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アイデンティティは要らない【「自意識と創り出す思考」】

 今回のテーマは「自意識(アイデンティティ)」です。

 

 にんじんが今回読みましたのは「自意識(アイデンティティ)と創り出す思考」です。

 

 「アイデンティティなど必要ない」

 

自意識(アイデンティティ)と創り出す思考

自意識(アイデンティティ)と創り出す思考

  • 作者: ロバート・フリッツ,ウェイン・S・アンダーセン,田村洋一(監訳),武富敏章
  • 出版社/メーカー: Evolving
  • 発売日: 2018/09/10
  • メディア: 単行本
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創作者と創作物

 創作物とは、創作者の創り出した成果で、必ずしも物的なものとは限りません。そこには作品を作ることはもちろん、ある曲をピアノで演奏すること、誰かを助けてあげることなど、あなたが自らの価値観に準じてこうなりたいと選択した、その成果がすべて含まれています。

 「ポジティブであれ」

 「自己肯定感をもて」

 「根性が肝心だ」

 「自分はできると信じろ」

 これらは教師を含む様々な人間、自己啓発本を書くライター、もしかしたらあなたの親、世間、文化。ありとあらゆる側面から鼓舞されてきました。Twitterでも「僕には自己肯定感がない」といって落ち込んでいる人が散見されます。そうしてそれは、精神的に参っている人、通院している人、そういう人に顕著でした(少なくともにんじんのフォロワーの場合は)。

 

 これらの「啓発」はすべて、創作者にフォーカスしていることに注意してください。

 

 われわれは、創作物に目を向けなければならないのです。

 そうだというのに、創作者(特に自分)にばかり目を向けています。

 

理想と思い込み

 ほとんどすべての人は自分の事を「もっとこうあるべきだ」と考えています。これを理想と呼びます。勇敢であるべきだ、男らしくあるべきだ、女らしくあるべきだ、ポジティブであるべきだ、前向きであるべきだ、優しくあるべきだ、夢を持つべきだ―――理想は常にこのような形式を持ちます。

 理想は創作物とは異なります。どこが違うのか。それはいわば、創作物が自分の内側から生じてきたものであるに対し、理想は自分の外側から生じてきたものだということです。もっと詳しくいえば、創作物は自らの価値観によるのに対して、理想は思い込みによっているのだということです。このことを説明しましょう。

 

 Aであるべきだ。

 

 この理想を持つ人は必ず、

 

 自分はAではない

 

 と思っています。何故これが思い込みなのかといえば、これは多くの場合、現実とは一切関係がないからです。勇敢であるべきだと思っている人は、自分が勇敢ではないと思っていますが、彼は自らが勇敢な行為をしていたとしても、自分が勇敢だとは感じません。利他的であるべきだと思っている人は、利他的な行為をしていたとしても、自分は利己的だと責めます。どんなデータも、どんな事実も、その思い込みを崩すことはできません。現実に即していないところが、思い込みといわれる所以なのです。

 加えて言えば、この思い込みというものは普段は影に隠れています。隠れているのは、思い込みというものが自分にとって都合の悪いことだからです。

 

 勇敢であるべきだという人は、自分が勇敢でない自分にストレスを感じています。

 ポジティブであるべきだという人は、ネガティブな自分にストレスを感じています。

 自己肯定感があるべきだという人は、それがない自分にストレスを感じています。

 

アフォメーションと体験カタログ

 アフォメーションと体験カタログは、

 上記の「理想」を持った人々がとる典型的な戦略です。

 

 アフォメーションとは、自己肯定の宣言をすることです。

 勇敢であるべきだという人は、俺は勇敢なんだ、俺は勇敢なんだ、と自分に言い聞かせます。ポジティブであるべきだという人は、俺はポジティブだ、こんなに前向きにものを考えられている、俺はポジティブなんだ、と自分に言い聞かせます。似たようなことを考えた、と身に覚えがある方もいるかもしれません。

 

 体験カタログとは、その名の通り、体験のカタログです。

 勇敢であるべきだという人は、勇敢な人がやると思われる様々なことにチャレンジします。ポジティブであるべきだという人は、ポジティブな人がとるであろう選択をしてみたりします。

 

 いずれにしても「自分は理想と合致している」という幻想を抱こうとします。なぜ幻想なのかというと、上述したように、いかなる現実的な戦略であろうとも、思い込みは絶対に覆らないからです。何をしようが、理想と合致することは望めません。

 だからこそ、この二つの戦略は根本的に逆効果なのです。

 そもそも自分がAであるということの証明が必要な人間は、自分のことをAであるとは思っていないのです。この戦略をとろうとすればとろうとするだけ、自分がAでないという思い込みを再び暗黙の裡に目にするだけなのです。

