかし途中で「さっき言いましたけど・・・」という空気で用語を使います。新自由主義ってなんやのん……。
  • そしてTPPのこととかをスッと挟んできます。いまはそれ興味ないです
  • こんな言葉を知ってますかと言って本の中の生徒が「ピケティからの引用ですか」と言います。ナニモンなんこの子……。

 読後に新古典派ミクロ経済学ケインズ経済学=マクロ経済学マルクス経済学=な~んか変わってるねオメエ」という印象しかありません。でもアマゾンレビューはかなり高いのでにんじんの好みではなかった、というだけなのかもしれません( ◜ω◝ )

 

これがメンタリズムです

これがメンタリズムです メンタリストになれる本

これがメンタリズムです メンタリストになれる本

 

 

 メンタリズムとは、

 科学・催眠・心理学、暗示や誘導話法を織り交ぜて、人の体や心を使ったさまざまなトリックやテクニックを駆使したパフォーマンスであり、「超常現象」を実現化するもの。

 だそうです。

 

 にんじん的要約:方法はいろいろな勉強。ゴールを目指してどんどんそうなる確率を高めて行きましょう。

 

 感想:わかるぜ (終)

 

マインドコントロール

  注目される「普通の若者」が「テロリスト」になるプロセス。それをイスラエルの心理学者アリエル・メラリはトンネル喩えた。①外部の世界からの遮断、②視野を小さな一点に集中させる。学校であるとかブラック企業であるとか塾だとか、世の中にはこういうトンネルがたくさんある。

「マインドコントロール心理的操作)とは、人の思考や感情に影響を及ぼすことにより、思い通りに行動を支配することだ。」

「コントロールする側とされる側が必ずおり、両者の間には、対等とは言えない関係が存在するのが重要な特徴である。操作される側は、操作する側を絶対的に信頼しており、操作する側は、その信頼感を利用して、経済的、身体的、心理的、性的搾取を行うのである。」

  する側:①閉鎖的集団の中で優位な立場、②弱者に対する思いやりや倫理観の欠如、③支配することへの快楽。自己愛。

 される側:①依存性。自分を支配している人間の意向や顔色をうかがい、その意のままになる。②高い被暗示性=入ってくる情報に対して信じていいか、信じるべきでないかを批判的に判断する能力が低下した状態。③バランスの悪い自己愛。ありのままの自分を愛せない。誇大な願望をもつが、自信のなさや劣等感を抱えている。④現在および過去のストレス、葛藤、⑤支持環境の脆弱さ

 マインドコントロール原理:①情報入力を制限する、または過剰にする、②脳を慢性疲労状態におき、考える余力を奪う、③確信をもって救済や不朽の意味を約束する、④人は愛されることを望み、裏切られることを恐れる、⑤自己判断を許さず、依存状態に置き続ける

 

 感想:学校ってやっぱりコントロール施設なのでわ……。

 

 医療保険なんていりません!

医療保険なんていりません! (新書y 224)

医療保険なんていりません! (新書y 224)

 

 タイトル見たとき:「へぇ、いらないんだ」

 まとめ

 何千万円という死亡保障は必要ないという人も、医療保険は必要だと考えている。なぜなら病気やケガのリスクは世代問わず誰もが負っているものだから。しかし注意が必要です――医療保険は、入院しないともらえません。①診察だけはダメ、②点滴ぐらいじゃダメ。③でも手術伴ってたら日帰りでもいいよ。

 公的な医療保険だけで八割は賄える。何故なら自己負担は3割で、しかも一定以上の額は払わなくていいから。「でも入院中の食費とベッド代は出ないよね」その点は非常に大きいので、保険会社もそこを強調する。でも半年以上入院し続ける人は全体の1%で、一か月以上という人すら16%しかいない。病院での一日の食費は780円だから、高額療養費(支払う治療費の上限)+月の食費を合わせても11万よりも少なくなる。

 ※にんじん注:治療費の上限は収入によって変わる

 さらにベッド代を仮に一日一万円払っても50万あれば十分足りることになる。

 ※にんじん注:ベッド代というのは「4人部屋」「3人部屋」「2人部屋」「個室」みたいな病室チョイス代。もちろん人数が少ないほど高い。空きがなければ自由に選べないときもある。

