にんじんブログ

にんじんの生活・勉強の記録です。

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【まとめ】書籍紹介ショート記事

 

菜根譚

 良い本をちょっと紹介するコーナーです。

 今回は菜根譚です。

菜根譚 (岩波文庫)

菜根譚 (岩波文庫)

 

 

 「これ一冊あれば大抵の自己啓発本はいいだろう」と思えるほど充実した内容です。じっくりと読むよりもなにげなくめくってみると「なるほどなあ」と思わされます。

前集50項
福莫福於少事、過莫過於多心。
唯苦事者、方知少事之為福、
唯平心者、始知多心之為過。

福(さいわい)は事少なきより福(ふく)なるはなく、禍(わざわい)は心多きより禍(か)なるはなし。
唯(た)だ事に苦しむ者は、方(はじ)めて事少なきの福たるを知る。
唯(た)だ心を平かにする者は、始めて心多きの禍(わざわい)たるを知る。

人生における幸いは、何よりもできごとが少ないことほど幸いなことはないし、災いは、何よりも気が多いことほど災いなことはない。ただ、平生、できごとの多いのに苦労しているものだけが、はじめて、無事平穏なのが幸いであることを悟り、また、平素、心を平静にするように心がけている者だけが、はじめて、気の多いのが災いのもとであることを悟っている。

三四郎夏目漱石

良い本をちょっと紹介するコーナーです。

今回は有名な「三四郎 (岩波文庫)」です。

 

三四郎 (新潮文庫)

三四郎 (新潮文庫)

 

 

 夏目漱石は「吾輩は猫である」とか「坊っちゃん」とか「こころ」は周りでも話題になりますが、あまりあげられないこちらも名作です。ここで描かれる学生たちは現代にも通じるものがあり、さすがは古典だなと思わされます。

ヘーゲルの講義を聞かんとして、四方よりベルリンに集まれる学生は、この講義を衣食の資に利用せんとの野心をもって集まれるにあらず。ただ哲人ヘーゲルなるものありて、講壇の上に、無上普遍の真を伝うると聞いて、向上求道の念に切なるがため、壇下に、わが不穏底の疑義を解釈せんと欲したる清浄心の発現にほかならず。このゆえに彼らはヘーゲルを聞いて、彼らの未来を決定しえたり。自己の運命を改造しえたり。のっぺらぼうに講義を聞いて、のっぺらぼうに卒業し去る公ら日本の大学生と同じ事と思うは、天下の己惚れなり。公らはタイプ・ライターにすぎず。しかも欲張ったるタイプ・ライターなり。公らのなすところ、思うところ、言うところ、ついに切実なる社会の活気運に関せず。死に至るまでのっぺらぼうなるかな。死に至るまでのっぺらぼうなるかな」(強調はにんじんによる)

 論理哲学論考

良い本をちょっと紹介するコーナーです。

今回は有名な「論理哲学論考 (岩波文庫)」です。

 論理哲学論考 ウィトゲンシュタイン(著) 岩波文庫

 

 安心と信頼の岩波版です。これを日々持ち歩いている人もいます。にんじんも持ち歩いていました。

世界は成立していることがらの総体である。

 一番最初の文章ですが、にんじんはこれが一番好きです。にんじんが哲学に興味を持ったのは彼がいたからこそです。哲学っていろんな人がごちゃごちゃ違うことを言い合ってて意味不明だなと思っていたところに現れた光でした。

 そうとはいえ、この本は一読してわかるようなものではなく、ウィトゲンシュタイン自身がのちに補足を書き足したほうがよかったと言っているぐらいです。そこで副読本として有名なのは

ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読む (ちくま学芸文庫)

ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読む (ちくま学芸文庫)

 

  野矢さんの「ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読む (ちくま学芸文庫)」です。この本がないとウィトゲンシュタインが何が言いたいのかまったくわかりません。もちろん野矢さんオリジナルの主張もたくさん入っていますが、説得力がありますし、なんといっても何かを頼りにしなければ論考が読めない以上、これが最良の解説本です。論考を開いてみたらわかります、わかりませんので(´⊙ω⊙`)

 

 黒猫の三角(漫画)

