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解釈学について

 

古典的解釈学

 19世紀、ベックやシュライエルマッハーによって体系化されていた解釈学は「文献」を主題としたものだった。それは解釈学という言葉のあらわす通り、《テクストに対する解釈の技法の理論》であり、古代ギリシャにおいては神託や夢、詩の解釈などが行われた。中世に至っては聖書や法のテクスト解釈も求められるようになり、近世に至り個別的な解釈学(特殊解釈学)を取りまとめる一般解釈学が整備されるようになったのである。

 たとえば古代ギリシャの人々が書いたテクストを解釈すること。これは当時と現在の人々の精神にどこかで繋がりがあるからこそ理解ができるのだとされた。あとは教養を積むだけだ。しかし、解釈学の対象はそのような古典的テクストだけではなく、日常的な会話でも同じだとしたのが19世紀の仕事であって、語るものと受け取るものが持つ基本的な関係は「精神」などではなく「言語」であり、《その基本条件をなす規則を相互の完全な連関を含む形で抽出するのが解釈学の一般理論である》とした。解釈にあたってはその言語の「文法」のみならず語り手の「心理」も重要で、これらの二側面を踏まえなければならない。

 

ジャン・グロンダン『解釈学』から

 解釈学hermeneticaという用語自体はヨーハン・コンラッド・ダンハウアー(1603-1666)がそれまでは解釈の技と呼ばれていたものを命名するために発明した。上述したように、ここでは解釈学と言うものは、聖なる文書を説明する方法、つまり意味の理解に達する方法ないし作業のことだった。

 解釈という語の意味はギリシャ語の動詞hermeneueinに由来し、「話すことの過程」(言う、言表する)と同時に「翻訳」を指す。つまり意味の伝達に関わるものであり、①思考から言説へ、②言説から思考へという二つの大きな方向がある。これは表現と翻訳と言ってもよい。

 内的言説から外的言説へと流れたテクストを解釈するにあたっては、外的言説から内的言説へと向かわなければならない。この「解釈学的努力」をするにおいては、当の表現の「修辞学的努力」(うまく言おうとする、効果的に言おうとする)を認めなければならない。これゆえ多くの解釈学の大理論家はみなほとんど常に修辞学の教師であった。

 プラトンがいったように、《言説は生きた組織体のように構成しなければならないのであって、そこでは諸部分は全体に仕えるべく配置される。ある文書の諸部分は一つの言説が構成する全体とその全般的意図から発して理解されなければならない》(解釈学 (文庫クセジュ))。

 

 シュライエルマッハーは大文献学者にして神学者、哲学者、古典的解釈学の理論家だった。彼が育成されたハレという場所は解釈学の一大中心地であった。彼は解釈学の大理論家たちにならって、「すべて理解する行為は言説行為を逆転することであって、それによって、言説の基礎にどのような思考があるかが意識されねばならない」といっている。「我々は思考のうちに、著者が表現せんと欲したのと同じものを探す」―――解釈学は修辞学の逆転と理解されるのである。

 解釈学の「任務は言語から出発して言説の意味を理解することである」。しかし文法的な解釈だけでなく、そのテクストのなかに個人の魂をみるような心理学的な解釈も行われなければならないだろう。シュライエルマッハーは、理解のし損ない、ということを自然なことだとし、絶えず闘わなければならないのだと前提した。それまでの解釈学においては理解し損ないはむしろ例外的なことだったのだ――書いてあることを書いてある通りに読んでいるんだから! だからこそシュライエルマッハーは理解し損ないと闘うための武器を用意する必要があった。聖書を読むにしろ、法を読むにしろ、個別的なものに取り掛かるより前に、それらに共通する基本装備をしつらえようとした。「解釈学の仕事は理解が不確かになるときのみならず、言説の理解を目指すあらゆる企てのすでに開始点から介入しなければならない」。

 開始点から必要とされるようになった解釈学は、もはや単に「読む」技術ではなくなった。それは作者と同じように考え、その足跡をひとつひとつたどるような、「再構築」の技術となった。カントはこう言っている。:「我々は、プラトンが自分自身を理解したよりもっとよく彼を理解し得るとしても何ら驚くに当たらない。《なぜなら彼自身が自分の概念を十分に規定しなかったのだから》」。それを理解するとは、それの生成を再構築する、という意味になっていく。これはシュライエルマッハーの一般解釈学においてもそうである。「解釈学の任務は、作家の制作活動の全過程を可能な限り完璧に再現することにある」。

 そして遂にシュライエルマッハーはこの解釈学の作業が「打ち解けた会話の最中に」使われていることに気づく。今やすべてが解釈学の対象と捉えられたのだ。他者の言説はたとえそれが同時代人でも、常にどこか奇異なものである。

 

解釈学 (文庫クセジュ)

解釈学 (文庫クセジュ)

 

 

ディルタイ解釈学

 シュライエルマッハーにおいては解釈学は(おおまかには)文献学の一学科であったが、ディルタイにおいては《あるタイプの学問を構成する諸々の方法についての考察》としてあらわれる。

 カントが純粋理性批判によって成そうとしたことは、【自然科学の確実性を基礎づけ、それと同時に形而上学の可能性を立て直すこと】であった。にんじんと読む「カント(岩崎武雄)」🥕 - にんじんブログ

 彼の哲学は経験科学にはっきりとした位置づけを与えたが、一方で、人文科学についてはそうではなかった。ディルタイはそうした時代の趨勢をみながら、この人文科学においてもそれを明確に根拠づけるような方法論があればと願ったのである。

 

 ディルタイはそのために「説明する」ことと「理解する」こととのあいだの区別に注目した。自然科学が仮説と一般法則から諸々の現象を説明するのに対して、人文諸学は歴史的な個性をその外部的な表出に基づいて理解しようと欲する(解釈学 (文庫クセジュ))。つまり説明が自然科学、理解が人文科学だというわけだ。そしてそれはシュライエルマッハーの体系化した古典的解釈学が目指していた、解釈による作者の思考の読み取りに求められる。ここにおいて、解釈学はこれまでとは違う全く新しい一歩を踏み出すことになった―――人文科学の基礎づけ!