 しかもサラリーマンの場合は傷病手当金がある。これは給料の2/3が休んでいる間にも支払われるもので、一年六か月有効。でも国保にはこれはないからしっかり貯蓄しようね💦💦

 感想

 さて、医療保険に加入しようとする動機は上記の通り。医療保険は気になるところです。治療費に関しては公的保険があるので心配いらない(普通の貯蓄で十分対応可能)のですが、食費と差額ベッド代が気になるところです。

 そこでこの本が教えるのは「入院日数は確率的に少なくなる」ことです。大体50万円用意しておいたほうがいいというのは、他の本でも読んだ覚えがあります。しかし、入院の継続日数が少ないとしても、たとえば再発などする病気である場合、ごく短い期間をおいてまた入院することになります。合併症もあるでしょう。その結果、半年以上入院するというケースもあるはずです。

 すると用意しておく金額は50万円×6で300万円になります。まぁ一日一万円の病室に入れられることはほぼない(普通は共同部屋に入る)ので、3000円だとして再計算すると、11万+3000×30日=20万円で、半年入院すると120万円です。国保加入者は傷病手当金がないので収入はなくなります。少なくとも国保の場合は「医療保険がいらない」と断ずるのは早いように思われます。

 しかし死亡保険金1000万とか、充実しすぎてる医療保険に入る意味はまったくないことも確かです。一月20万円とすると、一日あたり6666円ですから、そこを超えて来る保険商品なら十分ではないでしょうか

 

知識ゼロからわかる物流の基本

知識ゼロからわかる物流の基本

知識ゼロからわかる物流の基本

 

  まとめ:物流とはモノが届くまでの活動全体をいう。(製造業+流通業)

 物流の6つの機能。①輸配送、②流通加工、③保管、④荷役、⑤情報管理、⑥梱包

 (特に②~④、⑥を倉庫業務」という)。輸配送は輸送と配送のこと。輸送はトラックで各地センターへドカンと運ぶ。配送はもっと小さいトラックで細かく運ぶ。おさかなさん⁉で有名なクロネコヤマトも営業所がありますよね。

 さて、輸送されてきたものは「荷役」にかけられます。フォークリフトを使ってトラックに詰め込んだり、人の手で仕分けしたり、ああいう作業ですね。各センターでは荷役だけでなく、保管の機能も持っていたりします。実際やったことがある人はわかるかもしれませんがそういう荷物は「止め」と言われます。現場では「トメどうすんの?」「トメってどこにまとめてんの~?」といいます。多分あの止めが、保管なのでしょう、多分。

 値札貼りなどが流通加工。そしてアマゾンの商品買ったらおっきい箱にちっちゃい商品が入ってたりしますよね。過剰防衛だよといわれそうなアレこそ、梱包・包装機能の結果なのです。さらに、最近は配達票ではなくてタブレットでバーコードを読み込むのが普通です。これは情報管理の分野です。

 色んな種類のトラック

 説明するよりこっちを見たほうが読者にはわかりやすいです。

事業用トラックの種類

 平とバンとウイングと冷蔵・冷凍車があるわけですね。そして小型、中型、大型。

 ところで小型が2トン以下、中型が4~8トンなのですが、3トンはどっちなのかわたし気になります。

 

 感想:物流の流れを知れてよかった(小学生)。

 

日本語は「空気」が決める

日本語は「空気」が決める 社会言語学入門 (光文社新書)

日本語は「空気」が決める 社会言語学入門 (光文社新書)

 

  社会言語学の本。

 アメリカ人を見たら英語を話すと思うし、中国人を見たら中国語を話すと思う。また、にんじんは「まぁ」とよく言うし、「だから」とも言う。世間ではボクで通し、身うちには俺という。まぁそういう細かいことも含めて、言葉というのは個人に関係するのです。共通した特徴を持つ言葉が話されるグループを言語共同体というそうです。その言語共同体が使う特徴ある言葉を言語バリエーションと呼びます。

