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儒教思想の入門書『大学』を読もう。

 「大学」という書物をご存知でしょうか?

 

 これは古代中国の周から漢までに儒学者がまとめた書物を編纂したもの『礼記』四十九編のうちのひとつです。各編を誰が書いたかという部分はいろいろ議論はあるものの、昔から「大学は曾子が書いた」と教えられてきました(実はなんの根拠もないそうです)。

 曾子とは、孔子儒教の祖)の直接の弟子です。儒教孔子から始まるので、そんな人から直接学んだ人が書いたものだから余計に注目されるわけです。

 

 大学は儒教の思想をわかりやすくまとめていることで有名で、たとえこの著者が誰であったとしても、「四書」などといってまとめられているに足るものだと言われています。

 

 

 儒教という考え方に興味がある人が多いようなので「大学」という書物を紹介する記事を書くことにしました。

 

 

「大学」の思想

大學之道、在明明德、在親民、在止於至善。

知止而后有定。定而后能靜。靜而后能安。安而后能慮。慮而后能得。

物有本末、事有終始。知所先後、則近道矣。

大学・中庸 (岩波文庫)

 

  •  大学の道は「明徳を明らかにする」にあり、「民を親しましむる」にあり、「至善に止まる」にあり(三綱領)。

 

 この本の主な主張はいきなり書かれています。

 つまり「大学の道」というのはこの三つのことだ、と最初に言ってある! これ以降は、それを説明していく文章になっています。とてもわかりやすい構成です。

 

 大学の道というのは、大学教育のあるべき姿という意味ですが、注釈者によっては「大人の学」という風に内容的に広く解釈されています。

 

 次に明徳を明らかにするについて、

 これは自分の持っている能力を発揮する、ということです。儒教は霊だとか死後の世界だとかそういったことについて語らず現実世界でどう生きるかについて考えます。明徳に対立する言葉を玄徳といいます。

 玄徳は人間も含めた自然一般の性質を受け容れ、抗おうとせず、そのまま生きることです。自然は人間には捉えられない部分もあり、意識にのぼらないものも含みます。

 一方で明徳は感覚で捉え、理性をもって把握したものを正しく使うことです。捉えられる限りの現実を問題とします。

 玄徳はたとえば「老子」の上編・第十章に登場します。

 

 自分の能力を発揮することなので「修己(己を修める)」ということです。

 

 次に民を親しましむるについて、

 民衆をたがいに和合させて平和な暮らしをさせることです。

 

 これは「治人」といって人を治めることです。

 

 最後に至善に止まるについて、

 上で述べた「己を修める」ことと、「人を治めること」という二つが良いバランスで、しかもどちらも最高に水準に止まるようにすることです。

 以前、自己啓発の記事でも述べましたが、自分の能力のことばかり考えて人を蹴落としたりするのは問題です。しかし一方で、人のことばかりで自分を高めなければ誰も治められません。

 「修己」も「治人」もどちらもバランスよく、そしてどちらも高いレベルに保とうということです。

 

carrot-lanthanum0812.hatenablog.com

 

 

  •  止まるを知りてのち定まる有り、定まりてのち能く静かに、静かにしてのち能く安く、安くしてのち能く慮り、慮りてよく得。

 

 上記三項目の中で一番大事なものが、至善に止まるということです。これがどういうことかを学ぶことが非常に大切であると言っています。どこに止まればよいのか、まず知ることから始めましょう。:

 

 止まるところを知ることで、しっかり落ち着くことができ

 しっかり落ち着くことで、平静であることができ

 平静であることで、心安らかであることができ

 心安らかであることで、ものごとを正しく考えることができ

 正しく考えることができることで、至善に止まることができる。

 

  •  物に本末あり、事に終始あり、先後する所を知れば則ち道に近し。

 

 物事にははじめとおわりのきちんとした順序があって、それがわかれば正しい道を得たことになるのです。

 

 そして「大学」ではものの順序を教えてあげようと言っているわけです。

 そう言われると、少し興味が湧かないでしょうか。

 

 

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