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もう一度にんじんと読む「哲学的思考(西研)」🥕 序章

序章 現代思想の〈真理〉批判をめぐって

この序章では、現代思想の〈真理〉批判のあらましをたどりながら、その仕方のどこに問題があったのか、そして現象学はこの同じ問題に対してどのような構えをとろうとするのか、ということを描き出してみたい。

哲学的思考 フッサール現象学の核心 (ちくま学芸文庫)

  伝統的な「真理」は次の二点から成り立っている。

  1.  言語や認識関心以前に、客観的事態=客観的真理があらかじめ存在している。
  2.  この客観的事態は、言語でもって言い表すことができる。直接言い表せないとしても、少しずつ接近していくことができる。つまり、真理性はそれにどれだけ近づいているかで決まる。

  しかしこのような「真理」については、多くの批判がなされてきた。

 

そもそも「言語以前・認識関心以前に存在する客観的現実にはそもそも私たちは出会うことができない」。つまりは私たちはいつも言語と関心とに従って事態を眺めるのであって、それ以前の客観的現実などというもののことはわからない!

 

 これがそれら批判の””背骨””である。客観的というものに疑いが投げかけられ、正しさというものがローカルなものであることが示唆される。文化によって正しさは異なるという文化相対主義という帰結を、私たちは受け入れるべきなのだろうか? もちろん、現象学はそのようには考えない。

 たしかに真理というものを人間の営みのなかにだけ見出そうとする姿勢は共感できる。しかしだからといって、真理が普遍的なものではありえない、ということにはならない。たとえば、机があるとかないとかは””机””がどういうものと捉えられているかによるだろうが、まさか「物体そのものがない」と言うやつはいないだろう。また数学や自然科学も、普遍的なものを予感させてくれる。逆に、そのように予感するからこそ、客観的真理という観念があるのだ。この観念はフィクションではない。『私たちが生きて経験することのうちに、そうした観念を必然化する機制がある』(哲学的思考 フッサール現象学の核心 (ちくま学芸文庫))。

 2つの課題がある。①この必然化する機制を明らかにしなければ〈真理〉批判は完遂されない。②そうして〈真理〉というものが害を及ぼす場合をきちんと考察していかなければならない。それは例えば自然科学が絶対視されたり、ある価値観を〈真理〉だとして絶対視するときである。もし必然化機制が明らかにされないならば、真理は永久に蘇り続ける!

 これを行おうとしたのは誰か。それがフッサールであり、彼の「現象学」だった。

 

 

 出発点はこうだった。私たちの主張はなんであれローカルなものから始まる。文化によって異なって来るものだ。だが、しかし、そうであっても、真理性を吟味するための「土台」があるはずだ。みずからの体験を反省しつつそれを見出す! これが現象学の方法である。

フッサールは、学問というものの理念は、〈一人一人がみずからその根拠を洞察しつつ認識を共有していくこと〉にあると考えていた。

哲学的思考 フッサール現象学の核心 (ちくま学芸文庫)

 

 

哲学的思考 フッサール現象学の核心 (ちくま学芸文庫)

哲学的思考 フッサール現象学の核心 (ちくま学芸文庫)

  • 作者:西研
  • 発売日: 2005/10/05
  • メディア: 文庫