 そしてディルタイの思想は後期に至り、《人文諸学で展開される理解とは、生における理解と表明の探究の延長以外の何ものでもない》という考えに達する。そして《「生そのものは」多様な表現の形を通して「分節されていて」、人文諸学は、それらがそこから奔出する生きられたものを再創造することによって、それらの表現の形を理解しようと努めるのである》。つまり解釈学は人文諸学の方法論である以上に、生そのもんが行っているもっとずっと根源的な意味と表現の探究の現われなのだ。

 

 

シュライアマハーの解釈学: 近代解釈学の成立史

シュライアマハーの解釈学: 近代解釈学の成立史

  • 作者:桑原 俊介
  • 発売日: 2016/01/29
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※古代の解釈学

 解釈学のはじまりは「技術としての解釈学」だった。

 それは前八世紀、古典ギリシャ時代のホメロスの詩句の解釈にはじまる。吟遊詩人たちは時代が下るにつれ、先人たちの詠った詩に読めない箇所がでてきた。その理解困難な箇所について、そこを自分自身で解釈し、ときには自分の言葉に置き換えた。この吟遊詩人たちの体系的とはいえないホメロス解釈がいま現在につながる解釈学の歴史のはじまりだった。やがて解釈は詩句だけでなく、神託、占いにも向けられる。その技術はヘルメーネウティケーと呼ばれた。それは意味不明な部分を理解可能に移し替えるだけで、やはり解釈は単なる技術にすぎなかった。さらに時代を下ると今度は解釈が聖書にも向けられるようになる。

※ところでこの解釈―――ヘルメーネウィン―――ということばには用法上かなり広がりがある。「解釈する」「説明する」「翻訳する」「通釈する」「言いあらわす」「表現する」などなど。解釈することは、語られること、書かれたことを第三者に理解させることであり、翻訳することは、理解不可能な言葉で語られ、書かれたことを自分たちの言葉で言い換えることであり、言いあらわすことは、ある意味内容を言葉によって他者に伝えることである。したがってヘルメーネウィンする者は、すべて何らかの意味で媒介者なのである。

 

 そうとはいえ、このような解釈をもっても、前300年頃にはもはや古典についていけなくなってしまい、独自の文学活動によって活路を見いだそうとした。このときの創作者はみな学者であった。古典は学問の対象とされ、プトレマイオス2世によって創設されたアレクサンドリア図書館に集められたおびただしい文献をもとに、「アレクサンドリア文献学」がはじまる。学者たちは古典の収集と整理と校訂に忙殺され学問どころではなかったが、前200年に至り、文献学はようやく最盛期を迎える。

 アリストファネス(BC257-180)はホメロスのみならずほとんどすべての詩を校訂し、内容紹介を書き加え、さらには辞書も編集した。これは上述の吟遊詩人たちの技術を越えるものであり、難解なすべての語彙が収められている。テクストの完成というアリストファネスの仕事をもとに、アレクサンドリア第五代図書館長アリスタルコスは解釈の仕事へと進み、一人で八百巻を越える注釈書を書き上げた。「すべての作家は自らその解釈者である」と彼は言ったが、アリスタルコスの解釈はおもに文法的な側面から行われた。

 一方、文法的ではなく、そこにあるかくれた意味を取り出そうとする「寓意的解釈」も行われた。ペルガモン王国にできたペルガモン文献学である。最初はアリストファネスを招いて手ほどきを受けるはずが情勢の影響で妨害されたため、代わりにストア派の哲学者を呼ぶことになった。これによって文献学に哲学的傾向が強くなったのである。たとえばペルガモン文献学の事実上の創設者であるクラーテスは『イリアス』の詩に出てくるアキレスの盾の文様の「十」の部分は実は天球の「十」を示しており古代の天文学的知識が言葉のヴェールに隠されていると考えた。寓意的解釈は宗教的文書については常套手段であり、これによって文書の権威を保つことができた。

 

 文法的解釈と寓意的解釈は聖書解釈をめぐって対立項として浮かび上がってくる。ユダヤ教から受け継がれた旧約聖書の文書は解釈まで受け継がれたわけではない。彼らは自らの派閥こそが伝統的なものだと主張し、そのためにそれを根拠づけられなければならなかった。ここにおいて、解釈は「理解不能」を出発点にすることをやめた。今度は「既成の解釈に対していかに自分の解釈の正当性を主張しうるか」が問題とされるようになったのである。

 

 

 

解釈学 (文庫クセジュ)

解釈学 (文庫クセジュ)

 
シュライアマハーの解釈学: 近代解釈学の成立史

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