にんじんブログ

にんじんの生活・勉強の記録です。

MENU にんじんコンテンツを一望しよう!「3CS」

徒然草のことなど

 徒然草を書いたのは兼好法師で、鎌倉時代末期のことである。日本の三大随筆として「方丈記」「枕草子」と肩を並べる「徒然草」だが、冒頭に『心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつくれば』というように、いろいろなテーマが移り行き、なんとも雑然とした印象を受ける。とはいえ、出家していることもあってか、内容には仏教思想が多くふくまれ、特に気が付かれるのは「生死にまつわる空しさや物悲しさ」が主題となっているケースが多いことである。

 にんじんの浅学によれば、この種の空しさを特にターゲットとしたのが浄土真宗である。徒然草の書かれたのは親鸞入滅(つまりは死亡)後、少ししたころであり、兼好法師五、六十代の著作ともあって、中には法然上人(親鸞の師匠)まで出てくる。もし徒然草に一貫したテーマというものを見つけられるとすれば、「空しさ」であり、それがまさしく「つれづれ」なのではないかと、一読してそのように思われる。

 しかし時折本当に思いつくままに書いたとしか思えないものが突然登場したりするのには驚かされる。なぜこれほど長く残ったのだろう?

 

 

新版 徒然草 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)

新版 徒然草 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)

  • 作者:兼好法師
  • 発売日: 2015/03/25
  • メディア: 文庫
 

 

にんじんなりに徒然草を読む

序段

つれづれなるままに、日ぐらしすずりにむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

新版 徒然草 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)

  「空しい気持ち」のまま一日中机に向かって心に浮かんでくるさまざまなことをなんということなく書きつけてみると異常なほど狂おしい気持ちになる。

 はてさて、この世に生まれた以上はこんな風になりたいこんな風にありたいということが多いもんだよな。天皇はもちろん、そういう立派な身分には憧れるよ今も。でも坊主にゃ憧れないよな(俺は出家してる身だけどそう思うよ)。威張り散らしてるおえらい坊主を見るとお前仏の教えに反してんじゃねえかと思うよ。出家していながら世俗と縁切りできてねえんだもんな。あと、身分だけじゃなくて見た目だってよくなりたいもんだろ。ものをはっきり言って、聞きやすい声で、言葉数が少なくて、……そういうのとはいつまでも向かい合いたいと思えるもんだ。かっこいいもんな。でもチラッとでも品性疑うような振る舞いがあったらほんとに幻滅するけど。難しいもんだ。身分や容姿は持って生まれたもんだからしょうがないけど、バカはどうにかできるよな。学問をやり、漢詩をつくり、和歌、管弦、礼儀作法を学んだりして見本になるような人がいいよなあ。

 そういう教養がないと昔々から今に至るそういうありがたみがわからないからさ、豪勢でぜいたくばっかりして思いあがるようになる。そういうのをバカっていうんだ。

 でも頭がよけりゃそれでいいかつったらそうじゃねえんだな。色恋の情緒がわからないのでは人間としてどうかなと思う。もちろんそれに溺れちゃうのも駄目だけどね。

 

  つまりは後先の事(いろいろ含めた「教養」)をしっかり考えて、仏道に励む。これがいいってことだな。

  1.  「流されたところで見る月を、罪もない身で眺めよう」っていう気持ちがもっともで、世をはかなむにしても、世間と縁を切るにしても、仏道に入るなら世俗と距離をおかなくちゃね。
  2.  恋をしろとか後先を考えろとはいったけど、子どもを作れってわけではないので注意。作らないほうがむしろよい。

 

  まぁ、いくら教養あって仏道入っても死ぬけどな。嫌? でももし死がなかったらつまんないと思うぜ。人間は他の生き物と比べると寿命が長いっていうのに、ああもっと生きたいもっと生きたいって言ってる連中がいるけど、あいつらは千年生きてもまだ言ってるだろうな。どんどんものもわからず、見た目も醜くなってるのにさ。老人は途中から吹っ切れちゃって、人前でも自分がどう見られてるかなんか気にしなくなるから、どんだけ年齢重ねたとしても四十ぐらいで死ぬのがほんとはいいのかも(注意:この時代の平均年齢は30歳のため、現代の平均年齢で換算すると100歳ちょっとぐらいで死ぬのがいいと言ってることになる)。

 

すらすら読める徒然草 (講談社文庫)

すらすら読める徒然草 (講談社文庫)

 

 

第八段

世の人の心まどはすこと、色欲にはしかざう。人の心はおろかなるものかな。

・・・

新版 徒然草 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)

  生きているうち、私たちの心を惑わすもので色欲に勝るものはない。全く人間というのは愚かなものだ。仙人でさえ女が足を揉み洗いをしているのを見て通力を失ったそうである。

 女というものはなんともまぁ、無意識のささいなことでも男の心を惑わせる。人間のいろいろの欲望のなかで最も離れがたいのが色欲である。きちんと戒めて、恐れると同時に慎まなければならない。

 この短い一生の、住まいをどういう風にするかというのも大きな関心事である。教養のある立派な人はおちついた暮らしを送っているもんだ。あれは珍しいナントカで、これはナントカで、と作りたててあるのは見るのも嫌な気がする。

 ある山里にあった庵では、木の葉に埋もれた懸樋の雫の音以外はまったく音がしなかった。しかしそこここに住んでいる人の気配がわずかに感じられてしみじみとしてしまった。

 一生のうち、どんな人と付き合うかというのも気になる。あんまりお互い気にしていたら一人でいるほうがましだけども、多少は異論のある相手のほうがよかろう。しかしながら愚痴のひとつも共有できないようじゃ、なんだか遠くにいる人のように思えてしまうに違いない。

 昔の人と、書物を通して、友となるのもよい。

 和歌はやはり趣の深いもので卑しいものでも歌にすると優雅に思えることさえある。この頃の歌は変に凝っていておもしろく作られてはいるが、昔のものほど趣がない。

 

 旅をするのもいいし、寺でこっそり過ごすのもいい。

 内侍所の御神楽は上品で趣がある。

 山寺にこもって仏様を供養していると心の穢れまでとれるような気がする。

 ともかく、「人間として、自分の身持ちを簡素にし、贅沢をさけて財宝ももたないで、この世の利欲に執着しないのが、立派」なのだ。昔から賢い人で金持ちだったやつのほうが少ない。

 

徒然草-無常観を超えた魅力 (中公新書)

徒然草-無常観を超えた魅力 (中公新書)

  • 作者:川平 敏文
  • 発売日: 2020/03/17
  • メディア: 新書