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にんじんと読む「生まれてきたことが苦しいあなたに(大谷崇)」🥕 ②

carrot-lanthanum0812.hatenablog.com

自殺

 厭世主義者はもっとも受ける批判が「自殺しないの?」だろう。

 しかし当たり前だが、「生まれなきゃよかった」からといって「自殺しなければならない」は帰結しない。とはいえ、彼らが漠然と自殺に惹かれているのはたしかだ。なぜかというと、自殺したらそれでもう終わりだから。人生が即座に終了し、二度と行為することもない。二度と苦しむこともない。

 また、次のことも確認しよう。「自殺したい」からといって「死んだら無だ」を信じているわけではない場合もあり得る。簡単な話で、「あぁ現世キッツ……死のう……」という場合だ。だが、「死んだら無だ」と合わさったとき、自殺はペシミストにとってパーフェクトプランになる。人生からの解放だ。

 ここで注意しなければならないのは「自殺が解放」であって「死が解放」ではない点である。シオランも、自殺については解放を認めていても、死については認めていない。死が必ずしも解放ではなく残酷なものでありうる、というのは私たちにとって非常に身近な感覚であると思う。特に成功者などはそうだろう。どれだけ積み重ねても死んだら終わり。この残酷さ。

 だが、生まれなきゃよかった人間たちにとって、死は生まれないことに次いで良いものである。永遠の命が最悪なのは言うまでもない。自殺というものが優れているのは、自分の意志だけで一切を無にしてやるという、絶対的な権力を持っているからだ。これが私たちに「解放」の感覚を与える。シオランにとって自殺は世界に対する抵抗であり、不条理に対する反逆であり、報復である。

 それに自殺という考えは、それだけで私たちに癒しをもたらす。それはあとの人生が余生になるからだ。生誕もいつの間にか来た、死もいつの間にか来る。私たちは生存を真面目なものとみなさないことによってお気楽に過ごすことができる。シオラン『人生は自殺の遅延だと考えている』と言った。自殺の考えは、人生から自由に生きる確かな綱だ。

 

私は生きているが、たまたま自殺していないだけにすぎない。

生まれてきたことが苦しいあなたに 最強のペシミスト・シオランの思想 (星海社新書)

 L・Bは、いつも引退のことを考え、充分な生活費があるかどうかといったようなことをあれこれ考えている。そこで私は彼に、そんな先のことまで考える必要はないよ、まあ、せいぜい一年を想定して、自分の生活の予定を立てるべきで、絶えず将来のことを考えて気をもんだりせず、将来のことなど放っておくべきだよと言う。[中略]一番いいのは、あんまり気をもまないこと、そして窮地におちいったときにそなえて、多少とも〈みごとな〉自殺の可能性を考えておくことだよと。

カイエ: 1957-1972

 

 「生まれて来なきゃよかった派」の人々からはいつも、「でも死にたくない」という生存の欲求を感じる。「苦しいから」というのはよく聞くが、自殺を遅延させるほうが苦しい目に遭うかもしれないではないか。安楽死が制度化されたとしても、にんじんはみんな(特にいつも死にたいといってる層)ほとんど利用しないのではないかと考えている。ほんの小さななにかが、自殺を踏みとどまらせているのだ。

 自殺はいけないことだ、とは思わない。自殺者が増えたのが問題なのは、「本当は生きたかったのに」がつくとみんなが考えるからだ。だがユートピアを実現しても、自殺者は出るだろう。まぁユートピアなど実現しないので、仮にそういうものがあるとしたときに、それを受け入れる準備が、誰かできているのだろうか。自殺の問題を考えなければならないワケは、そういう部分にあるだろうと思う。

 

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