 

 

 思い込みは、現実に即していない。

 それはある意味、創作物にとって創作者の気持ちなどどうでもいい、ということです。あなたがどのような思い込みを持とうと、完全に独立して、あなたは何かをすることができます。自分が最低最悪に絵が下手だと思っている人の絵でも、優れていることは普通にあるのです。

 思い込みは、現実とはなんの関係もない。

 あなた自身があなたをどう思っていようが、どうでもよろしい。

 自分は何者か、どういう人間であるか、なんて考える必要はまったくない。

 

 

 

まとめ

 この本は基本的に

 

「君が作り出したい成果のことだけを考えなさい。君自身のことはどうでもいい」

 

 ということを繰り返し書いています。

 そしておそらくもっとも根底にある「理想」というのは、自分とは何者であるかという問いに答えるべきだ、というものでしょう。第16章において、人と一緒にいるときになんだか居心地の悪さを感じるのは、自分のダークサイドを見たくないからだと書かれています。しかし一方で独りで居続けることができないのも、やはりダークサイドを見たくないからです。恐らく、独りで居続けるあなたを、あなた自身が許さないでしょう。そうすべきではない、と思うからです。

 要するに、わたしたちはわたしたち自身が最も信用ならないと考えています。こんな人間だろうと思っていたら全然違うことをするし、じゃあ今度はこうだろうと思ったら全然違うことをする。誰でもが状況次第でニュースに出るような極悪人になりうることを、忘却するようにできています。事実として、それを受け止めたいとは思わないからです。

 

 「自分はこんな存在です」そう言いたいのです。

 

 多分〇〇主義者であるとか、そういう括り方も同じ心理傾向から出るものではないでしょうか。Twitterでよく冗談交じりに指摘されることではありますが、趣味、業績、年収、職歴、あるいは自身の病気、政治思想、ありとあらゆるものをアイデンティティにしている人が見受けられます。

 アカウントの単なるキャラ付けの場合もあるでしょうが、アイデンティティとキャラ付けが違うのは、マジでそう思い込んでいるというところです。簡単にいうと、

 

 「俺ってそういうやつだからさ」

 

 ということです。

 それに対してこの本はこう言うわけです。

 

 「あなたが自分のことをどう思っていようが何の関係もありません」

 

 相当痛快だと思うのですが、どうでしょうか。森〇嗣的爽快感がありますね

 ちなみにこのブログで何度か話題にしている完璧主義も、上記の「理想」がめちゃんこ多い人間のことだと考えればすべてがうまくいかないのは当たり前に思えてきます。

 

 ( ◜ω◝ )失敗してもええんやぁ~

 

感想

 さて、感想をいいましょう。

 

 この本の良い点はひとつ。自意識の無意味さを指摘してくれること。これを読めばいかに自分が「理想」ばかりでそれに囚われ先に進めなくなっているかがわかります。

 この本の悪い点はひとつ。どうすればいいのかがまったくわからない。はっきり言って致命的なレベルです。アイデンティティは必要ない。よろしい。ではどうすればいいのか?―――そのことに対して何も書いていないのです。

 なぜ致命的なのか?

 それはこの本が『自意識はなくすべきだ』と言っているからです。

 これに同意したとしたらあなたはまた一つ、理想を抱えることになるでしょう。

 

 そこで、にんじん的処方箋を最後に書くことにします。

 

 もしもあなたが勇敢な人間であるべきだと思ったとしましょう。

 しかしあなたはそういう目標を掲げる時点で自分のことが勇敢だと思っていません。これは覆せざる結論です。そしてそれはあなたが単に思っているだけで事実とは何の関係もないことを思い出さなければなりません。:(1)あなたは自分を理想と真逆の人間だと解釈している、(2)解釈は事実問題となんの関係もない。

 

 しかし、ここで「理想を放棄し、創作物に集中せよ」と言われても……。

 それがこの本の困ったところで、この先どうしたらいいのかわからないのです。

 

 理想は放棄しなくてけっこうです。ただし、上の2つの事実を覚えてさえいれば!

