哲学者・アリストテレス
アリストテレスは紀元前384年にトラキア地方のスタゲイラスで生まれた。
- 歴史について調べると必ずといっていいほど知らない地名が出てくる。日本でないからなおさらである。トラキア地方というのは、現在でいうバルカン半島の南東部のことを指す(トラキア - Wikipedia)。現在のトルコからエーゲ海を挟んで北西のほうがトラキア地方にあたるが、このあたりは哲学史をちょろっと触っただけでも真っ先に出てくる地域である。なにしろ、西洋哲学の始まりであるイオニア地方のミレトスが目と鼻の先にあるからだ。アテネだとか、スパルタだとか、お馴染みの地名が密集しているから、調べてみると楽しいだろう。ちなみに、アサシン クリード オデッセイというゲームはソクラテスがいた頃の古代ギリシャを舞台にしている。
アリストテレスはすくすくと成長し、17歳になるとアテナイへ向かい、プラトン先輩のアカデメイアに入門する。
- トルコからエーゲ海を挟んで北西のほうに故郷のスタゲイラスがある。アテナイは北西ではなくほぼまっすぐ西へ行ったところにある。アテナイといえば、ソクラテス大先輩の生まれ故郷でもある。
- プラトン先輩はソクラテスの弟子である。プラトン先輩が書いた本はソクラテスが色んな人と対話していく形式をとっている。時期から見てプラトンが同席したはずがないので創作なのは間違いない。
- アカデメイアとは、プラトンが設立した学園のことである。ちなみにアリストテレス(17)がやってきたとき、プラトンは60歳だった。
アリストテレスが37歳になる頃、プラトンが亡くなった。彼はアッソスという町に向かい、2,3年の時を過ごす。アッソスという町は、ミレトスのちょい上ぐらいにある。彼はここでの数年と、その後数年を動物の研究に捧げた。それからアッソスそばにあるレスボス島、それからマケドニアと場所を転々としながら、彼は49歳のときにアテナイに帰って来る。そしてアテナイにある「リュケイオン」という地に自分の学園を建てた。
アリストテレスはマケドニア王家との親交を持っていたため(王子の教育なども頼まれていた)、王位を継いだマケドニア王子が遠征中に倒れたのをきっかけにアテナイ人は反マケドニア感情を爆発させ、アリストテレスをアテナイから蹴りだした。ちなみにアリストテレスが教育していたのは、アレキサンダー大王として名を馳せるアレクサンドロス3世であった。
彼はアテナイを蹴りだされた翌年、病気にかかり亡くなった。63歳だった。