 社会言語学は「話し手と聞き手のあいだで実際に使われた発話をまず問題にします」。一方で理論言語学は「研究者が頭のなかで作った文を内省で検討」します。チョムスキーなどは言語共同体として均質なもの(物理学などで考える理想状態と同じ)としてみるけれども、社会言語学は人間の実際の発話に興味があります

 言語バリエーションを五つの観点から整理して考えます。①どこ出身、②どんな人、③どんな人に対して、④どんな状況で、⑤どんな方法で、話しているか、です。①、②は言語の使用者の問題で、③~⑤は言語の使用の問題です。使用者の問題はほとんど変わりませんが、使用の問題はコミュニケーションのたびに変えていくものです。現実の言語はさまざまなバリエーションがあり、それらを使い分けて生活しています。話し手が取り出すことができるバリエーションの集合を、言語レパートリーと呼びます。

 社会言語学に対して、言語を通して社会を見るベクトルの学問を「言語社会学と呼びます。これも興味深いところです。

 ①、②:どこ出身といえば「方言」です。地理的なものを地域方言、社会的なものを社会方言といいます。男性言葉とか、女性言葉とかも社会方言にあたりますわよ。

 ③:聞き手との関係といえば「敬語」です。聞き手との関係の二つの軸は親疎関係上下関係です。親疎関係は、親しさや連帯感といった横の関係のこと。二者の社会的距離と関係があります。

 話し手は聞き手との親しさを示すために、相手の話し方に合わせる傾向があると考えるのがアコモデーション理論です。相手が関西弁使ってたらこっちも関西弁話すみたいなことやで。相手が外人やったら、ちょっとはわかりやすいように話すみたいなことでもあるで。一方で敬語はポライトネス理論というのを使って分析されます。敬語は敬う際の言葉ですが、相手とお近づきになる言葉でもあります。ただ一方向の「相手を自分から話して敬う」という方向だけではなく、お近づきになるものもポライトネス理論というのには含まれているのです。

 ④:状況は、場面、話題、機能という三つの軸が設定できます。場面→オトナ語、くだけた言葉、話題→事務的? 心情的?、機能→感謝、謝罪、依頼,etc

 ⑤:専門用語。書き言葉、話し言葉。メール。

 

 以上、この基本的な概念を使って、たとえば人称「わたし」「あなた」などを分析して見たりしています。

 また日本語日本語といって日本語、英語、ドイツ語などを当たり前のように前提してきましたが、これは実は危ういのだということも語られます。方言と言語の境界は実は曖昧なのです

 感想

 ここに書いたのはごく一部です。あとでにんじんが読み直した時にエッセンスが理解できるようにメモしてます

 話す順番が丁寧で「なんでいまこんな話されてんの?」と疑問に思うことがまったくない、ごくごく当たり前の本です。当たり前に書いてくれる本は案外少ないものです。

 

教養バカ

  世の中には知識ばっかりで、書いてあることをただだらだらしゃべるだけの人がいる。教養のある人というのはわかりやすくしゃべるものだ。わかりやすいというのは相手の頭の中に絵を描かせることだ。語彙力が豊富であれば表現がきめ細やかになってわかりやすさに繋がる。

 みたいな話です。まえがきに「これまでの教養本とは一線を画すことになるでしょう」と書いてあります。なぜかというと知識の詰め込みではなくて「知識の伝え方」を教えるものだから……。

感想

 本を読んだとき常に気になるのは「書いているあなたは?」ということでしょう。たとえば夢をかなえる〇〇な方法とかですね。著者の夢が叶っていなければ仕方がありません。読んでみたら「本を出すことが夢でした」と書いていることもあります。ちょっとそれルール違反では

 「真の教養人」「教養バカ」

 あんまり好みではありませんでした。

 

 葬式は必要!

葬式は必要! (双葉新書)

葬式は必要! (双葉新書)

 

 

 まえがきに「いつの日か日本人が死を「不幸」と呼ばなくなることを心から願っています」という一文に衝撃を受けつつ読み始めました。著者にとっては「亡くなったの? それじゃあ幕引きである葬式どうしよっか。あの人らしくしなきゃ」ぐらいが理想なのでしょうか? 

