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にんじんと読む「セクストス・エンペイリコスの懐疑主義思想(田中龍山)」🥕

序章 ヒストリコース・アパンゲレイン(記録として報告する)という立場

懐疑主義の基本テーゼ)

懐疑主義とは、いかなる仕方においてであれ、現れるものや思惟されるものを対置し得る能力であり、これによってわれわれは、対立する諸々の事物と諸々の言論の等しい力の対立(イソステネイア)ゆえに、まずは判断保留(エポケー)にいたり、ついで動揺のない心境(アタラクシア)にいたるのである。

  セクストス・エンペイリコスの著作において、彼は「記録として報告する」という立場にある。著作中において彼は自分自身について何も語ってはおらず推定されるのみであるが、彼自身についてはともかく、その著作中で語られる思想についてセクストスの独創が認められるかどうかはひとつの問題である。

 1969年に出版されたGreek Skepticismは古代懐疑主義ブームの火付け役になった書である。そこにおいても指摘される通り、セクストスの著作にはセクストス以前には見出されない思想が見出されるのである。ところが彼自身は古代懐疑主義を自身のオリジナルな主張としてとりあげることはなかった。

 ところがこうも考えられる。セクストスは歴史家ではなく、一人の懐疑主義者であると。しかし懐疑主義者である限り、「判断保留」をしなければならない。著作を残せばそれ自身が正しいこととして取り扱われてしまう可能性がある。これは懐疑主義者としてはどうしても避けたい。そこで彼はあくまで「匿名的」に、著作を記した―――つまり歴史家としての立場は、彼の懐疑主義哲学の実践のひとつである。

 

 

第一章 ピュロンピュロン主義

 懐疑主義ピュロン主義とも呼ばれる。実際、セクストスもそうだった。しかしそのように呼ぶこと自体、懐疑主義者として一貫性がないと批判されるかもしれない。なぜなら、

  1.  ピュロンがいかなる心の状態にあったかなど知り得ない
  2.  ピュロンが最初に懐疑主義を発見したわけでもない
  3.  ピュロンはいかなるドグマ(独断)も持っていなかった

 からである。言い換えれば、①懐疑主義にとって、自らの立場をまるで「特定の人物の思想」のように扱うのはどうなのか。②ピュロンの思想は本当に懐疑主義ピュロン主義と言い換えられるほど思想の源に位置するのか。

 

 ②の問題は、セクストスにとってピュロンの思想がどうであったかということなら容易い。セクストスがピュロンの思想を理解する所ではこうこうだったので、セクストスはこの思想をピュロン主義と呼ぶことにした。これで終わり。しかし問題なのは、ピュロン自身が実際にはどういう思想を持っていたのかというところである。

 しかしピュロンは著作を一切残していない。参考にされるのは彼の弟子であるティモンの証言である。彼によればピュロンは次のように表明している。

  •  諸々の事物は、等しく無差別で、不安定で、判定不可能である。
  •  したがって、われわれの諸感覚とわれわれが抱く諸々の思いなしのいずれも、真実を告げるものでも、虚偽を告げるものでもない。
  •  それゆえ、われわれは、それらのものを信用してはならず、
  •  むしろ無判断、無傾向、無動揺でいて、
  •  それぞれ一つのものについてはあらぬよりいっそう多くあるということはない、あるいは、ありかつあらぬ、あるいは、あることもあらぬこともない、という言い方をしなければならない。

 これと懐疑主義の基本テーゼを突き合わせて確認していくわけだが、結論としてはおおむね一致しており、②の意味で問題はないことが明らかになる*1

 

 

第二章 ピュロン主義とアカデメイア

 そもそも懐疑主義ピュロン主義といって立ち上げたのは、ピュロンの弟子ティモンのあと懐疑主義がほとんど途絶えてしまったからである。これを再び復活させようとしたのがアイネシデモスで、彼は「アカデメイア派」と呼ばれる立場と自分の立場をはっきり区別するためにピュロンの名を旗印にしたのだった(アイネシデモスはもとはアカデメイア派だった)。

