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『インターネットについて 哲学的考察』を読んでみた🥕

 本日のテーマは「インターネットの哲学」です。第一章だけまとめ。

 要約に沿って主張を並べれば、

  1.  ハイパーリンクの限界。われわれの身体の形と運動は、世界の理解にとって決定的な役割を担っている。それゆえに身体性の欠如は関連性を認識する能力を喪失させる
  2.  遠隔学習の夢想。関わり合いと現前なしには、技能を習得することは不可能
  3.  テレプレゼンスは本質的に背景的対処と背景的調整を欠き、人々と事物に対するリアリティの感覚を喪失させる
  4.  オンラインでの仮想的なコミットメントの匿名性と安全性は、意味を欠いた生活をもたらす

 

インターネットについて―哲学的考察 (Thinking in action)

インターネットについて―哲学的考察 (Thinking in action)

  • 作者: ヒューバート・L.ドレイファス,Hubert L. Dreyfus,石原孝二
  • 出版社/メーカー: 産業図書
  • 発売日: 2002/03
  • メディア: 単行本
  • 購入: 4人 クリック: 82回
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第一章 ハイパーリンクに関する誇大宣伝

 ウェブページは一日10万ページ以上の速度で数を増やし続けている。乱雑な情報を繋ぐのはハイパーリンクであるが、ひと昔前の個人サイトの「リンク集」で見られるように、自分がたまたま思いついた理由でてきとうに繋ぐことができるから、作成者の勝手な連想で繋がりが簡単に生まれる。これは伝統的な(つまり、「これまでの」)情報の扱い方とは異なるものである

  •  伝統的な情報管理、たとえば図書館の図書分類などは、項目の意味とユーザーの関心を考慮に入れていた。新たな情報は一旦つくられた分類表とつき合わせることによって組み込まれていく。ある大学教授の指摘では、伝統的な分類図式は常に「実践」と結びつけられていた。一方、ウェブ上のリンクは何を何と結びつけてもよい勝手気ままなものであり、勝手気ままに繁殖するため、「実践」などそこにはない。
  •  生物→動物→哺乳類→犬→コリーといったように上位カテゴリーから下位カテゴリーによって情報を組織するという伝統的な手法は、ハイパーリンクには見られない。それは単に結合しているだけであって、いかなる階層も存在せず、ただ、他のものに結び付けられている。たとえば「犬のページ」をクリックしたあなたは、テレビ番組の「おかあさんといっしょ」のキャラクターであるワンワンのページにアクセスすることができる。

 一言でいえば、伝統的な情報組織は意味論的構造、ハイパーリンク文化は形式的構造という相違点がある。たとえばハイパーリンク文化を図書館に持ち込んだとき、そこを訪れるユーザーは意味のあるものを集める主体ではなく、より多くの情報にアクセスする主体なのである。一般的な図書館の利用者は「自然科学に興味があるな。この棚(400番台)だな。数学はここか(410番台)。代数学は、ここか(411番台)」と、これほどスムーズでないにしても、情報に達することができるのに対して、ハイパーリンク図書館は「はいコレ。コレといえばアレ。アレといえばソレ」という連想ゲームで情報を漁っていく。ここにはそもそも情報に達するとかそういうものはない。情報はあればあるほどよい。もっと正確に言えば、『意味と有用性よりも驚きと驚異の方が重要』(インターネットについて―哲学的考察 (Thinking in action))なのである。ある媒体の編集長が言うには、「インターネットは、伝統や確立された秩序、ヒエラルキーに対して全く礼儀知らずであり、そしてそれゆえにこそ、極めてアメリカ的なのである」という。アメリカ的かどうかはともかく、ハイパーリンクによる情報の繋がりは図書分類法と比べて、見ず知らずの権威あるオッサンが決めていない。だからこそ、ヒエラルキーと権威を拒絶したがる人々にとってはとりわけ魅力的なのである。多分こういうことだろう。「わたしたちは自由だ」。

 

 そんなハイパーリンクの問題点は、特定の情報に達することの困難さにもある。つまり、『特定の目的に関連する情報を、その目的のために組織されたのではないデータベースから検索しようとするとき』に困難に出くわすのだ。次はこの検索というものについて考えてみよう

 アクセスに関する問題は、ウェブページの増大を見ても明らかである。ハイパーリンクは階層がなく、すべてが平等で、しかしそれゆえに特定の何かに突き当たるのが難しい。ちょっとこのあたりで組織しておくか、と思っても、このブログ記事を書いているあいだも、というよりこの記事を書くことによっても既にウェブページは増えつつあるのである。そこで目をつけられたのは人工知能であった。人間が「これとこれは関連するな」としていく作業を、コンピュータに任せることにしたのである。

 しかし、そこで重大な問題に突き当たってしまった。なんと人工知能を作り出すためにはわれわれが共有している常識的知識を明示化して並べて見せなくてはいけなくなったのだ(コンピュータには何ができないか―哲学的人工知能批判)。常識的知識とは、「Aさんが八百屋にいます」といったときに「Aさんの右腕も八百屋にある」し、「Aさんが死んだら彼はずっと死んだままだ」といったような、普段は注意すら向けない知識の事である。コンピュータは腕立て伏せする人の写真に『この人は努力しています』というラベルを貼り付けることによってようやく「この人はリラックスしていない」と推定することができる。

 常識的知識のデータベースCYCに、「人はガムを噛みながら口笛を吹けるか」を質問して見たら、きっとCYCは困惑するだろう。つまり答えられない。そこで生きた人が想像したり実際に試したりしてみて、CYCにその情報を付け足す。このような常識的知識は恐ろしいほど膨大に、というより無限に現れる。人間は身体をもっており、身体的にこれを理解しているため、そんな情報を保存しておく必要がない。そして登録した情報は、日に日に変化する。仮に今の常識的知識がすべてCYCに登録されたとしても、今度は世界の変化手続きをプログラムしなければならない――ここで我々はかの有名な「フレーム問題」に叩きつけられる。*1

 列挙するのは土台不可能そうだということで様々な手段が講じられてきた。しかしどれも実現していない。残念ながら「機械は意味を理解できないし、人間的な判断が資料を索引に載せたり分類したりする際に原理的に用いている能力を再現することもできない」。

 

 関連性の理解のためには常識が必要である。サーチ・エンジンはウェブページのクリック回数等々を調査することによって情報に行き当たる適合率を上げようとしてきたが、その努力があっても期待できる適合率は30%程度である。

 一つ確実なことは、身体を捨て去り統語論的なウェブ・クローラーとサーチ・エンジンに依存するようになったネット・ユーザーたちは、自分が望む情報を見つけることもたまにはありそうだという希望を胸にしながら、成長するウェブのジャンクの山をかき分けて情報を拾っていくはめになるだろうということである。

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  • 作者: ヒューバート・L.ドレイファス,Hubert L. Dreyfus,石原孝二
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*1:フレーム問題とは、「特定の状況におけるある変化が、何に影響を与え、何に影響を与えないかをどのように効率的に表現するか」、もっと広くは「特定の状況に置いて、何が関連し、何が関連しないか」という問題である。