 葬式無用論は明治40年頃から目立ちはじめ「形骸化している。他のことにお金を使ったほうが良い」が主な意見としてある。しかしそれで「無用だ」というのは極端であって、葬式無用論は葬式改革によって解決できる、といいます(序章)。

 さて、そもそも葬式には①社会的な処理(死の通知)、②遺体の処理、③霊魂の処理、④悲しみの処理(不安を和らげる)があるのだそうです。③については「葬式とは霊魂のコントロール技術であると言えます」と書いています。

 

感想

 でも人々が広く霊魂の存在を信じているわけではありません。また、霊魂的なものを信じていたとしても、葬式がその処理になっているとは思わないかもしれません。③のあたりが葬式不要論者と相容れないというか、議論が平行線になる部分なのかなと感じます。

 葬式不要論は①死の通知(電話しようぜ)、②遺体の処理(焼こうぜ)、④悲しみの処理(個人個人。これどうしよう)であって、③霊魂の処理(何を言ってんの?という心情があるのではないでしょうか。「遺族の悲しみはどうしようか」と考えることはあっても、「霊魂の処理どうしようか」などとは微塵も考えません。

 ③の機能がある、と思っている人が「葬式が必要だ」となるのは当たり前ですなにしろ葬式は霊魂のコントロール方法なのだから。ですが③がどうにも信じがたいと思っている人は謎でしかありません。

 まえがきにあった「いつの日か日本人が死を「不幸」と呼ばなくなることを心から願っています」というのがズレているように思うのは、このためではないでしょうか。③の要素を持っていない人は悲しみをどうしようと思っているのに、不幸なことじゃないんだぜと言われても「不幸だが( ˙ᾥ˙ )」となってしまうのです。

 この本の良いところは「葬式不要論って、ちょっと極端すぎ!」って書いているところです。140字もないのでTwitterで良かったような気もします。島田さんの葬式不要論を読んでの反論としての書籍だったようですが、反論にはなっていない気がします(前提が違うので土俵が違う感じ?)。立論としても③を証明するかどうかしないと説得力に欠けます。

 

 

葬式は、要らない (幻冬舎新書)

葬式は、要らない (幻冬舎新書)

 

  

 

僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?

僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか? (星海社新書)

僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか? (星海社新書)

 

  まとめ:(本の中身を全部説明してるみたいに見えますが、本筋以外は全部端折ってます)

 この本では「目指すべき働き方」について解説していく。

 しんどい働き方。これをなんとかするには資本主義経済の構造・仕組みを知らなければならない「いまの働き方に疑問をもっているのであえば(ママ)、転職や独立、ワークライフバランスを考えても意味はありません。しんどい働き方は、もっと根本的なところから考え、変えていかないといけないのです――。」

 給料の決まり方には①必要経費方式と②成果報酬方式がある。②は自分の実力で利益を出して、①は生活に必要な分のお金を算出して出す方式で、日本企業の多くは①である。よって、どんなに努力しても給料は上がらない。収入が増えれば生活は豊かになるというのは幻想。転職しても変わらない。

 給料の構造を分析しよう。「使用価値」=それを使って意味があるかどうかで測られる、「価値」=どれぐらい手間暇かかったかで測られる、という概念を用いる(この定義は『資本論』による、という)。商品の価値は原材料が多くなればなるほど高くなる。商品の価値の大きさは社会一般的にかかる平均労力である。まったりだらだら作ったからといってどんどん価値が跳ねあがるわけではなくて、大体平均ぐらいになるという意味。そして、商品の値段はその商品の価値を基準に決まる。一方で「使用価値」は需要に関わる。いくら価値が高くても使用価値が低いものもある。

  • あくまで価格の基準は価値にある。
  • 需要によってそこから上がったり下がったりする。

 ということを説明した後で、

「労働も商品である」

「労働力の値段も価値を基準に決まる」と来る。=必要経費方式!