良い本をちょっと紹介するコーナーです。

今回はこれまでと違い漫画「黒猫の三角 (バーズコミックススペシャル)」です。

 「黒猫の三角」 皇なつき(漫画)、森博嗣(原作)、2007/4/24

 森博嗣さんのミステリー小説(黒猫の三角 (講談社文庫))の漫画化ということもあって、やはり話の筋に注目してしまうのですが、一番感動するのは「漫画」のほうです。小説のほうを取り上げずに、漫画のほうを取り上げたというのはそこにあります。感想としてはすごくきれいの一言に尽きるのですが……ひとつひとつが独立したイラストのようでありながらキッチリ漫画として繋がっている感じがあります。原作を知っている人はもちろん、知らない人も読んでみてください♪L( ^ω^ )┘└( ^ω^ )」♪

「テレビの時代劇なんか、主人公が悪者を切り捨てるけれど、あれも殺人だよ。あれは、正義かな? 大衆は、良い殺人と悪い殺人がある、なんていう作りものの価値観を見せられて、それを信じている。完全な妄想。完全な洗脳。とても大きな間違いだと私は思うな。」

 

純粋理性批判

良い本をちょっと紹介するコーナーです。

今回は「純粋理性批判 上 (岩波文庫 青 625-3)」です。

 純粋理性批判 カント 岩波文庫 1961/8/25

 もはや紹介する必要さえないぐらい有名ですが、実際読まれた方はそう多くないのではないでしょうか。正直にいえばにんじんもまだ全部読めていないのですが、哲学史のなかにズデンとその身を置くにふさわしい内容だと確信しています。

 本当か? と思うこともたまにありますでも多分それはカントよりも後世の哲学に触れているからで、そしてその人たちもみなカントに触れていることを見れば、やはりカントは哲学の基礎のようなものといえるかもしれません。カントを見てからウィトゲンシュタインを見直せば、得るものがあると思います。

 さて、論考もそうですがいきなり純粋理性批判を読むのは多分無理です。そこでにんじんがもっとも良いと思う入門書はこちら(カント入門 (ちくま新書))。

 カント入門 石川文康(著) ちくま新書 1995/5/1

 カントの発想から純粋理性批判、そして実践理性批判判断力批判までその概略をカバーしています。カントのことが知りたくていろいろな入門書を手に取りましたが、この本が最もわかりやすく、知りたいことが書かれていました。

♪L( ^ω^ )┘さあ カントをはじめよう└( ^ω^ )」♪

 

 論理について

良い本をちょっと紹介するコーナーです。

今回は「論理について (講談社学術文庫 12)」です。

 論理について 笠信太郎 講談社学術文庫 1976/6

 この人は元朝日新聞論説委員ということです。ネットでは騒がれることの多い朝日新聞ですが、この本は大変良かったです。小難しく書いてある学術書よりもこういう本のほうが一般人にとっては論理について有益な知見が詰まっているような気がします。

単なる知識の集積だけの現代の学問を反省、人生のための知識と知恵をいかに築いていくかを明快にとき、1人のすぐれた知識人の生き方をおのずと伝えてあますところがない。幅広い教養と豊かな人生経験に裏打ちされた深い洞察は混迷の現代を生きるわれわれに貴重な示唆を与える。

  と紹介文に書いてますね。確かにいろいろなことを知っているのだろうなという気がします。やはり本は発売から三十年以上経ったものがいい味出してくるのかもしれません。「知識」と「知恵」、それを高めていくことなど。

論理について (講談社学術文庫 12)

論理について (講談社学術文庫 12)

 

 

人類史のなかの定住革命

人類史のなかの定住革命」です。

   

人類史のなかの定住革命 (講談社学術文庫)

人類史のなかの定住革命 (講談社学術文庫)

 

 

「歩き回る生活」と「住み着く生活」について書かれております。

 主な主張はズバリ「人類は住み着かざるをえなかった」でしょう。つまり「住む」を手に入れたわけではなくて、そうしないと生存できなかった、ということですね。そして定住が、現代に起こっているさまざまな問題につながっているというのです。読んだとき、あぁ多分そうなんだろうなと思いました。にんじんの人類認識の基礎みたいな本になっております。

「定住したくてもできなかった」と考える根拠として赤沢は、人類の直立二足歩行、道具使用、育児をあげ、これらはいずれも定住生活においてこそ有効におこなえるのだと言う。 われわれ定住民の引越しや育児の体験をふまえて、移動生活では道具や幼児は邪魔物であたという彼の主張はともかく、一般には、遊動民の素朴な経済システムでは定住することが不可能であるという判断がある。 しかし、それだけを言うのはナンセンスであろう。なぜなら、反対に、定住民の経済システムによって遊動生活のできないこともまた明らかであり、 それを根拠にして、同じように、「この一万年間の人類史は、遊動したくともできなかった歴史であり、その間人類は定住生活を強いられてきた」と言えるからである。

