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にんじんと読む「健康禍(ペトル・シュクラバーネク)」🥕 ①

第一部 健康主義

 健康が国家のイデオロギーとなるとき、つまり「健康主義」が醸成されるとき、健康の追求は政治的な病気の症状のひとつとなる。軽度の健康主義は西洋の民主主義国家にはよくあることで、すべての人に健康的な生活習慣という規範を確立するために宣伝する。人間の活動は健康なものと悪いもの、医学的によいとされるものと悪いとされるものにわけられる。合法か違法かにかかわらずアルコールやタバコは無責任とか悪徳とかいわれる。

しかし、「健康を最大化する」試みと「苦痛を最小化する」試みの間には千里の隔たりがある。カール・ポパーが『開かれた社会とその敵』で指摘したように、すべての幸福の最大化の道は必ずや全体主義へと通ずるのである。

健康禍 人間的医学の終焉と強制的健康主義の台頭

 極端な健康主義は、人種差別・隔離・優生学的コントロールを正当化する。病気は「正しさ」を定義する。健康が非宗教化した社会の真空を埋めるのは、死という避けられない運命を延期するためだ。《善人は救われ、悪人は死するであろう》(p16)

 イヴァン・イリッチは医学が病んでいると診断した。医学が健康を独占し、人々から自律性を奪った。このイリッチの主張はもちろん医学界から強烈に反発されたが、公正なものとして受け入れた医師もいる。

ペイトンはこう書いた。「最近数世紀にわたす健康の増進が、生活環境の改善の結果であることを否定する医療者がいるとすれば、最も狂信的に排他的な者だけだろう。食べ物、水、住居、衛生、教育が改善したのだ。そして、医学の進歩とほとんど関係ないのだ。」

健康禍 人間的医学の終焉と強制的健康主義の台頭

 しかしイリッチはもちろん医療サービスを受けていた。彼が区別するのは「専門的自由業としての医療」(隣人のこまりごとを軽くする医療)と「支配的専門性としての医学」だった。支配的医学は世界全体を病棟に変える。なぜならそれが健康がなにかを決めるからだ。

医学は病気や死を克服することを目指すのではない。苦痛を和らげ、害を最小限に抑え、墓地に至るまでの人間の苦痛に満ちた旅路をなだらかにすることを目指す。医学は求めてもいない人の生活にお節介を焼く権限など持っていない。

健康禍 人間的医学の終焉と強制的健康主義の台頭