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『多文化世界』で知る、文化に住み着くわたしたち🥕

 本日読みたい本は『多文化世界』です。

 

多文化世界 -- 違いを学び未来への道を探る 原書第3版

多文化世界 -- 違いを学び未来への道を探る 原書第3版

 

 

 メンタル・プログラムとは、どのように考え、感じ、行動するかについてのパターンをいいます。もちろんこれによって決定されるのは行動のごく一部であり、しかも場合によってはそれと外れた行動を選択することもできます。この概念がもたらすのは、その人が成長してきた社会環境によって、その人の行動や反応がある程度まで予測できるということだけです。そうしてこれが広義の文化と呼ばれるものでもあります。

 メンタル・プログラムには三つの階層があります。下図を見てください。

 

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 真ん中にあるものが「集団・カテゴリー」において「学習」される狭義の文化です。文化の概念を表現する四つの要素を確認しておきましょう。

 ひとつはシンボル。ふたつはヒーロー。みっつは儀礼。よっつは価値観。です。

 

 シンボルとは、同じ文化を共有している人々だけが理解できる、特別な意味を持つ言葉、しぐさ、絵柄、あるいは物。たとえば言葉遣い・俗語、服装、髪型、旗、ステータスです。シンボルは非常に移ろいやすく、新たなシンボルは簡単に生まれ、簡単に消えていきます。文化の最も表層にあるものです。

 ヒーローとは、その文化で非常に高く評価される特徴を備えていて、人々の行動のモデルとされる、実在又は虚構の人物。

 儀礼とは、人々が集団で行うものであるが、望ましい目的に到達するための手段としては、なんの役にも立たないもの。しかしその文化圏の人々にとっては、社会的になくてはならないもの。たとえば宗教的儀礼が分かりやすいが、社会的儀礼もそれに含まれる。挨拶の仕方、尊敬の表し方、言説・文章・会話・コミュニケーションにおける表現方法。

 価値観とは、ある状態の方が他の状態よりも好ましいと思う傾向。これが文化の核にあたり、儀礼、ヒーロー、シンボルに向かって文化を形成している。

 

 シンボル・ヒーロー・儀礼が人々の目に触れるとき、それは慣行と呼ばれる。慣行は文化圏に属さない人にも見ることができるが、その文化的意味は理解できない。

 

 

価値観は、わたしたちの人生で早い時期に形成される。そして文化から逃れることはできない。赤ん坊は単独で生きていくことはできず、集団を維持するためには明文化されている・いないに関わらず、ルールを持つことが条件だ。生まれた時周りにどんな人がいたか。どんなふうに過ごしたか。あなたが泣いたときどうなったか、そんなところまで価値観は滑り込む。

 わたしたちの持つルールは、明らかに、ウチとソトの扱いを分ける。道徳的なルールのこうした線引きをモラル・サークルと呼ぶ。曰く、『モラル・サークルの内側のメンバーだけが、完全な権利と義務を有する』(多文化世界 -- 違いを学び未来への道を探る 原書第3版)。わたしたしのメンタル・プログラムは、モラル・サークル内部の生活に合わせられる。だからこそ、シンボルやヒーロー、儀礼にも影響してくる(当然、価値観にも)。

 集団内の意見の不一致を解決するために、政治がある。モラル・サークルの土地争いは頻繁に起こり、宗教で「我こそが」と争ったりする。すべての人間が一つのモラル・サークルに属すると考えるのが世界人権宣言であろう。モラル・サークルの中に動物を含めて考える者もいる。

 つまり、文化とは内側の人間と仲良くする方法を示すのと同時に、外にいる人間にどう接するか、どう内側に迎え入れるかということも示す。

 

 そのようなわけで、社会科学者の使う「内集団」と「外集団」という言葉が光ってくる。また心理学者の言うように「内集団バイアス」というものがあるのも、だいぶはっきりしている。『人間の社会活動の多くは、集団との象徴的な結びつきを明確に維持することに費やされている』(多文化世界 -- 違いを学び未来への道を探る 原書第3版)。たとえば自分自身がどんな人間なのかと問われたら、「集団への帰属」か「集団から貴ばれる個人の属性」のどちらかである可能性が高い。

 われわれは儀礼に時間を費やす。それらは大抵、モラル・サークルの強化が目的であるが、その目的を意識することは少ない。

 

 

 文化は重層的である。国家、言語、性別、世代、社会階級、組織・企業等々が主たるところで、それぞれにおいて矛盾することもある。だからこそ、そうしたときにどういう行動をするのか、予測することは難しくなる。

 世界はこうしている今も変化し、生活から何かが消え去り、そして新しいものが生まれてくる。文化の変容は、慣行が一番早い。新たなシンボルを得るのも早かろう。新たなヒーローが出現し、新たな儀礼(eメールとか)を通じてコミュニケーションを図るご老人もいるかもしれない。しかし核にある価値観だけは、比較的安定しており、ゆっくりとしか変化しない。

 要するに、我々の価値観は余程の事でない限り変化しない。オセロというゲームだけはずっと続けているのに、コマを紙で代用したり、それが無くなったので将棋の駒を使ってみたり、使用するおもちゃが変わるだけである。

 

 

文化における研究は、移ろいやすい慣行よりもむしろその価値観を見ようとするところから始まる。人々の慣行を見ることで価値観を推論する方法は手間がかかるし、難しい。だから一般にはある質問に対していくつかの選択肢を用意してそれに答えてもらうことで、価値観を得ようする。しかし当然ながら、「望ましいもの」「現実に求めるもの」は異なってくる。この区別をしなければ、同じ研究から真逆の結果が生まれてくることもある。

 たとえば「労働時間が短いことと、給料が多くもらえることのどっちがいい?」と訊いたとしよう。労働時間が短いほうがいいと答えた人も、実際その場面に直面すれば給与をとることもある。「現実に求めるもの」は実際的な問題と関連が深い。

  •  望ましいものについて尋ねるときは、回答者自身の意見というより一般論的になる。よいー悪い、すべきーすべきでないといったような選択肢が用いられる。『管理職の行う決定に社員はもっと参加するべきである』
  •  現実に求めるものについて尋ねる時は、回答者自身の意見が重要で、「あなたは」が大事になる。『あなたは、通常、決定を行う前に部下に相談するタイプの管理職のもとで働きたい』

 

 文化には四つの次元がある。これは世界中どの国を見ても直面している問題とそれに対する解決策を整理したものである。これにより各国の特徴は四つの数値によってあらわされる。

 

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 女性らしさ男性らしさとは、人生において何を重視するかということである。業績や名誉、成功が大事なのが「男性らしさ」と名付けられたほうで、謙虚さや他者への奉仕が「女性らしさ」と名付けられたほう。誤解を招きやすいですね。