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にんじんと学ぶ「法律」

 本日のテーマは「法律」です。

 

 

憲法

 デリケートなテーマですので、慎重にいかないといけません。基本的には次の本を参考にしていますが、にんじんがわかりやすいように読み変えています。

 

 

 憲法というのは、

「国の統治の基本的体制または根本の秩序を定める法規範」

(固有の意味の憲法

  のことです。だからそれで憲法の意味としては話が終わってしまうのですが、これだけに留めてしまうと、困ったことが起きます。独裁政治にしてもなんにしても、国としてまとまった秩序がある以上、そこに憲法があると考えられるからです。つまり上の意味での憲法があるんですと言っても何も説明したことにはならず、憲法の特徴を捉え切れていません。

※この記事では固有の意味の憲法を単に「憲法」と呼ぶことにしましょう。

 たとえば近代。専制主義の国家体制を否定し、国家権力は無制約に国民を規制できないという主張が起こりました。「国家の統治の権力に法的根拠を与える」ものであることに加え、「国家権力が憲法の制約をうけ、国政が憲法の定めるところにしたがって行われる」(立憲主義という原理を盛り込んだものこそ憲法であるという考え方です。このような立憲主義を盛り込んだ憲法は、近代憲法と呼ばれます。憲法というのは国民ではなくて国家を縛るものだ、というのはよく聞きますが、あれは立憲主義という考え方です。

 近代憲法には次の三特徴があります。:

  1.  国民の政治参加 → 国民が単なる被治者ではない
  2.  権力分立 → 権力が集中すると法による制約が困難になる
  3.  基本権の保障 → 国家権力が手を出せない限界

 これらはいずれも権力を抑制するという機能をもちます。憲法は国家権力に根拠を与え、権力に正当性を与えますが、近代憲法はこれを抑制します。他にも近代憲法には成文という特色があります。成文化すると法律関係が明確になるため、国家権力の限界も明確になります。そのため、近代憲法と成文は結びつきやすくなっています。*1また、通常の立法手続きよりも厳重であり改正しづらいのがふつうです。近代憲法は権力を抑制するという重要な役割がある以上、安易で軽率な変更を受けないようになりやすいのです。しかし一方で改正がしづらいために社会状況とギャップが起こる場合もあります。

 このような近代憲法は、現代に入り政治・社会・経済の要請に応じて修正を受けています。これを現代憲法と呼びます。

  1.  権力と自由の同化 → 「抑制」のためではなく、国民の政治参加で積極的に公権力を行使していく
  2.  権力の集中 → 分立させた権力が役割を果たせなくなった
  3.  社会権の保障 → 国家権力の不干渉から、積極的な関与へ
  4.  憲法の国際化 → 国家を超えた憲法的規範。ex国際人権規約

 

 刑法

刑法とは、刑罰権を行う要件を定めた法である。

罪刑法定主義とは、ある行為を罰するには、行為当時、成文の法律によって、その行為を罰する旨が定められていなければならないとする原則。

犯罪とは、その行為者に刑罰という法的効果が帰属する事実である。

刑法(全) 第4版 (有斐閣双書)

 

 罪刑法定主義によれば、刑罰のためには法がなければならない。そして犯罪とは刑罰という法的効果が帰属する事実である。つまり、ある事実が犯罪に類するかどうかは法が決める。それが犯罪であるかどうかは既に決まっているのである。

 犯罪構成要件とは、法律上可罰的である違法行為の類型を示したものである。これを用いて犯罪を言い換えれば、犯罪とは、犯罪構成要件に該当した行為であるといえる。

[1]

 構成要件に該当する行為をすればそれはただちに犯罪であると推定されるが、これには三種類の例外がある。:(1)正当業務行為(2)正当防衛(3)緊急避難

 

[2]

 構成要件に該当する行為をした行為者について、責任能力が問われる場合がある。一般に人にはそうした能力があるとされ、例外的に(1)心神喪失・心身耗弱(2)少年 の場合、責任能力が欠け、あるいは著しく弱められているといわれる。

 また「故意」「過失」といった視点もある。故意でない行為は罰されないのが原則であり、過失で罰されるかは法律に特別の定めがある場合に限る。

 

民事訴訟

民事訴訟とは、私法上の権利義務や法律関係(権利関係)をめぐる私人間の紛争(民事紛争)を扱う紛争解決制度である。民事訴訟は紛争を解決する制度の一つであり、これ以外にも「和解」「調停」「仲裁」といった手段もある。民事訴訟がこれらの制度と異なる点は、紛争当事者の合意が必要ではない点である。

