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にんじんと読む「〈東洋〉の倫理(中村元)」🥕

 倫理思想においては常に「善をなせ。悪をなしてはならぬ」といわれているが、なにが善でなにが悪かは一致していない。しかしながら他人に益するはたらきは善、他人を害するはたらきは悪と呼ばれる方向だけは同じなようである。

 それは純粋なすがたにおいて〈慈悲〉と呼ばれる。慈とは他人に楽しみを与えることで、悲とは他人の苦しみを除き去ることであると解されている。慈悲の心が具現されているといえるのは母子の関係であり、子に対する心情をもって一切の生きとし生けるものを愛していこうと説かれることもある。こうして万人を友とするに至る。

 とはいえ、慈悲の理想の実現は段階的になされることがらだろう。世の中にはいろいろな人がいる。まずは「親友・中間者・敵対者」の三種にわけ、親友と敵対者を「上・中・下」の三種に分ければ合計で七種に分類される。そして上から順に実現していくのだ。そして次に地域に目を移し、そして地方、国、世界へ広げていこう――――そのように説く思想もある。ともあれ慈悲は他者の幸福を願うことであり、あらゆる徳の根源であるといえるだろう。

 

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  •  父母に対する尊敬を説くということは、その当時、父母を顧みぬような人間が多くいたことを示す。たとえば日本においても老齢になって役に立たなくなった老人を遺棄するおいった「姥捨て」という伝説的習俗があるように、むしろ汎世界的な社会現象であった。日本に限らずインドにおいても古くから父母に対する恩義については説かれており、いろいろな例をあげて、さまざまな守るべき徳目を挙げている。一方で、子どもに対する親のつとめを説くことも忘れなかった。

 

  •  父母は男と女の関係である。性の倫理についてもやはり説かれたことである。原始仏教が説いた男女の倫理は、つつしみのある性であり、少なくとも他人の妻を犯すようなことはするなという世俗的なものである。そして女性というものに対して次のようなことばを残している。

婦女の求めるところは男性であり、心を向けるところは装飾品・化粧品であり、よりどころは子どもであり、執着するところは夫を独占することであり、究極の目標は支配権である。

  •  と言っている。婦女に対するこうした立言は、ある伝説にはじまっている。ある聖者が世界を見通し「地獄の中に堕する女がなぜ多いのか」と仏に聞いたところ、仏は四つの理由をあげた。「珍しいきれいなものを多く求め、嫉妬しやすく、おしゃべりで、見かけを飾って淫することがおおいからだ」お厳しいことである。そういうわけで、女性(に)は特に気を付けるべしとされた。しかしながら、愛し合うのはいいことだとされている。

 

 

“東洋”の倫理 (構造倫理講座)

“東洋”の倫理 (構造倫理講座)

  • 作者:中村 元
  • 発売日: 2005/07/01
  • メディア: 単行本