 結果を出して昇給したりするのは価値が上がったのではなくて、需要があるのでちょっとプラスになってるだけ。たとえば発展途上国は物価が安く、労働者は低い賃金でも生活ができるので、労働力の価値が低い。だから、人件費が安い。 

  さて、ものの価値というのは原材料+労働力で決まるということを見た。そうであるとすれば、原材料を用意するには同じだけ費用がかかるのだから会社の利益はゼロになってしまう。つまり、労働力の分だけ、会社は儲かっている。よって、長時間働かせようとするのは当然のこと

 感想

 「価値」と「使用価値」の区別をもとに商品の価格決定を説明し、それを基礎にずっと話が進んでいく。非常にわかりやすい! イノベーションはコモディテイ化する」とかいう意味不明な言葉も今はするりと理解できます。ちょっと読み直して理屈を組み立て直してみようかなという感じです。

 

 でもちょろんと読書にナンバリングはされない

 

 理由はコレ。

 肝心の「こんな働き方を続けないといけないのか?」という疑問に「ナルホド!」みたいな解決策が提示されていないこと。「マラソンで息が上がって困ります。いつまでこんな走り方を続けないといけないんでしょうか」「では練習しましょう」

 マルクス経済学の説明にしても既に同じ著者でより詳しい内容で出版されています。この本でわかりやすく解説してくれているマルクス経済学の部分を差っ引くと、―――。

 

 

マルクスる?世界一簡単なマルクス経済学の本

マルクスる?世界一簡単なマルクス経済学の本

 

 

 お金原論

お金原論

お金原論

 

 

 要約お金は信用を見える化したもの収入はその人の「信用」の量。その会社にもたらす利益が高ければ収入は上がる。マフィアなどは社会的に信用がないが、そのマーケットのなかで信用を勝ち得ている。一方でマーケットによってはこの原則が当てはまらない場合があるので、収入あげるんならマーケット選びが大事。

 支出はその人そのものを映し出す。何に使ったかを知ればどんな人間かわかる。なんとなく、の無駄遣い。お金の生活習慣病。ただし質素倹約するばかりでなく経験のための投資も大事だね。お金の教養を身につけよう。

 お金の教養っていうのはお金の使い方のこと。①お金の考え方②貯め方③使い方④稼ぎ方⑤増やし方⑥維持管理⑦社会還元から成り立つ。⑥はつまり、いきなりドカッとお金が入った時にその資産を保つための方法のことで、②とは少し違う。

 ①:基礎。テクニック以前のこと、②:手取りの2割を貯金しよう。

 ③:支払った以上の価値を得る「投資」をしよう

 ④:色々書いているけれども、要は自分の価値を高める。

 ⑤:資産運用。金に働かせる。、⑥:金利、ローンとか、ちゃんと考える

 ⑦:人に教えるとか

 これらの教養がどれだけあるかで、自分のいる「教養STAGE」がわかる。5つのSTAGEがあって「生活安定型」「環境依存型」「堅実管理型」「自己完成型」「長期安定型」と分けられている。チェックリストで自分のSTAGEがわかります。

 感想:「お金は信用を見える化したもの」という視点をくれる本。なるほど研究者の収入が少ないのは結果を出す信用がないからか。ドラクエ7のホンダラもツケができるぐらいだから、意外と信用があるのかもしれない。どちらかといえばボルカノに信用があるからか、それとも島は一つだけだから逃げられないと思っているのか。……合点の行くことが多い説明であるように思います。

 そうとはいえ、自分に投資せよ、2割貯金せよ、というような話は類書がおびただしいほどある。2016年に発行されているから先駆けとなった本でもない。

 ①お金は信用を見える化したもの、という一つの考え方。

 ②お金の教養を7つに分けてくれる。

 この点が良いところだと思います( ◜ω◝ )

世界で一番やさしい心筋梗塞

知ってなおす 世界で一番やさしい心筋梗塞 (知ってなおすシリーズ)

知ってなおす 世界で一番やさしい心筋梗塞 (知ってなおすシリーズ)

 