  1.  たとえば誰かから訴訟を起こされた場合、その制度利用を拒むことは出来ない(これを応訴強制という)。もし欠席した場合は訴えを起こした側の請求が認められ、強制的に実現されるのである。
  2.  民事訴訟は紛争当事者の合意を必要としない。だから敗訴したほうは判決に不満を持つことになる。しかしそこでまた紛争を蒸し返しては、紛争解決手段として機能していない。そこで、裁判所がした判決が確定したら、紛争の蒸し返しを禁止している。これを既判力という。確定判決に示された裁判所の判断は、当事者とそれ以降の裁判所を拘束する。すなわち、もし蒸し返されても同じ判決が下されるため、同じ紛争が起きることはまずない。

 民事訴訟は、冒頭で書いたように、私法上の権利関係に関わる。原告(訴えを起こした側)の言う権利関係の存否について争うわけだから、民事訴訟は権利行使の一場面である。*2

 そして私法には、私的自治の原則がある。これは私法上の権利を有するものが、その権利を行使するか、いつ行使するか、どのぐらい行使するかをその者に委ねるものである。この原則は、もちろん民事訴訟においても現れる。

  1.  処分権主義とは、訴訟の開始・終了および審判の範囲を当事者が自由に設定できるという原則。
  2.  弁論主義とは、事実や証拠といった裁判所が判断を示すための材料の収集および提出を当事者の権能かつ責任とする原則。つまり、当事者が提出しない事実を判決の基礎にすることはできないし、また、裁判所は職権で証拠調べをすることはできない(職権証拠調べの禁止)

 民事訴訟は紛争解決のための制度である。紛争当事者がやりとりをして、結局権利関係があるのかないのかわからない場合でも、裁判所は判決を下さなければならない。このとき利用されるのが「証明責任」であり、この責任を負っているほうが証明できなかった場合はその者の不利益になる。

 

 最後に、民事訴訟の流れについて書く。

 (1)民事訴訟は訴えの提起に始まる。

 (2)権利関係の存否について争う(審理)

    ここでは裁判所の判決のための判断資料を収集する。

 (3)確定判決によって既判力が生じ、紛争が終結する。

    もちろん三審制のもと、判決に対しては不服申し立てをすることができる。

    この不服申し立てがなされなかった場合、その判決は確定する。

 

※ところで行政書士受験者にとってはおなじみの「行政訴訟法」は民事訴訟法の特別法であり、その手続きには違いがある。たとえば、行政訴訟の際には裁判所の「職権証拠調べ」が認められている。この点が(割と)行政書士の資格試験に出題されたりするのは、一般法である民事訴訟法とは異なる点で、強調するべきだからだと思われる。

 

 脱線話:訴訟のビジネス

 訴訟にはお金がかかる。50万円の債権を争って勝っても、費用に100万円かかっては仕方がない。単純に言って、「訴訟でとれるカネ」から「費用」を差し引いてマイナスになったら裁判を起こすべきではない。

 訴訟でとれる金のことを「訴額」という。

 この訴額に応じて裁判所に払う手数料が決まる。まぁ大体1%で、額が上がれば上がるほど手数料は少なくなる。このほか、訴状の提出に切手が6000円ぐらいかかる。

 基本はこれぐらいで、証人を呼んだりすると宿泊費とか交通費とかもかかる。

  訴訟で勝てば費用は相手持ちになるが、訴額がそれほど高くない限り「手続き的に厄介だから」取り立てはしないことが多い。

 

 訴訟を起こすと、面倒な事件になればなるほど裁判所に行く回数が増える。基本的には毎月1回程度である。このことは裁判の傍聴に行った人ならわかるかもしれないが「次の審理は来月の~」と言ったりして、夏休みを利用して傍聴に行った人は「いや、夏休みが終わるだろうが」と漏らすことになる。ただ、少額訴訟の場合は1日で終わる建前になっているので、期間については本当に事件による。

 費用だけではなく、こうした手間も考慮する必要がある。専門家に頼むのも費用の一部であるから、こうした面からも考えないといけない。法テラスは裁判費用の立替をしてくれるからそれでお金の工面を一応つけるということもできる。専門家を頼るのは、もちろん法律の事を知っているからでもあるが、書類上においても「勝てる」書き方をしてくれるからでもある。

 上記の通り、裁判官は基本的にあまり審理に絡まない。証拠を揃えるのは全部こっちの仕事で、向こうはそれをもとに判決をするのが仕事である。彼らの主な仕事は裁判の進行であるから、どちらが勝つかを決めるのは「こっち」と「むこう」のやり方にかかっている。

 

