にんじんブログ

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にんじんと読む「どうすれば幸福になれるか(B・W・ウルフ)」🥕 第三章までで終了

第一章 基本原則

 人生に対する態度にはみっつある。植物・ビジネスマン・芸術家。植物「自らの運命に身を任せ生活を最低レベルに落とし本も読まずただ生まれ、飯を食い、年を重ね、死ねばよろしい」という。ビジネスマン「勝利を求めよ」という。それは利益だ。そして芸術家はこういう。「そこに何を表現できるか?」しかしそれは利己的なものではない。芸術は人のためにある。われわれが目指すべきなのは芸術家である。

 幸福とはなにかについて知っている人はほとんどいない。といってもほんとうに幸せな人というのは幸福について云々している形而上学者というよりも、ボートを造ったり、息子をしつけたり、ダリアを育てていたり、ゴビ砂漠で恐竜の卵を探しているひとである。彼らは幸福が隠れていると思って石の裏をめくりつづけているわけではない、すなわち幸福自体をゴールとしているわけではない。むしろ一日二十四時間を生きていく過程で幸せだと気づく。幸福は「状態」ではない。

 よく生きることは自己彫刻のプロセスに似ている。ここにおいて芸術家は四つの基本的な知恵をマスターせねばならない。①素材、②技能、③芸術の目的、④そして取り組む勇気。これらのいずれかを間違えることによって人は不幸になる。

 人間は幼児期の動的な力によって決定された固定的な行動パターンを持ち続ける(心の慣性の法則。要するに心に残ったパターンを何かない限りは永久に繰り返してしまうわけで、その繰り返しのパターンにすら気づいていない場合がある。われわれはまずわれわれについて知らなければならない。次にこれを理解するための十二の法則を紹介しよう。

  1.  人間はだれしも子どもとして自分の不完全さを経験する 要するにできないことがあることを自覚するわけで、幸福がなんだとかいっているやつは必ずこの段階を経ている。
  2.  人間はすべて、完全性と全体性という目標に向かって成長する  人間は目標というものを幼少期から無意識のうちにデザインしている。この目標は具体的には「金持ちになりたい」とか「偉大な人になりたい」とか「世界中のものを見て回りたい」だとか、そういう決まり文句として表されることが多い。
  3.  個人の人生の目標は、ふつうその人に欠けている部分の完全な補償あるいは過補償として現れる 幼少期の目標はその子にとって完全な全知全能と思える人のなかに具体化される。醜いアヒルの子は品位ある白鳥を理想化する。
  4.  個々人のライフパターンの目標は、まだ批判能力が未発達のときに決まってしまう。それゆえ本人が欠陥と思ってるだけで実際はわからないのに目標が決まる
  5.  どんな人の人生も「マイナス」と信じ込んでいる状況から、「プラス」と思いこんでいる目標に向かうパターンに従っている。いったん目標となる概念、状況が無意識のうちに固定されてしまうと、それが磁石のように働く。
  6.  人間は自分のパターンの枠外では何もできない
  7.  目標は慣性の法則に従う
  8.  人間はつねに集団で生活してきたし、これからもそうしなければならない
  9.  人はみな自分の経験を自らのライフパターンにはめこむ
  10.  個人が達成しなければならない問題は大きく分けて社会、仕事、性である。
  11.  目標を追求していく過程で利用する道具と技法の蓄積が性格とパーソナリティを構成する。
  12.  幸福とは、まさに人間として完全で成功した人の属性である

 要するに幼少期に形成した目標は、実際どうであるかはともかく自分の欠点を補償するように形づくられてしまい、何かない限りずっとそれを維持し続けてしまう。その目標追及がその人を形作っていき、それを練り上げていくなかで「よい人間」となり、「幸福な人」となる……というわけだろうと思います。

 

 

 

第二章 素材について

 自然はマイナスの部分を見つけると、それを二倍のプラスに置き換える傾向がある。たとえば骨折したことのある骨は他の骨よりも強くなっているように。そして人間の不充足感もまた、これを補償するように人間を動かすのである。

