にんじんブログ

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大人と子供について

 大人とはなにか、あるいは、子供とはなにか。

 それは法律などにおける規定に関する問いではなく、むしろ、そのように規定させしむる根源に関する問いであろうと思われます。わたしたちがそれを問うのはなぜでしょうか。自分が「大人」の側でありたいから、あるいは「子供」の側でありたいからでしょうか。なんにせよ、むしろそのような願望のなかにも「大人」や「子供」があります。それをことばで再確認するか、あるいはその概念、カテゴリーを問い直し、明示化しようとしているのです。

 「明日は子どもが家に来るんですよ」と言われて、かの人に息子・娘がいない場合、わたしたちはその人の家に来る子供が白髪に、白いあごひげに、でっぷりとした、サンタみたいなやつだとは考えないでしょう。一方で、もし彼が戸籍を見せてくれて、年齢が14歳であることが明らかとなったとしても、わたしたちはなお、彼のことを子どもと呼ぶつもりにはならないでしょう。しかし、もしも彼がプレゼントを受け取った時、高い声で「わあ~」とはしゃいでいたら、子供だなあと思うかもしれません。

 子供というものの範例的なイメージがあり、それとどれぐらいかけ離れているかが子供か否かを決めるのでしょうか。まるで「赤色」の色見本を見ながら、朱色を見て「う~ん、これはだいたい赤色だな」というように? わたしたちの頭のなかにはこのような「見本」がたくさんあって、それらをすべて収納しているのでしょうか――—まぁそうだとしても、なぜその「見本」を「見本」として選んだのか、結局のところもとの問いに戻ってしまうのですが。

 

 わたしたちは子どもというもののなかにある一種の「幼さ」を認めているように思われます。身長が低い、能力が低いなど、発達し来たるものの低さです。そもそも「幼い」という言葉は「をさ(長)」が「ない」、つまりまだあまり発達していないというような語源を持ちます。子どもと幼さが切り離せない関係なのか、という問題はありますが。

 子供というものをだんだんと発達していく、その途上にあるものとみなすなら、当然人生、生きていくことの時期区分というものが認められていなければなりません。ある意味で、大人と対置されると同時に、老年と対置され、親とも対置され、さまざまな極が子どもです。フィリップ・アリエス〈子供〉の誕生―アンシァン・レジーム期の子供と家族生活において、子供という言葉が生まれてきたのは中世以後のことで、かなり新しいという話をしています。いや、そもそも「年齢を数える」ということ自体がほとんど行われておらず、親でさえも「えっ、いくつだったっけうちの子……」と言うし、そのことを示すように、そもそも生年月日すらよくわからないという始末です。

 生年月日、年齢を知らないのは、そもそもそんなもん知る必要がないからで、アリエスは現代の書類を見ても、古くに起源をもつものはたいてい年齢を必要としていないことを指摘しています。新しくできたものは大抵生年月日を要求してきますが。しかしだんだんそのような数字が個人を特徴づける数字になり、果てはナンバーによって個人が表されるだろうなという話もしていますが、「あっ、マイナンバー」という感じがしないでもありません。通知カードをマジのカードにしてるやつっているのか? というマイナンバーですが、みなさんお使いになられていますか?

 

 何らかの人生におけるスケジュール、「数える」ということ、年齢に応じた社会制度の創設、そういうことが子どもというものを作って来たということです。まぁ要するにそこまで「当たり前」の区別ではないということです。

 よく言われることではありますが、「こども」というのは「こ」と「ども」の組み合わせであり、「ども」とは複数を表す接尾語です。別に供えてるわけじゃないです。複数のものが単数に使われるようになるというのはよくある話で、たとえば「兵隊」というのは一個の組織のことを表すのに、いつのまにか「兵隊さん」とか言ったりしている。そう思うと、最初は子どもも「わらわらしてる未熟者ども」を指さして「はぁ~アイツらはよぉ~」と言われていたのかもしれません。

 はい、で、中国の漢字になりますと、「子」という字は「了」から来ております。別に「はい終わり」というわけではなく、「了」という字に両腕をつけたのが「子」です。「了」の上の部分が丸っこく書かれていたので、頭部が大きく、ふにゃっとした感じのやつを「子」と表示したわけですね。象形文字です。

 赤ん坊は一人だと死にますので、そういう意味で、間違いなく守るべき対象としてほかとは区別された存在だったことでしょう。始源においてはマジの「ベイビー」が「子」だったのかもしれません。そうすると子どもが先で、大人があとなのでしょうか。

 

 

〈子供〉の誕生―アンシァン・レジーム期の子供と家族生活