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にんじんと読む「老荘思想と仏・道二教(森三樹三郎)」🥕

 老荘、つまり道家は神の存在を信じず、祭祀や祈祷とは無縁であり、教団組織といったものはまったく持たなかった。つまり道家は哲学であり、宗教ではない。ゆえに仏教や道教とは種類の異なるものなのであるが、道家がこの二つに与えた影響は大きい。

老荘思想道教

 老荘思想が生まれたのは紀元前3,4世紀であり、道教は紀元後3,4世紀頃に成立したのであるからそこには600年以上もの開きがある。とはいえ、道教はいろいろな信仰の集まりであるから、個別にみればその起源は遠く遡るともいえる。

 たとえば神仙説である。神仙説というのは不老不死で神通力をもつ「仙人」という神秘的存在可能性についての思想である。神仙説については老荘思想と同じ頃に成立しており、後年の道教はこの根拠を老荘に求めている。しかし老荘を不老不死に結び付けて解釈するのは難しいし、また、仙人になる道を探求するといった人為的な行為に対しては無為自然という立場をもつ老荘にとっては反対であった。また、老荘は明確に不死については否定しているし、こちらもまた、不死を目指そうとする人為的行為など老荘の立場からは到底賛成することはできない。そもそも生を喜び死を憎むなどいったこと自体、「万物斉同」の立場からすればありえないことで、道教から崇められて、老子荘子の両人にとっては<迷惑至極のことに違いない>。

 神仙説と老荘の重なりが考えられたのは、老荘がかつて「黄老」と呼ばれ、また神仙も同じく「黄老」と呼ばれたという事情もあるだろうと見れる。

仏教と老荘道教

 仏教が中国に伝わったのは一世紀の半ば頃と言われている。しかしこの頃はまだ仏教がよく理解されず、道教の「黄老説」と似たものだと考えられた。やがて知識人たちの手によって本格的に理解され始め、今度は仏教が老荘思想と絡めて理解されるようになった。たとえば大乗仏教の「空(くう)」は老荘の「無」と通じるものがある。老荘を通じて理解された仏教を格義仏教という。

 老荘的仏教はやがて後退し、仏教思想それ自体の理解が普及するようになったが、老荘はその後も影響を与え続け、仏教の中国化を推進した。そうして遂に禅宗を成立するに至ったのである。

 

 

 

老荘と仏教 (講談社学術文庫)

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