 

日本語が亡びるとき

増補 日本語が亡びるとき: 英語の世紀の中で (ちくま文庫)」です。

  にんじんはかなり持っていた本を処分したんですけども、ちょっと捨てられない、また読みたいなと思ってとっておいたのがこの本です。「英語」というもの悩んでいた時期でもあったので、どんどん読みました。英語に関する認識が変わった本でもあり、日本語というものをはっきりと認識した本でした。

「英語という<普遍語>の意味を問い、その力を前に、日本語をどうしたら優れた「書き言葉」として護ることができるか、それを真剣に問わねばならない――と訴えているだけである。それは英語にあらざる<国語>を母語とする人たちの共通の問いである」

 

然しこれからは日本も段々発展するでしょう」と弁護した。すると、かの男は、すましたもので、「亡びるね」と云った。――熊本でこんなことを口に出せば、すぐ擲ぐられる。わるくすると国賊取扱にされる。三四郎は頭の中の何処の隅にもこう云う思想を入れる余裕はない様な空気の裡で生長した。だからことによると自分の年齢の若いのに乗じて、他を愚弄するのではなかろうかとも考えた。男は例の如くにやにや笑っている。その癖言葉つきはどこまでも落付いている。どうも見当が付かないから、相手になるのを已めて黙ってしまった。すると男が、こう云った。
熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より……」で一寸切ったが、三四郎の顔を見ると耳を傾けている。
「日本より頭の中の方が広いでしょう」と云った。「囚われちゃ駄目だ。いくら日本の為を思ったって贔屓の引倒しになるばかりだ

三四郎夏目漱石

 

三四郎 (新潮文庫)

三四郎 (新潮文庫)

 

恋愛なんかやめておけ

恋愛なんかやめておけ」です。

恋愛なんかやめておけ (朝日文庫)

恋愛なんかやめておけ (朝日文庫)

  恋愛に関するさまざまなこと、恋愛が女性にもたらすリスク等々。

 随分前に読んだのですべては記憶しておりませんが、かなり熱中して読んだように思います。北村透谷の「恋愛至上主義」の話や、その顛末なども書いております。

恋愛至上主義 - Wikipedia

年ごろになったから恋愛をするってんじゃないんだ。なんだか、むしょうにおもしろくないことがあるから、恋愛にとびこんじゃうんだ。
恋愛は、会いたい見たいだけじゃない。平凡な日々のくりかえしに満足しきっている現実の世界への挑戦だ。日常性の否定といってもいい。現実の世界に追いたてられた、のけものにされた人間のたてこもる城だ。

ところが、ここに大問題があるんだ。それは精神的恋愛はひどく清潔で、いさましくみえるけれど、それがいつまでつづくかだ。

  Amazonレビューを読むとなんだか手に取るのが不安になりますが、単に恋愛に関する思想史として読んでもよろしいと思います。

 

 

世間体の構造

「世間体」の構造 社会心理史への試み (講談社学術文庫)」です。

「世間体」の構造 社会心理史への試み (講談社学術文庫)

「世間体」の構造 社会心理史への試み (講談社学術文庫)

 

  人間の行動というものは環境によって左右されるわけですが、それには「自然的環境」と「社会的環境」とがあります。そんなことをしていたら笑われるよ、と言われるように世間の目というのは人の行動を大きく律しております。そんな世間の構造について書かれた本です。

「世間体」を通して日本文化の基層に迫る。世間とは、体面とは何か? はじ=羞恥の文化の意義を問い直し、日本人の行動規範である「世間体」に社会心理学からアプローチする。世間論の嚆矢となった名著。

『「世間体」の構造 社会心理史への試み』(井上 忠司):講談社学術文庫|講談社BOOK倶楽部

 

 特に第6章『「世間体」の文化再考』はドキリとさせられます。

 西洋の〈近代的自我〉の思想にふれてもらい、わが国では、〈世間の目〉を故意に拒否しようとする風潮が、徐々にあらわれてきたように思われる。ことに戦後は、その風潮がつよい。そのさい、「つよい自我」(自律性)が育たないままに、「世間」の人たちの〈まなざし〉のみを拒否しようとするならば、人びとの前には、大きな陥穽がまっていることであろう。他者に見られないかぎり、なにをやってもよい事由という陥穽が、である。 