  要約全編ほぼ漫画なので大変に「やさしい」本です。ありがたい。

 「これまでに経験したことのない急激な胸痛に襲われてそれが20分以上続くなら心筋梗塞だと考えたほうが……」 → 救急車 → 診察と検査(心電図が特有の波形示す、難しい場合は血液検査だが結果が出るまで30分)→血管造影検査室でカテーテルという細い管をからだにいれる。局所麻酔。……治療。心筋梗塞の生還可能な時間の目安として発作から6時間を「治療のゴールデンタイム」と呼ぶ。

 登場人物が助かったのでよかったなあと言ってたら合併症が起きるんでと集中治療室に入れられてしまいました。

 心筋梗塞=冠動脈のなかに血のかたまりができ急に詰まってしまうことで、そこから先の心臓が死んでしまう病気。 なので発作起きて治療するまでにある程度の心筋が駄目になっているので合併症が起きてしまう。しばらく見て問題なさそうなら一般病棟へ。それからリハビリ。体を動かしても心臓が耐えられるかどうか見ます。

 心筋梗塞の原因は動脈硬化。血管の内側が傷つき、その中に白血球やコレステロールが入り込んで炎症を起こす。破れると血が修復のために固まって血栓ができ、詰まる。

 一度壊死した細胞は元には戻らない。心筋梗塞のあとの心臓はちょい弱い。そこで生き残った部分の心臓を強くするためのリハビリ。

 ( ◜ω◝ )心筋梗塞は再発します。悪い生活習慣を断ち切りましょう!

 感想あのフォロワー、心筋梗塞で死にそう

 

  

電波女と青春男 ねんどろいど 藤和エリオ (ABS&PVC塗装済み可動フィギュア)

電波女と青春男 ねんどろいど 藤和エリオ (ABS&PVC塗装済み可動フィギュア)

 

 読書の価値

読書の価値 (NHK出版新書 547)

読書の価値 (NHK出版新書 547)

 

  読書感想文じゃなくて読書報告書じゃないかが面白かった。

 

 

正座と日本人

正座と日本人 (The New Fifties)

正座と日本人 (The New Fifties)

 

 

 日本人と正座の関わりということで、読みました。

 ともかく今でこそ正座というと足をきちんとたたんでチョコンと座るのが正座だけれども、昔はあぐらも正座と呼ばれていたのだそうで。それから正座のやりすぎはいかんけどもちょっとやるぐらいなら「エクササイズ」になって良いのだそう。膝痛が防げるそうです。

お金2.0

お金2.0 新しい経済のルールと生き方 (NewsPicks Book)

お金2.0 新しい経済のルールと生き方 (NewsPicks Book)

 

 

 わからん人にも読んでもらえるように、と冒頭で書いていた気がするのですが「これは知っているでしょう」という風に平然と書いてあったりするので油断ならない本でした。にんじんは知らなかった。゚( ゚இωஇ゚)゚。

 

7日間で突然目がよくなる本

7日間で突然目がよくなる本

7日間で突然目がよくなる本

 

 

 要約:猫背やと目に負担かかるで。

 

 猫背を直すためのストレッチなど、色々載ってます。

 

人の心は読めるか?

人の心は読めるか?

人の心は読めるか?

 

 

 要約: 結構わかるとおもてるかもしれんけど、あんまわからんもんやで。

 

 あとは実験結果の説明など。近しい存在であれば人の心は読めるもんやけど、知らない人とそう大差はない、とかいろいろあるのですが、つまり「わからんもんやで」ということです。 

 

ポジティブ・チェンジ

ポジティブ・チェンジ

ポジティブ・チェンジ

 

 

 ご紹介してきた本のなかで一番参考になった本です。

 特になにかやるときに「計画するのはよくない」というのが衝撃でした。計画するというのは逆にいえば準備が整うまではやらないということ。ともかくまず「行動」。逆に何かを頭から追い払いたいときは付箋にでも「おそうじする」とでも書けば「あとでやろっと」と棚上げできる……みたいなテクニックも。

 しかしそのあと「起きる時間を何時に~」とあるので計画それ自体を否定しているわけではないところが重要ですね。

 

『資本論』を読む (講談社学術文庫)

『資本論』を読む (講談社学術文庫)