認識論は「確かなことなどあるのか」について答えようとする。
これについて懐疑的に答えたのは古代懐疑主義者たちだった。古代懐疑主義はエリスのピュロン(紀元前360年頃 - 紀元前270年頃)により始まり、紀元後200年のセクストス・エンペイリコスの著作『ピュロン主義哲学の概要』において初めてその思想がまとめられる。
セクストスは「ある信念について真であるとか偽であると判断することを控えるべきだ」と言った。判断停止をすることによってわれわれはアタラクシア(精神の平静&肉体の無苦)に至る道をひらくことができるから。もしこれが正しいとか正しくないとかを気にしだすと、これはどうなのかあれはどうなのかと絶えず心が乱されてしまう。われわれはただものごとの現れに従って生きればよいのであって、セクストスはこれをすべての事柄に対して行えると信じていた。
懐疑主義者の論敵は、ドグマティストと呼ばれた。それはなんらかの教義に同意する人々のことで、懐疑主義者とは対極に位置する。懐疑主義者はただ「判断をやめろ」と言っており、ドグマティストは判断することによって何かに同意する。懐疑主義と相対主義は似ているように思われるが、実のところ、相対主義者もドグマティストに数えられるだろう*1。
懐疑主義は「これが知識だ」といえばそこへ行って「それは違う」と言う。プラトンが描いたソクラテスも、様々な人のところへ赴いて知者だと思っている人々の鼻をあかしていく。プラトンの著作を懐疑主義的に解釈していく伝統は、プラトン自身の考えを体系的に述べたものだと解釈するプラトン主義とあわせて大きな伝統のうちのひとつである(プラトン (〈1冊でわかる〉シリーズ))。それが正しいかはともかく、ソクラテスは〈知識〉と〈正しい信念〉を区別するように読者を誘う場面がある。
- なにかの事件があったとして、被害者がありありとそのときの状況をわれわれに説明してくれたとする。それがあまりにありありとしているのでわれわれはそれを正しいと判断するが([正当化された]正しい信念)、果たしてそれは知識だろうか。われわれはただ口のうまい被害者に騙されているのではないか。
現代の懐疑主義者は「知識」を攻撃するが、「正しい信念」は手つかずのまま残す。なにかを知っていると主張することさえなければ彼らは何も言わない。しかし古代の懐疑主義者は信念すら攻撃する。「あなたはこう考えているが、それは根拠のないものですよ」と言う。われわれは知識をすべて失う以上に、信念のすべてを失う。生粋の古代懐疑主義者に火にかけた水を見せて「沸騰するでしょうか」と訊けば「さぁてね」と答えるだろう。
現代の懐疑主義はいわば「哲学的懐疑」である。疑ってかかろうが別に日常生活になんの影響も出ないし放っておいてもいいのだが(ウィトゲンシュタイン『確実性の問題』120節)、しかし古代の懐疑主義は「実践的懐疑」であり、日常を揺るがす。だからこそ、彼らは懐疑主義をすすめる。懐疑主義はわれわれを信念から解放し、アタラクシアを授けてくれる。
古代懐疑主義はその性質上、いかなる教義も掲げない。地位に憧れることもありえない。思想のはじまりとされるエリスのピュロンはなんの本も残さなかったし、彼についてわかっていることは極めて少ない。