 アカデメイア派とは、あの有名なプラトンの派閥である。初期は懐疑主義的な立場をとっていたが時代が下るにつれ徐々に独断的になっていき、遂にアイネシデモスが懐疑主義の復活のためにピュロンの名の下に離脱したのである。

 

 ところがこのピュロン主義とアカデメイア派の区別は微妙だった。両者はお互いに、

  1.  何ものも把握不可能である(第一テーゼ)
  2.  判断を保留しなければならない(第二テーゼ)

 を掲げていた。しかしここには二つの学派で差異が認められるのである。

 

第一テーゼ

  この相違は簡単に見て取れる。アカデメイア派はこの第一テーゼ自体を「自らの見解として主張する」のに対し、ピュロン主義者は「探求を継続する」。つまり主張の内容ではなく、それに対する態度によって二つは別れている。

 

第二テーゼ

 これについての違いを見るために、まず確認しておかなければならないことがある。それは「探求を継続する」というピュロン主義の姿勢は、「判断を保留する」という第二テーゼと相容れないように見えることである。

 これに対してセクストスは、簡単にいうと、こう言っている。

「何かを正しいって判断しちゃったらそれ以上探求しないじゃん」

 だが、われわれにとって興味があるのはそんなことではない。どうせなんの判断もしないくせに(判断保留)、「探求を継続する」とかいっているのが矛盾に感じるのである。ところがこの点に関し、本書はわかりやすくない。

つまり、ドグマティストによる「真偽の断定」という局面に対しては、「思考の静止」が対置されるのである。だがそれは考えることの完全な放棄ではない。「思惟する(略)」を「受動的に看取され明瞭に現れるものから単なる言論によって生じる思惟であり、したがって必ずしも思惟されているものの存立を持ち込むことのないもの」(略)として理解するなら、その範囲で探求することに何ら問題はないのである。

セクストス・エンペイリコスの懐疑主義思想―古代懐疑主義をめぐる批判と回答

  少なくともにんじんには何を言っているのかよくわからない。

 

 精一杯絞り出してみると、こういうことだと思われる。まず独断的に物事を語る人(ドグマティスト)は、「探求」を通じて究極的なものを見出したと考える。むしろ、ドグマティストは「探求」というものを探求以前から、到達点というものを想定しているし、到達できるだろうとも思っている。一方でピュロン主義者は探求というものをそのようなものとしては見ない。一生懸命それについて調べても何か出てくる保証など無いし、見出したと思ってもそれが究極の地点だとは考えないのである。

 たとえば水を火にかけると100℃で沸騰する。ドグマティストは「水を火にかけると100℃で沸騰するのだ」と言う。しかしピュロン主義者はそうは思わない。もちろんカップ麺を食べたいときはピュロン主義者も水を火にかけるだろうが、沸騰するかどうかはわからない、と言うだろう。ドグマティストは絶対に沸騰すると思っている―――そして実際、気圧に応じて沸点は変わるのである。気圧は場所によって簡単に変化する。

 

 もちろん条件を変えれば沸点が変わるかもしれないことはアカデメイア派も理解している。彼らもその意味では同じように「判断保留」するだろう。しかし彼らはそれでは満足できない。「真理じゃないかもしれないがそれに近いものを発見したぞ」と言いたがる。十分に吟味されたもっともらしいコト、これが正しいことになる。

 アカデメイア派はこれこそ真理だとはいっていないし、もっともらしいことだと謙遜(?)している。その意味で判断保留しているのだが、明らかに独断的になっている。

 

 ピュロン主義者は発見しない。探求は継続される。この点をより深く吟味していこう。

 

 

懐疑主義 (学術選書)

懐疑主義 (学術選書)

 

 

第三章 古代懐疑主義における自己論駁の問題

 ここで懐疑主義の基本テーゼをもう一度見直そう。

懐疑主義の基本テーゼ)

懐疑主義とは、いかなる仕方においてであれ、現れるものや思惟されるものを対置し得る能力であり、これによってわれわれは、対立する諸々の事物と諸々の言論の等しい力の対立(イソステネイア)ゆえに、まずは判断保留(エポケー)にいたり、ついで動揺のない心境(アタラクシア)にいたるのである。