 

「世間」とは何か (講談社現代新書)

「世間」とは何か (講談社現代新書)

 

暗黙知の次元

暗黙知の次元」です。

暗黙知の次元 (ちくま学芸文庫)

暗黙知の次元 (ちくま学芸文庫)

 

 

 この中でも紹介されている例ですけれども、たとえば人間の「顔」というものがある。人はこれを見分けることができるけれども、どうやって見分けているかはっきりと口に出すことはできません。このように「人は自分が語る以上のものを知ることができる」ということを出発点として、≪暗黙知≫を考察していく本です。

 主観的認識を一切排除すれば正確に物事を見ることができる、みたいな「主観排除」ではなくて、知に個人が関わっていかないといけないんだよみたいな、にんじんは大変よくわかります(賛成)( ˶ˆ꒳ˆ˵ )。

 

キリギリスの哲学

「キリギリスの哲学」です。

 

キリギリスの哲学―ゲームプレイと理想の人生

キリギリスの哲学―ゲームプレイと理想の人生

 

 

 会話形式で「ゲーム」という概念の厳密な定義づけを行っていきます。この対話が非常におもしろい。最初は「ゲームというからには目的がなくっちゃね」と来て、そのあとに目的があるけどゲームとはいえないものの例があげられ、今度はそれをも含むようにどんどん定義を確定させていきます。

 そもそもこれはウィトゲンシュタインの「家族的類似」による語の意味の説明に対する一個の反論にもなっています。彼が言うには、語の意味というのはそれぞれに家族的な類似性があるだけではっきりと共通のものがあるわけではない、のですがこの本ではそれに反して「””ゲーム””に共通なものならある」と言います。

 そういうのは脇に置くとしても、ただひたすらに「哲学」してるのを登場人物の対話を通して疑似体験できる本なのです。

 

 

哲学探究

哲学探究

 

 

変化の原理

変化の原理」です。

 

 いわば臨床心理に関する本なのですが、にんじんのような門外漢が読んでも大いに得るところがある本です。タイトルに「CHANGE」とあるように、変化について扱う本なのですが、取り扱っている変化が非常に面白い。

 たとえば不眠症の人があるとします。彼は自分の眠れない状態をどうにかするために、意志の力を総動員してがむしゃらに寝ようとするわけです。しかし、眠りとは自然に訪れるものであって、りきんでどうにかなるものではない。けれども「眠れない」を解消するために、彼は「眠る」という反対の力をかけ続けることしか知らないので、果ては睡眠薬に手を出し、薬がなければ眠れないなど、不眠症をどんどん悪化させていくことになります。

 また、うつ病の人がここにいるとします。彼に「がんばれ」と声をかけることは良くないことだというのはよく知られた忠告です。それというのも、ここにも不眠症と同様の心理的な力学が見られるからであります( `ᾥ´ )。彼は自分の悲観をどうにかしようと試みるため、悲観でない方向、つまり楽観に行こうと努力します。そこへ「がんばれ」と、彼を楽観に引こうとするものが現れるとどうなるか。彼は楽観的になれない自分を責めるのと一緒に、がんばれと支援する人々からもある種の圧力を感じるようになります。それはたとえば楽観的になれない申し訳なさなどです。高ストレスにおかれれば人間は自然と憂鬱になるもので、うつ的傾向はさらに深化していく次第となるわけです。

 

 このように、プラスマイナスゼロにしようとする変化、逆へ行こうとする変化、同じところをぐるぐるめぐる変化を、著者は「第一次変化」と名付けています。そして問題の解決をもたらすものはシステムそのものを変えるような、ある種、非合理的な「第二次変化」であると主張しているのです。

※問題の解決への努力がさらなる問題を生み出すパターン。他にもいろんな問題と、誤った解決のパターンが書かれています。全部第二次変化で解決するといってるわけではない。

 なんだか森田療法の「あるがまま」だとか、この頃にんじんが考えてきたこととか、いろいろを総合してくれるような気がして楽しく読んでいます。

 

 

森田療法 (講談社現代新書)

森田療法 (講談社現代新書)

 

 

 変化の原理を読んだあとはこちら。

  出会うべくして出会った本だな、みたいな感動に打ち震えております。

よいは悪い―暗黒の女王ヘカテの解決法 (りぶらりあ選書)

よいは悪い―暗黒の女王ヘカテの解決法 (りぶらりあ選書)