証拠とかなにもない自論になるんですが、
前々から「目の使い方」について考えていることがあります。
多分、目の使い方って二通りあると思うんですね。何を言っているんだという感じですが、にんじんは「ニュートラル」と「フォーカス」と呼んでおります。まだ誰にも話したことがないのですが、多分経験があるんじゃないかと思います。
「フォーカス」というのはどこかの一点を見ることです。たとえば本を読むときに文字を追ったり、看板を見たり。一方がニュートラルという名前のくせに、多分フォーカスのほうがなじみ深いと思うんですね。というのも、ニュートラルなんてわざわざ機会を作ってやらないと使わないからです。
なんと説明していいのか困るのですが、たとえば登山をしてですね、景色を見るとします。ばっと目の前にだだっぴろい空間がひらけたとき、ああいうときの目が「ニュートラル」です。他に言い換えるなら、フォーカスは大抵の場合鼻の先に対象物があるのですが、当然それ以外のものも見えてますよね。文字追ってても手は見えますし、脇に置いてあるパソコンも見えるだろうし……。ニュートラルは、視野の全部を一気に見ます。
両手を正面の斜め前に突き出してみてください。
で、両方の手を一緒に見てください。
それがにんじんのいう「ニュートラル」です。
で、それがなにかというと、人間の普通の目の使い方は「フォーカス」ではなくて「ニュートラル」なのではないか、と思っているのです。ニュートラルは全部見てますが、しかし、基本的に何も見ようとしてません。変な話ですが、すべてに注意しつつ、別に注意などしていないのです。車が来たら反応できますし、なにかあればそちらを向いてフォーカスできます。でも、フォーカスしないほうが落ち着いて行動できます。
あと、緊張しているときは大抵フォーカスしている気がします。意識をその一点に集中して、他が見えなくなっているのです。何かの発表のとき、みんなの前に立ったら顔をあげて全体を見回したほうがよいといいますが、これとも関係しているのではないかと思います。
目のことについてはまたちゃんと調べるつもりでおります。
ただ、最近はこの二つの使い分けで(気のせいかもしれませんが)なんとなくうまくいっているので、これ自体か、あるいはこれをすることによって他の何かが改善されているのかもしれません。これをとっかかりに、色々勉強します。