  懐疑主義とは、現れるものや思惟されるものを対置し得る能力である。つまりPというものに対して、notPを対置させ、「PかつnotP」あるいは「PはnotPとくらべていっそう~ではない」といってどうにも判断できなくさせ、判断保留に至る能力である。

 しかし懐疑主義の主張自体はどうなのか。懐疑主義者は自らの主張を判断停止しないのか。問題となってくるのは「PかつnotPになるなんておかしい。それは矛盾だ」ということではもちろんない。どっちつかずで判断できなくさせるのが懐疑主義者の戦略である。また、彼らが論証の際に用いる例は、対話している相手が持っている信念であって、彼ら自身がそれを持っている必要はない。「AだからBだよね」といっても、Aを信じているのは懐疑主義者ではなく、対話相手のほうなのである。懐疑主義者は独断的にものをいうひとに、あなたの言う通りだと妙ですよといって、独断的にものをいう病を治療しようとしている。

 だから問題はむしろこういうことである。「でもそういう治療行為がいいと思ってるんですよね」。「動揺のない心境に至ると思ってるんですよね」。彼らはどんなテーゼも掲げることはできないはずだ。だというのに、アタラクシアに至るとは信じているように思われる。

 

 これに対して、懐疑主義者の回答はシンプルである。

判断停止(エポケー)しても無動揺(アタラクシア)に至るとは限らない。

 つまりそれは偶然的なことなのである。この偶然性という回答は懐疑主義者の敗北のように見えてしまうが、彼らからすればそんなことはない。そもそもドグマティストは「知識の望ましさ」を信じすぎている。信じすぎるがゆえに、論敵である懐疑主義者の主張も知識の一つとして受け入れてしまっているのである。

 懐疑主義者はエポケー即アタラクシアというドグマティストの信念をも治療する。

 

 

懐疑主義と哲学との関係 (フィロソフィア双書)

懐疑主義と哲学との関係 (フィロソフィア双書)

 

 

第四章 古代懐疑主義における哲学と生活

 われわれがまず確認しておかなければならないのは、懐疑主義者たちの攻撃対象は「学問的な独断」だけではなく、「日常的なアレコレ」にも向けられていたということである。つまり信念一般、考え一般が攻撃対象と、手広かったのだ。

 懐疑主義者の懐疑の射程について、論争があった。

  1.  わたしには、SはPであると現れる。
  2.  わたしは、SはPであるという信念を持つ。
  3.  わたしは、Sは自然本性においてPであるという信念を持つ。

 ①のみが懐疑の対象外であるという立場をrustic(田舎的)、③のみが懐疑の対象であるという立場をurbane(都会的)という。つまり信念を持つこと自体は許されていたが、それが自然本性からそのようになっているなどというのは、つまり私たちには関係のないそれそのものの仕組みとしてそうなっているなどというのは、許されなかった、とする立場がurbaneである。

 

 懐疑の射程についての議論のために手掛かりとされるのが「徴証(サイン)」という概念である。

【徴証(サイン)】

  • ある事柄Xによって、それとは別の事柄Yが示される場合、XはYのサインである。

特に開示的サインとは「自然本性において不明白なものを示すサイン」であり、想起的サインとは「時として不明白なものを示すサイン」のことである。

  まずドグマティストによると、この世の事物は「明白なもの」と「不明白なもの」の二つに分かれる。前者は、昼であるというようにそれ自身から感覚や知性によって知覚されるものである。後者は、それ自身によっては把握されないものである。

 この後者はさらに「完全に不明白」と「自然本性において不明白」「時として不明白」にわかれる。一番目はたとえば星の数が偶数か奇数かといったこと、二番目は魂の存在、三番目は日本から離れている人にとっての日本国である。まとめると、

  •  明白なもの
  •  不明白なもの
  •  ① 完全に不明白
  •  ② 自然本性において不明白 → 開示的サインで示される
  •  ③ 時として不明白 → 想起的サインで示される

 