 この2つを決して忘れてはいけません。あなたが自分をどんな人間だと思おうが、なんの関係もありません。あなたが自分をスーパーマンだと解釈すればどんな危険人物にも喧嘩を売れるでしょうが、ボコボコにされます。あなたはスーパーマンではないからです。ここで重要なことは、

「ボコボコにされるからスーパーマンだと思ってはいけない」

 のではなく、

「自分がスーパーマンだという馬鹿な解釈が、あなたにそういう行動をさせた」

 ということです。

 理想は原動力なのです。馬鹿である可能性もありますが。思い込みで人間がどれだけ馬鹿らしいことをするか、身の回りでも、あるいはニュースでも知ることができます。

 

 創作物にフォーカスしろとはどういうことか。

 それはおそらく創作者を忘れていくという過程なのです。

 

 あなたは「人づきあいはうまいべきだ」と思っているとします。

  •  たとえば人と会ったときに挨拶はできたほうがいい? もちろん。
  •  会ったときにちょっと軽いジョークを挟んだり? もちろん
  •  もちろん話すときは緊張もしないし。もちろん
  •  異性とも? 軽く話せる 

 などなど、いろいろなことがあなたの頭に浮かぶでしょう。そして浮かんだということはあなたはそれができないと思っているわけです。特に挨拶なんて相手もいることですし、まさか勘違いということもないでしょう。「おはようございます」と、これが言えない。

 

 当たり前ですが、

 社交的な人間は「社交的リスト」などというものを持ち歩いていません。

「よし、ここでまずは挨拶だ。それからジョーク。ウ~ン」などと考えていません。

 世間話。よ~し、何を話してやろうか?なんて思いません。

 

 タイピングが軽やかな人間が「”は” を打つには エイチ・エー だな……」と考えないのと同じことです。つまりどういうことかというと、あなたはリストを捨て去らなければならない。=創作者を忘れること = 創作物にフォーカスすることです。

 

 しかし、そんな簡単には忘れられません。リストがないと不安なのがあなたです。私たちに必要なのは、挨拶が機械的にできるように訓練することです。その日新しく人間を見たらまずは挨拶。もう反射的に。とにかく挨拶する。

 それができるようになれば、少しずつ、意識から挨拶が消えていきます。考えなくても体が勝手に思い出してくれるので、いちいち心配する必要がないからです。

 

 でも最初のうちは「意識」しないといけません。

 親が子どもに「ご挨拶しなきゃ」というように、とにかく場数をこなします。機械的にできるようになってはじめて、創作者たるあなたが消えます。

 

 * * *

 

 病的な理想というものもあります。そのひとつの症例が「完璧主義」です。

 彼らは「ミスしたくない」と思っています。しかしこれは不可能です。世の中は悲しいことで満ちているからではありません。このタイプの人は、何がミスであるかを自分で勝手に決めるので何をやってもミスに思うのです。

 

「おはよう」

「やあ、おはよう。なんか今日天気悪いね」

「こんな日に仕事なんてな」

「いやになるねえ」

 

 

 これだけの会話で「やあ、ってなんだよ。キザだな」「天気の話してしまったありきたりでつまらない……」「仕事にやる気がないと思われたかも……」などと考えます。常に頭の中は心配でいっぱいです。すれ違う人がちらりとこちらを見ただけでも、妙な表情をしていたのかもしれないとさえ思い悩みます。

 

 もはや習慣化されているので、まさに『完璧な完璧主義者』。この人たちは習慣を解体する作業をしないといけないので、少しタイプが違いますね。

 「あなたの解釈は事実となんの関係もない」

 という言葉は多少、影響を持つでしょう。そしてもうひとつ思っていて欲しいのは、

 「心配は先のことにするものだ」

 ということです。目の前のこと、過去のことはもう無理です、なるようにしかなりません。なので、あなたの心配センサーは将来のことに振り向けてください。すれ違う人がいることよりも、今行こうとしているスーパーのレジ係のことを心配してください。レジを通っているときは帰り道のことなど。明日の仕事のことでもいいかもしれません。仕事に比べればレジ係などどうでもいい問題です。

 という風に見ていくと、案外心配すべきことは少ないことに気づいたりするかもしれません。明日は明日の風が吹く。船が出たなら波任せ。心配したことはそれ以上心配してもなんの影響もありません。

 

 牛になる事はどうしても必要です。われわれはとかく馬になりたがるが、牛にはなかなかなり切れないです。僕のような老獪なものでも、ただいま牛と馬とつがって孕める事ある相の子位な程度のものです。
 あせっては不可(いけま)せん。頭を悪くしては不可せん。根気ずくでお出でなさい。世の中は根気の前に頭を下げる事を知っていますが、火花の前には一瞬の記憶しか与えてくれません。うんうん死ぬまで押すのです。それだけです。決して相手を拵(こしら)えてそれを押しちゃ不可せん。相手はいくらでも後から後からと出て来ます。そうしてわれわれを悩ませます。牛は超然として押して行くのです。

 

あせってはいけません。

ただ、牛のように、

図々しく進んで行くのが大事です。

 

夏目漱石

 

 

 

 

すべてがFになる (講談社文庫)

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