 訴訟の主体

 裁判所司法権(憲76条1項)を持ち、当事者は裁判を受ける権利(憲32条)を持つ。

裁判所

 司法権とは、具体的事件を裁判によって処理し法秩序を保持する国家権力である。裁判権ともいう。このうち、民事訴訟を処理するために行使されるものを民事裁判権といい、民事訴訟制度はこの権力を行使するために存在する。訴訟に際しては、当該裁判所が当該事件の民事裁判権を有しているかどうかが問題になる。

(1)広い視点

  1.  民事裁判権は領土主権の及ぶ範囲によって決まる。外国で証拠調べをするときは条約等に則って、外国の司法機関に司法共助を求めなければならない(民訴184条)
  2.  天皇には民事裁判権は及ばない。(最高裁判例平成元年11月20日
  3.  外国国家・外国の元首・外交団の構成員とその家族、随員は治外法権
  4.  「法律上の争訟」のみに裁判権を行使できる

 では、法律上の争訟とはなんであるか。これについて最高裁はこう判示する。:

 法律上の争訟とは、当事者間の具体的な権利義務又は法律関係の存否に関する紛争であって、これが法律の適用によって終局的に解決できるものであることをいう。

 たとえば、宗教団体の内部紛争は法律上の争訟にあたらない場合がある。ある人の宗教上の地位に関する確認の訴えは法律上の争訟にあたらず、却下される。一方で、現住職が元住職に対して建物の明け渡しを要求する訴えは法律上の争訟にあたるが、しかし、この判断に宗教上の教義が問題になる場合には裁判所は教義内容について審判する権利を有さない以上、法律の適用によって解決することができないため却下される。

(2)狭い視点

 日本には様々な裁判所がある。次はどこの裁判所がその事件に対して裁判権を行使するのかを考える必要がある。これはあらかじめ定まっており、これを管轄という。管轄の判断は訴え提起時を基準とする。

①職分管轄

 原則として最高裁判所に訴えを提起することはできない。裁判所にはそれぞれ役割があり、その役割に応じて管轄が定まっている。判決手続きを担当するのが「受訴裁判所」であり、執行手続きを担当するのが「執行裁判所」である。

 受訴裁判所は「第一審裁判所」と「上訴裁判所」に分かれ、基本的に第一審裁判所となりうるのは地方裁判所簡易裁判所である。

②事物管轄

 地方裁判所簡易裁判所のどちらに訴えるかは「訴額」によって定められる。

 訴額とは、原告が訴えによって保護を求めている利益を金銭的に評価した額をいう(民訴8条1項)。

③土地管轄

 訴えを提起する受訴裁判所、つまり第一審裁判所が定まった場合、さらに地理的にどこの裁判所に訴えるかが問題になる。土地管轄は「普通裁判籍」と「特別裁判籍」に分類される。

 普通裁判籍とは、被告に対するあらゆる訴えを提起できる土地管轄である。原告が被告の住所地に出向く。

 特別裁判籍とは、特定の種類の請求について認められる土地管轄である。

 

 以上、①~③を法定管轄と呼ぶ。このほか、特定の場合に申し立てを行うことで、上級裁判所が管轄裁判所を裁判によって決定する指定管轄がある。

 もし管轄を間違えて訴えを提起した場合、「訴訟の移送」が行われる。

 

 法的三段論法

 

法規範  法共同体の成員が自己の行動の基準として受容し、自己の行動の正当化の理由や他人の行動に対する要求・期待あるいは非難の理由として公的に用いる社会規範の一種である。

 法規範は社会規範(道徳・宗教・習俗など)のひとつである。

 法規範には、「法準則」「一般基準」「原理」がある。法準則は最も明快で、PならばQといった形式をもつ。一般基準や原理はそのような形式を持たず、適用されても結論を必然的とはせずに、結論の方向性を示す。【ex. この法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等を旨として、解釈しなければならない】

 

 要件事実とは、実体法の定める一定の法律上の効果を発生させるための要件を構成する確個の要件のことである。これは法準則「PならばQ」のPに関係する。要件事実に該当する具体的事実のことを主要事実と呼ぶ。*3

 争点とは、法適用に意味ある主張事実の不一致である。争点には「事実レベル」「法的レベル」の二種類がある。事実レベルの争点とは、ある事実が主要事実となっているかということである。また、法的レベルの争点とは、法的観点における見解の相違である。にんじんが解釈するに、そもそも今の問題に対してその条文を適用できるのかとか、事実レベルよりも一段メタな視点からのものだろう。

 争点整理とは、争点を明確化しこれを絞ることである。これは主に弁論準備手続(民事訴訟法168条)においてなされる。

 立証命題とは、整理された争点のことである。この証拠によるとあれはこうですよね、それはああでいいんですよね、とお互いの同意できる部分とできない部分をより分けていった結果、円満に解決すればそれが一番良い。しかし争っている以上、そうはならない。この時、争っている両者の間に、見解の一致しない争点が存する。これを立証命題と呼ぶ。たとえば「あの日契約しましたよね」「いやしてませんよ」と言い争いになった場合は「〇月×日、契約を締結した」が立証命題となる。「契約の成立の有無」が立証命題だとも言えるだろう。

