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にんじんと読む「健康の本質(レナート・ノルデンフェルト)」🥕 第二章まで(途中で終わり)

はじめに

  •  研究対象:健康(身体とともに、心の健康も含む)
  •  研究方法:概念分析
  •  目的:人(person)の健康=当人の最重要目標を成就する能力、という健康概念の提起。説得力のあり、適度に簡潔さも具えた健康理論を練り上げること。
  •  新規性:新しい考え方ではないが、これを入念に仕上げているという点。能力を持つための条件と併せて、その能力の本性を細かく規定し、最重要目標を幸福と関係させ、この健康観から帰結することを論じている。
  •  要約:①健康概念を分析する理由、②健康理論が理論として受け入れられる条件、③ふたつの問い。「健康概念はひとつだけか」「どうすれば健康を説明できるか」④要素論の批判、特に生物統計理論、⑤以上を踏まえた健康理論の提起と擁護、⑤健康の阻害条件、傷病の一般的定義、⑥この健康概念と社会とのかかわり。⑦ヒト以外の健康

第一章 健康の哲学の根本問題

Q. なぜ健康の哲学か? その価値は?

 三つの側面から説明しよう。

【哲学的人間学

 健康概念は医学の占有物ではない。これらの概念を分析し、人間を規定するその他の概念との関係を確定することは哲学にふさわしい仕事である。

【科学哲学】

 医学が関心を向けるのは健康に対して否定的に対応する「病気」である。病気を分類しそれらと戦う方法を見つけ出すのが医学であるから、病気という概念を分析することは医学にとって基礎的である。ゆえにこれは研究対象としてふさわしい。

臨床医学

 健康と病気を明確に区分できる特徴を抽出することは、たとえば病気の予防計画の策定や、その人を病気と見なすことの根拠、健康保険適用の要件、「健康維持」の尺度に役立ち、実践の場においても必要である。

 

Q. 健康の理論が容認される条件とは?

 次の点を説明できるような理論でなければならないだろう。

  1. 〈健康概念〉(健康、活力、病、損傷、欠損、能力欠如、障害などなど)相互の論理的な関係
  2. 健康概念とその他の主要な人間性に関わる概念との論理的関係
  3. 人類の健康と他の生物の健康との関係
  4. 心の健康と身体の健康との関係
  5. 健康と環境との関係
  6. 健康概念が科学のなかで占める位置

Q. 健康や病気の本質は本当にひとつだけか?

 これは実在論唯名論の対立として捉えられる。

 本書では〈弱い唯名論〉の立場に立つ。

 

 つまり、健康というのは人間がいろいろの文化や慣習のなかで用いている概念であってさまざまな仕方で定義しているのでありその地域や時代によってなにが支配的に使われているかという話でしかない(唯名論)のか、その反対に、健康概念を分析するとまさに「本質」を突き当てられるのか(実在論)という対立である。

 言い換えれば、健康は地域や時代ごとの取り決めなのかどうなのかということである。もし取り決めならば、どんな風でも好き勝手に人間が決めてしまうことができる。だからそもそも唯名論者は定義など認めないし、極端な立場になると、定義することが望ましいという考え方すら否定する。

 しかし一方で、ほとんどすべての社会において健康の用法はある程度一致しているのだから、そこを突いて、健康を定義することは不可能ではない。コミュニケーションのためにはそのようにして明確な定義を行うことも望ましいと考えることができる。これを〈弱い唯名論〉という。

 

 

 第二章 健康の要素論的理論

 Q. これまでの健康観はどんなものだったのか?

 古代ギリシャ・ローマの医学観が引き継がれ、大きくふたつの考え方に分かれている。「健康を対立しあう要素もしくは諸力の間の均衡とみる考え」と「健康をとりわけ生体の自然または正常な状態とみる考え」である。

 後の考え方に注目しよう。つまり健康=生物学的正常であり、病気とはそこからの逸脱である。しかし何を正常とみなすかについて現代でも二つの解釈の間で揺れているのである。正常とは「そのようになるべき」規則なのか、それとも「人口の大多数の傾向を数値で表した」基準なのか? 規範or記述

 この二つの解釈は主立っては統計的な基準が用いられているものの現在でも入り乱れ、正常とは何かが不明瞭になっている。これに対して正常さの規準を「一定の自然な目標」に求める動きがある。これはそう機能すべきという議論でも、身体の外部から持ち込まれた議論でもない―――これがボーズの生物統計理論と呼ばれるものである。

 

Q. 先ほどの「目標」をさらに詳しくいうと?

 目標というのは一般的には一連の出来事の目的のことを指す。しかしこれはさらに二通りの解釈を持つ。

  1.  理念的目標 意図や欲求という概念とも結びつく。ある個人や集団によって設定された目標である。
  2.  事実的目標 事物が実際にそこに向かう傾向をもつ事態。たとえば遺伝子にはある一定のプログラムが書き込まれていて(目標指定プログラム)、個々の生物を特定の表現型に向かって発達するように誘導する(誘導機構)。

 どちらであれ、目標の実現には実現に至るまでの下位目標が存在する。変わることのない最終目標に対して、下位目標のいくつかは変更可能なものから成る。

 

Q. 先ほどの「生物統計理論」とはどのようなものか?

 

  1.  健康とは正常な性能である。病気とはこの性能の効果レベルを定型的水準以下に引き下げる内部状態である。
  2.  正常な性能は、生物種の一方の性の年齢集団について統計的に算出される。この性能とは、ある種の事実的目標に対して成員が行った統計上の定型的な貢献である。身体の健康の場合の事実的目標とは個体の生存と生殖である。

 これが中心的な命題である。(が、これだけではない)。

 生物統計理論は正常値からの逸脱をすべて病気とはみなさず、機能が正常値以下のレベルになったときにこれを病気と見なす。「以下」が重要で、「以上」の個体もいくらかいるけれども、彼らを病気とみなすのは無理である。以上、以下というひとつの軸は機能が目標にどれだけ貢献しているかを示す。

 

 生物統計学は要素論に属する。つまり体をばらばらにしてその各部を眺めやるものである。しかし健康にはその相互の関係を考慮することが不可欠であり、全体論的な健康理論が求められるのである。

 

 

 

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