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人類の未来とは?【「ホモ・デウス」 上巻】

 本日は「ホモ・デウス」を読みたいと思います!

 サピエンス全史を書いたユヴァル・ノア・ハラリさんの本ですね。

 

 

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

 

 

ホモ・デウス 上下合本版 テクノロジーとサピエンスの未来

ホモ・デウス 上下合本版 テクノロジーとサピエンスの未来

 

 

人類の三つの悩み事が晴れた、そして。

 それは「飢饉」「疫病」「戦争」です。もちろんすべてがなくなったわけではないにしても、これらが起これば原因が探られ対処されます。どうせ起こってしまうというあきらめの対象ではなく、対処可能な課題に変化したのです。

 人類が次に目をつけたのは「死」でした。死は、死神にもたらされるものではなく、身体機能の低下によって引き起こされるものになりました。一般人でさえ、死を技術的な問題として捉えます。どうせいずれは死ぬのだから、と病気になったことをあきらめる人はほとんどいません。その病気は、いつか克服されるものなのです。

カーツワイルは二〇一二年に、グーグルのエンジニアリング部門ディレクターに任命され、グーグルはその一年後、「死を解決すること」を使命として表明するキャリコという子会社を設立した。

ホモ・デウス 上: テクノロジーとサピエンスの未来

  そして次は「幸福」です。もちろん簡単なプロジェクトではありません。豊かな国でも幸福を感じることができず、むしろ自殺者が出てしまうのです。成功しても、その幸福はすぐに過ぎ去ります。科学が明らかにしてきたところによれば、幸福とはいわば「次から次へと買わせるための販売戦略」なのです。しかしながら、科学はある程度まで気分を操れることも明らかにしました。生化学的作用を与えるもの、たとえば薬物です。ブッダはそもそも幸福を求めること自体に警告しましたが、人類はどちらかといえば生化学的に幸福に対処しようとしています。

 

 「至福」そして「不死」。人間がこれらを実現しようとするとき、とりうる道は次の三つのいずれかになると著者はいいます。:

 (1)生物工学、

 (2)サイボーグ工学、

 (3)非有機的な生き物を生み出す工学。

このようにもいえるでしょう。:

 (1)今ある体を組み替える、

 (2)体の一部を機械に取り換える、

 (3)体のすべてを機械に取り換える。

 

 もしこれらが実現したら?

 人類の第三の大プロジェクトは、創造と破壊を行う神のような力を獲得し、ホモ・サピエンスをホモ・デウスへとアップグレードするものになるだろう。

ホモ・デウス 上: テクノロジーとサピエンスの未来

  この方向へ向かわないことは、恐らくできません。それは人類が「ブレーキの場所を知らず」、ブレーキを踏めば「経済が崩壊し、社会も運命を共にする」からです。

 

 本書の随所に見られる予測は、今日私たちが直面しているジレンマを考察する試みと、未来を変えようという提案にすぎない。人類が不死と至福と神性を手に入れようとするだろうという予測は、家を建てる人が前庭に芝を植えることを望むだろうという予測と同じようなものだ。非常に可能性が高いように見える。だが、いったんそれを口に出して言えば、それ以外の選択肢についても考え始めることが可能になる。

ホモ・デウス 上: テクノロジーとサピエンスの未来

  上記の予測は、「人間至上主義者の積年の理想を突き詰めていった場合の、論理上必然の結論」です。そのために、まず人間至上主義というものについて知り、それがいかに世界を征服したかを見ていきましょう。

 

人間至上主義

 ホモ・サピエンスがゲームのルールを書き直してしまった

ホモ・デウス 上: テクノロジーとサピエンスの未来

  もはや既に地球は人間が支配しています。少なくとも大型の動物でいえば、人間が三億トン、野生の大型動物が一億トン、そして7億トンが人間の家畜です。人間はその意図がなくとも多くの動物を絶滅に追いやってきました。その影響はもはや小惑星の激突に匹敵し、その影響力の大きさをもって、著者は今の時代を「完新世」ではなく「人新世」と呼ぶほうがふさわしいのではないかとさえ言います。

 

 太古の狩猟採集民族は、人間とほかの動物とのあいだに本質的な溝はないと信じていました。アニミズムです。「お前は森に住んでいる。私もこの森に住んでいる。お前は食べ物を求めてここに来たし、私も木の根や塊茎を採りにここへ来た。お前を傷つけに来たわけではない」。ある日森林局がゾウを捕らえた。そのゾウはあるゾウと仲良くしておりいつも一緒にいた。連れ去られて以来、そのゾウは荒々しくなった。「もしあなたが配偶者を連れ去られたらどんな気持ちになります? このゾウはまさにそんなふうに感じているのです」

 採集民のアニミズムの態度、つまり人間と動物を同等に扱う態度は先進国の人間にとってはなじみがありません。狩猟採集民の時代が終わり、旧約聖書アニミズムの信仰を拒絶し、それを不吉な警告として登場させました―――ヘビの言うことは聞いてはならない。しかし、聖書の物語は副産物にすぎません。人間と動物を区別し始めたのは、それよりずっと前の「農業革命」までさかのぼれます。そこで人間は動物を家畜化したのです。

 農耕民は自分たちのしていることには気づいていました。そこで彼らは有神論という新しい宗教によって正当化し始めました。登場人物は神、そしてそれに仕える人間でした。

世界はさまざまな生き物から成る議会ではなく、偉大な神々あるいは唯一神が支配する神政国家だと主張し始めた。(略)有神論の宗教は、少なくとも当初は農業と直結した企てだったのだ。

ホモ・デウス 上: テクノロジーとサピエンスの未来

  では、続く「科学革命」においては何が起こったでしょうか。

 もはや、神は必要なくなったのです。科学によって。

有神論が神の名において伝統的な農耕を正当化したのに対して、人間至上主義は人間の名において現代の工場式農業を正当化してきた。工場式農業は人間の欲求や気まぐれや願望を神聖視する一方で、それ以外は軽んずる。工場式農業は動物には真の関心をまったく持たない。

ホモ・デウス 上: テクノロジーとサピエンスの未来

 

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