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【メモ】明治20年代の愛

男たち/女たちの恋愛: 近代日本の「自己」とジェンダー

恋愛なんかやめておけ (朝日文庫)

 

 倒幕・明治維新によってそれまでの身分制度が揺らぎ、「自己」「我」といったものの位置が揺らいだ人々は最初、「国家の独立」という大きな物語を自分たちの生き方の方向づけにした。立身出世とはここに重視され、政治的な価値が特権的な力を持ったのである。

 ところが明治20年(1887年)頃になると自由民権運動が退潮する。若者の政治熱が冷めてくるとともに、国家的ニーズという物語がうまく働かなくなってきた。立身出世に疑念を抱く人々は別の価値を求めて行った。「言文一致」という文学上のスタイルもこの頃のことであり、自己表現としての文学というのはここで生まれた。内的な自己をそのまま発露しているのが「言文一致」なのであり、近代文学の整備に繋がっていく。

 さて、政治を失った若者は価値を求めてさまざまな場所へ散っていった。性や身分や地位や年齢や一切をはぎ取ってみたときの「本当の自分」とはいったいなんなのか。その「本当の自分」を理解してくれる存在として「真友(しんゆう)」が求められ始めるのである。これまで身分や年齢で関係性を取り決められてきた若者たちにとってこの概念は刺激的であった。ロマンティックなものであった。

 

 その真友として雑誌『女学雑誌』が見出したのは「夫婦」だった。なぜそんなことを言い始めたのか。この言説はもちろん、当時の日本の実情にはまったく沿っていない。夫婦は対等ではなかったし、それどころかひどい扱いをされることも多かった。しかしだからこそ、夫婦に「真友」を求めた。明治維新によって西洋から輸入されるキリスト教的価値観と近代国家の建設という二つが結び付き、両性の同等な関係が目指されたのだ。夫婦を「真友」とみなすことは、女性の地位向上にもつながるし、自己を求める若者の要求にもこたえる。そしてまた「家庭」というユートピアを与えることで、「そこ以外では役割を果たせよ」という国家貢献も促せる。

 夫婦とともに与えられた新たな「家庭」像は、いつも「社会」「公的領域」とのセットで語られた。仕事から疲れて帰って来る夫は家庭に戻るやいなや息苦しい鎧を脱ぎ本当の自己を妻の前にさらし休息を得る。逆にいえば、家庭を語るためには社会での役割が必要不可欠であり、家庭外においては男は役割を果たすことが求められる。

 

 ところで「真友」とは本当の自己を理解しあう関係なのだから、そこには性別の区切りは本来どこにもない。女学雑誌に刺激を受けつつも、別に同性ではいけないという決定的な理由を人々は持たなかった。日本の歴史を振り返ってみて、「愛」という言葉は上位のものから下位のものに使われた。対等な立場のものに対して使われるようになってきた「愛」だが、その対象は別に同性でもよかったのである。愛は精神的なもので、肉体的なものではない。儒教の徳目である仁義礼智も「愛」をもって言い換えられ、どれほど仁義礼智が備わっていようとも根底に愛がなければいかんとも言われたりした。色情は生殖のためのケモノのもの、愛情は人間のものである、と言われた。

 しかし明治二十年後半になるにつれ、生物学的な見地を基盤に男女の交際について語る言説が増えていく。それには「男同士が仲良くするは多いが、異性で話してるのは少ない。これじゃ損失だ。みんな話しあったほうがいい」という事情もあり、福沢諭吉などは「自然界どこを見回しても男女両性は近づくものだね。なにか特別なものがあるね。感じるだろう?」というようなことを言って奨励した。もちろんセックスしろといっているわけではなく、あくまで精神的なつながりをいったのだが、こうした比喩レベルのことが明治三十年代に至って、「愛」にとって異性が特権的なものとなっていくきっかけとなったのである。