 つまり立証命題とは、立証活動の対象、つまり目標である。命題が事実に合致すれば真(true)、事実に反すれば偽(false)と呼ばれる。論理学の問題と違って、裁判所は最終的には真偽不明でも判決を示さなければならない。真偽不明の立証命題は、立証責任の所在に応じて真偽が仮定される(「君が証明しないといけないのにできてない。だからこれは偽ね」)。真偽が確定すれば、法律効果の発生の有無が決せられ、判決を言い渡すことができる、という仕組みである。

 

法的三段論法

 法的三段論法とは、適用されるべき法規範を大前提とし、具体的事実を小前提として、このふたつの前提から判決を結論として導き出す推論形式である。すなわち、「PならばQ(大前提)、Pである(小前提)、つまりQ(結論)」である。

 裁判所が判決する過程(司法的決定過程)には、(1)正当化の過程と(2)発見の過程がある。すなわち判決やその他法的主張をどうやって見出したか(2)ということと、法的主張をこれこれだから正しいと根拠づける(1)という二つのプロセスである。法的三段論法は(1)正当化の過程に関わるものであることは明白である。

 さらに正当化の過程は「ミクロ正当化」と「マクロ正当化」に分かれる。

  •   ミクロ正当化とは、ある言明を論理的な推論テストにさらすことによる正当化のことで、
  •  マクロ正当化とは、ミクロ正当化のテストの前提となる言明そのものの正当化のことである。

 すなわち、「大前提A→BにおいてAという小前提のあるところ、Bという結論が帰結する」という場合において、「A→B、A から B を帰結」することが妥当であるかを検討するのがミクロ正当化であり、一方「A→B」「A」が妥当であるかを検討するのがマクロ正当化であるといえる。

トゥールミンの議論図式

 先述したように法的三段論法は、形式論理学的な三段論法とは異なる。ではこれをどのように取り扱うかという問題については、「トゥールミンの議論図式に依拠するのが相当」であると著者は書いている。

 ある主張と、その根拠たるデータをそれぞれCおよびDと呼ぶことにする。主張は「Dという事実によりCである」と言われる。ではなぜDという事実によりCが導出されるのか、という問いを正当化するために根拠を必要とする場面がある(主張に納得しない人がいた場合)。その根拠をWと呼ぼう。そしてそのWの裏付けをBと呼ぼう。これが基本構造である。

 この基本構造に、実際的には「Dという事実によりおそらく(ほぼ確実に、たぶん)Cである」という限定句が加わる。この限定句の内実を留保・例外・反駁の条件と呼び、それぞれQ、Rと呼ぼう。

 以上まとめれば、

 「Dという事実によりQ、Cである。ただしRがないならば」

 ということになる。

 

 この図式によって議論の流れを追うことができる。

 Cでないことを示そうとする論者は、Dというデータに合わせてR1を主張し、B2を裏付けとした新たな根拠W2を用いて「Cでない」を示そうとするだろう。これに対する抗弁としては、DおよびR1に加えてR2を付け加えて、B3を裏付けとした新たな根拠W3を用いて「C」を再び示そうとするだろう。

 

※にんじんメモ

 だが、一見してこの議論スタイルは非生産的であるように思われる。なぜなら、異なる立論を提案するばかりで、相手の意見について反論する気が一切ないからである。「パンダは白黒だという事実から、白黒なのは可愛い証拠なので、パンダは可愛い」と言っている人に「パンダは白黒だし、なんか笹とか食う。白黒で笹とか食う奴は可愛くないのでパンダは可愛くない」と抗弁したところで何の意味もない。

 相手のWが成立することをもし認めるのであればそれはCを認めることと同義である。そうであれば、抗弁は「Dを叩く」か「Wを叩く」しかありえない。そのうえで自らの立論を披露しなければ何の意味もないと思われる。今のままだと両者は議論しているわけではなく、ただ自分の主張をごちゃごちゃ語っているだけである。

 

 トゥールミンの議論図式をもとに以後本は進んでいくが、ここで詰まってしまったのでこの点を勉強したい。

 

 

議論の技法

議論の技法

 

 

*1:例外はイギリス。イギリスの憲法には法典がない

*2:たとえば、お金を貸している側は、相手方に返すように請求できるという権利を有する。にもかかわらず相手が返さないので、権利を行使するために民事訴訟をおこすのである

*3:こう言ったほうがわかりやすい人がいるかもしれない。「タイプとトークンの区別」