 他の動物に比べて、人間は他者に対する依存度がきわめて高い。幼児期は長いし、肉体はよわいし、しかし脳だけは早めに成長するので、人間は自らの不完全さを早いうちに体験する。生じた劣等感は社会生活への適応によって補償される。安全で幸福になるためには、たとえば労働や性の問題に対して決然たる態度で臨み、自分の住んでいる社会集団の要請に従って解決していかなければならない。

 逆にいうと社会不適合者は、仲間からハブられてキャンプファイヤーを遠巻きに眺めている原始人と同じぐらい不安である。彼らの次なる行動はおおきく二種に分けられる。ひとつは社会集団との架け橋をつくろうとすること。もうひとつは安全を確保するために壁を設けることである。後者の人は敵地に乗り込んでいる兵隊のようにつねに緊張しきっているので、普通の人が安全だと感じる場面で恐怖を感じ、神経症などを発症する。《仲間との架け橋を作るよりも自分の回りに壁をつくって安全や幸福を確保するほうが楽だ》という考えは根強いが、彼らから不安が消えることは決してない。彼は常に敵地におり、安心することなどないからである。耐えがたい孤立から抜け出すためには自殺や精神異常、犯罪行為に走ることもあるが、幸福につながることはまったくない。

 調子が悪くなれば人生の最前線から撤退できるので、精神科医をだましてこれを利用する人も多い。犯罪者や紳士気取りの俗物、粗野なマナー、約束破り、苦しみに対する無感動、議論好き、過度のプライド、聖人のような謙遜、あるいは「まったく働きたくない」「仕事は厄介の種」、そして性にかかわる問題。異性を徹底的に避け嫌ったり、性倒錯でふつうの性の問題を回避しようとしたり、性は罪深いものだとみなす。また性をゲームだとみなし闘いの場だと考える人たちも性への適応にまったく乗り気ではない――――まぁようするに人生に対して肯定的な立場はとらないし、徳はないし、非難と呪いが得意技だというわけで、幸福には程遠い。

 

 しかしありがたいことにソクラテスはこう言っている。「徳は習得できる」。劣等コンプレックスを払しょくすることはできるし、幸福を目指すならば払しょくしなければならない。そして、幸福を目指さない人はいない――――劣等コンプレックスとはなにか? それは人生の課題を建設的に対処することを避ける口実として劣等感を用いることである。

 

 ***

 

<にんじんメモ>

 人間が終生依存的なものであることは認めるし、社会生活が重要なものであることは認めるが、特定の「こうあるべき」社会生活を指図されるいわれはまったくない。たとえばこう書かれている。これは2020年にはほとんど受け入れられるものではないだろう。:《最後に、同性愛という複雑な現象も劣等感を表している。一般に信じられているのとは違って、同性愛は生得の気質ではない。おそらく、子ども時代のひどい条件による影響を自分自身で課した精神的な訓練によって強化したものだろう。同性愛を検証してみると、心の奥深く、ほとんど無意識に異性に対する恐れや結婚、妊娠に伴う責任に対する恐れが内在していることがわかる》。

 要するに同性愛者は異性愛に目覚めたほうが社会適応的で幸せだという話になる。同性パートナーとは円満にお別れして異性と結婚するのが適切であり、それができないということは恐れているのだと言われているわけだ。「無意識にそう思っている」という言葉ほど気楽なものはない。

 アンナ・カレーニナにおいて《幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである。》という言葉があり、幸福は似たりよったりだと言われているが、にんじんはそんなことはないと思う。

 

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第三章 障害について

 第二章において、幸福を阻む障害は「恐れ」「無知」「失望」であることがわかった。これを生じせしめる源は七つある。

  1.  肉体的欠陥や病気 ー 美醜も含む。
  2.  家族状況の力学 - 家族の成員、年齢差、兄弟、人数等々
  3.  性 - 男女差別。
  4.  社会的・経済的・人種上の不利益
  5.  親や教師の間違った感情表現 -親や教師がカス
  6.  正式教育の誤謬 -そもそも教育システムがゴミ
  7.  人生とその価値に対するきわめて主観的な誤解 -あなたの心の傷

 しかしこのどれもが「こうあってはもう幸福にはなれない」ような決定的なものではない。どこからでもわれわれは幸福に向けて歩き出すことができる。

 

 

 

 

~終~