 この区別はあくまでドグマティストによるものである。懐疑主義者はサインについてどのように見ているのだろうか。まずセクストスは想起的サインの例として「煙と火」を挙げる。煙があがっていれば、対象が不明白でも火があがっていることが示される。また開示的サインについては、「身体の諸々の動きと魂」を挙げている。

 これを確認した上で、彼は開示的サインのみを反論の対象にすると言い出す。

 

 というのも想起的サインは実生活から信頼を得ているからである。なぜなら、煙を見れば、人はそれを火のサインと認めるし、傷痕を観取すれば、傷があったというからである。こういうわけで、われわれは、実生活から信用を得ている事柄については思いなしを持たずにこれを承認し、他方、ドグマティストによって私的に作り出されていることには反対の立場をとることによって、ただ単に実生活を争わないというだけでなく、実生活の味方ともなるのである。

 

 これは要するに日常的な思いなしを認め、ドグマティストが自然本性のものだと言い張る者に対する攻撃をするという表明である。だから一見urbaneな立場を支持しているように見える。

 彼の主張を検討しよう。

 【想起的サイン】

 x1:煙が存在する

 y1:火が存在する

 x1,so,y1:煙が存在する。ゆえに、火が存在する。

 【開示的サイン】

 x2:身体が運動する

 y2:魂が存在する

 x2,so,y2:身体が運動する。ゆえに、魂が存在する。

 セクストスが「実生活からの信用を得ている」とするのは、この「so」というものが理性的推論といった能動的な働きではなく、心理的強制という受動的働きをもっているからである。しかし開示的サインについてはそうではない。この必然性はフィクションである。だからこそ、彼らはこのフィクションを攻撃する。

 

 

 懐疑主義の射程を複雑にするのは、「現われ」と「信念」の区別がはっきり線引きされるわけではないというところである(たとえばx1は現われか、信念か?)。つまり現象学的な用法と判断的な用法を併せもつ。

 ゆえに射程についての議論は、urbaneかrusiticかという二者択一にはならない。これまでurbaneに味方してきているようにみえる議論だが、「煙が存在する」という現われor信念も、それが話題の中心になるやいなや、懐疑の対象ともなると主張することによって、rusiticな立場も認め得るのである。

 懐疑主義はその曖昧さを抱えたまま、学的信念に揺れ動きがちな傾向にストップをかける。現われor信念をみると人は容易に「自然本性から」と言いたくなる。urbaneでもありながらruisticでもありうるのは、私たちが哲学に巻き込まれやすいからなのである。

 

 これによって懐疑主義者が「現われに従って生きる」というのも少し見通しがよくなるように思う。彼らは懐疑主義者と呼ばれながら「何も疑わない」ともいえる。

ヒューム 希望の懐疑主義―ある社会科学の誕生

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第五章 古代懐疑主義における行為の問題

 懐疑主義の基本テーゼに対しては倫理的な批判も受けている。つまり、判断保留がアタラクシアを導くということを実践に移して考えたときに、「悪」に関する問題が起こる。その者は「正しいことも不正なことも真実のところ、ない」と考えているのだから、法やそれに対する罰も恐れることは無いだろう―――彼らはあえて悪を行うことができる。

 しかし懐疑主義者たちはそうは考えない。自分たちは法に従う。また「無神論者ではない」とも言う。セクストスはこのあたりのことをどう考えていたのか。彼が「神は存在する」というのはきわめておかしなことではないだろうか。

 

 結論からいえばセクストスが心配いらないというのは、懐疑主義者は「習慣と法の伝承に従って、敬虔であることは善い」という現われに従って行為するからである。神が存在するという文化のなかでは、現われとしての神がたしかに存在する。

 しかしこの反論は、懐疑主義者=順応主義者という等式を作る。懐疑主義者はたまたま生まれたその場所の習慣や、そこで生じた偏見、先入観に従って生きるしかない者たちである。だが、ただ単に従えばよいとか、神は絶対存在するんだとかは言わない。彼らは従わなくていい理由や、存在しない理由をたずさえ、判断を保留する。

 

 だが結局のところ、彼らは従うのだから関係がないのではないか?

 

 

 

 

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*1:ただそれほど明快な議論になっているわけではないと読んでいて思う