本日のテーマは「社会不安障害」です。
社会不安障害とは
社会不安障害(Social anxiety disorder:SAD)とは、
他人の注視を浴びるかもしれない社会的状況または行為をする状況に対して、顕著で持続的な恐怖を抱き、自分が恥をかいたり、恥ずかしい思いをするように行動することを恐れる状態
である。
そして、
SADの症状それ自体は、強い不安、恐怖の感情とそれに伴う赤面、口が渇く、呼吸困難、動悸、手足や声のふるえなどの自律神経系症状が主である
と書かれており、にんじんブログでも何度も取り上げてきた「唾液が飲み込めなくなる」という症状に近いものがあります。
carrot-lanthanum0812.hatenablog.com
社会不安障害の診断は「LSAS-J:リーボヴィッツの社会不安評価尺度日本語版」がよく用いられますが、
- 人前で電話をかける
- 公共の場所で食事をする
- まったく初対面の人と会う
- 公衆トイレで用を足す
- 会議で意見を言う
- 誰かを誘おうとする
ことに不安を感じたり、回避しようとすると点数が高くなって、点数が高くなると社会不安と診断されます。他にも項目がありますが、実にいいところを突いています。社会不安障害の症状は自律神経系のものが主だと書きましたが、特に本人が気にしている箇所で出やすいので、どうしても個別的に捉えられやすいのですが、
人前でなにかやろうとすると症状が出る
という部分に共通するんですね。だから、「公共のトイレで隣に人が立った時になかなか尿がでない」というのもそうだし、「字を書いているところを見られるのすげえイヤで手が震えてくる」というのも含まれるわけです。
簡易な診断シートがあります。YESの数を数えてみてください。
(追記)
後日、「社会不安」について整理した記事を書きます!

- 作者: クリストフアンドレ,パトリックレジュロン,Christophe Andr´e,Patrick L´egeron,高野優,野田嘉秀,田中裕子
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治療
社会不安障害の治療は「薬物療法」「認知療法」がありますが、上にあげた本では「森田療法」もそこに入っています。薬物療法ははっきり言ってにんじんたち個人でどうにかすることができない問題ですから、ここでは認知療法と森田療法に絞って話をしましょう。
認知療法
認知行動モデルにおいては、「不安は脅威に対する反応」と理解されます。そして不安に伴って身体症状が起き、人目が気になってしょうがなくなるという認知の歪みの発生が、自己に対する過度の注意をもたらし、その注意がさらに不安をもたらすという悪循環に陥るのです。
① まずは不安コントロール技法を身に着ける(呼吸法など)
② 認知の合理的な再構成。(書き出してみるなど)
③ 段階的に不安な状態にさらして、回避行動を修正していく
これは、にんじんが精神的なストレスに対してとってきた態度そのものです。「考え方を変える」「体のほうをなんとかする」のふたつがにんじんの心理的な基本戦略ですが、認知療法は前者に当たります。
森田療法
森田療法はやや特殊に映るかもしれません。
社会不安が起きる原因を、羞恥恐怖として見ます。「堂々としてなくちゃ」という思いにあまりにとらわれすぎるあまりに、社会不安が起きているのです。治療はそのとらわれを抜け出して、「あるがまま」を目指します。あるがままというのは、湧き上がる恐怖に対して何かをする(「はからう」)のをやめることです。
自分がやりがちな行動パターンを反省し、評価基準を置きなおし、「自分が何を求めているのか」を問いかけながら治療を進めていきます。
こうあるべきだとか、自分の欲求を見つめなおすという感じでしょうか。
にんじんの「体のほうをなんとかする」というのは森田療法の話を聞いて思いついたものです。心の中でどう思おうが、体は状況に合わせてしっかり働いてくれるので、ありのままに、体のほうを整えよう……という。
行動パターンを反省するとは、たとえば、人の視線を感じたときについ舌が口の中で浮いてしまうとしましょう。飲み込みの動作は舌を口の上に押し付けて圧力をかけて食道に運ぶので、これでは飲み込みがスムーズにできません。だから、『舌の位置を確認する』のです。
そんな風に解釈していますが、森田療法はかなりわかりづらいところがあるので、しっかり理解するにはきちんと入門書にあたってもらう必要があります。
たとえば不眠症ですが、森田療法ではそもそも「眠れない」という症状はあまり気にしません。「不安だけれど眠れなくてもしかたがない」として、不安とつきあいながら生活していこうとする態度が必要だとあります。そうすると、体をなんとかしようというにんじんの解釈はやや攻撃的すぎることになるでしょうか。