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にんじんと読む「人類史のなかの定住革命(西田正規)」🥕 ②

定住革命

 サルや類人猿などの高等霊長類は100頭程度の単位集団を形成し、固有の遊動域を移り住んでいるが、人類もまた出現して以来数百万年を遊動生活者として生きていた。定住生活を始めたのはおよそ一万年前頃のことだが、そこから生じて来た社会の複雑化は定住生活の出現に伴って生じた歴史的現象であるといえる。だがなぜ、人類はそれまでの遊動生活を捨てて、定住生活をはじめたのだろうか。「定住を望むのは当然」だとする見解もあるが、人類出現以来続いてきた伝統を捨て去ることは、遊動生活に適した進化を遂げて来た身体には快適とはいえない。だからむしろ、遊動生活維持が無理になったからこそ、定住生活が始まったのだとするのが自然だろう。

 遊動することの機能や動機は次のように整理できる。:

  1.  安全性・快適性の維持 a:風雨や洪水、寒冷、酷暑を避けるため。b:ゴミや排泄物の蓄積から逃れるため。
  2.  経済的側面 a:食料、水、原材料を得るため。b:交易をするため。c:共同狩猟のため。
  3.  社会的側面 a:キャンプ成員間の不和の解消。b:他の集団との緊張から逃れるため。c:儀礼、行事をおこなうため。d:情報の交換。
  4.  生理的側面 a:肉体的、心理的能力に適度の負荷をかける。
  5.  観念的側面 a:死あるいは死体からの逃避。b:災いからの逃避。

 逆に言えば、定住生活ではこれらを移り住む以外の方法で満足させなければならない。たとえば環境汚染の防止について、遊動民は一切気遣わない。移動すれば自然が帳消しにしてくれるからである。人類以外の、定住する動物もまた同じように、清掃の問題が付きまとっているが、それまで遊動生活をしていた人類にとってその変化は酷だったに違いない。たった一万年という期間では、私たちの体はそれに合わせられず、幼児に対してはまず排泄の訓練、ゴミの処理を学ばせなければならない。

 また、定住生活においては、定住に耐えうる頑丈な住居を作らなければならない。新石器時代に出て来た磨製石斧マセイセキフはこうした木材加工技術の存在を象徴的に示すものである。また定住するためには、こうした資源が豊富な場所であることも求められる。

 そして、社会的不和に関しても、定住生活者は「離れる」以外の方法で解決しなければならない。争いを解決させるための権利や義務についてのルールが取り決められる。アフリカの遊動狩猟採集民における食料や道具の分配における平等主義的な社会原理は後退せざるを得ない。定住民は同じ環境に住み続けなければならず、貯蔵ということを行う。彼らは蓄えた食料や財産からも逃れることができず、それを守るためには守りを固めるしかないのである。

 定住者は死者や災いからも逃れることができない。多くの定住民は死者の住む領域をはっきりさせ、共存をはかろうとし、壁で囲むなどして、その場所の特異性を強調し始める。逃れられない災いに対してはなんとか場所の安全を説得するために、その原因を神や精霊などに求め始め、儀式的な操作によって追い払えると信じ始める。遊動生活者は単に逃げればいいだけなので、このような操作はまったく必要ない。

 遊動生活は変化に富み、脳や体に適度な負荷を与えるが、定住民は別の方法を考えなければならなくなった。行き場をなくしたエネルギーは高度な工芸芸術や政治経済システム、込み入った儀礼、宗教体系、芸能など、さまざまな装置につぎこまれてきた。『いうなら、退屈を回避する場面を用意することは、定住生活を維持する重要な条件であるとともに、それはまた、その後の人類史の異質な展開をもたらす原動力として働いてきたのである。』(p33)

 

 どうしてここまでして、人類は定住に切り替えなければならなかったのか?

 人類史における初期の定住民は、日本の縄文文化がそうであったように、狩猟・採集・漁撈を基盤にした非農耕定住民であった。だから農耕は定住の結果なのであって、時折説明されるように、農耕が原因で定住が起こったわけではない。

  •  漁撈について見ると、これは歴史的にも最も新しい調達の手段である。前期旧石器時代には貝が利用され、時代を経るに従って水産資源利用の証拠は増大する。魚類を効果的に得るためには、水に慣れない人類のハンディキャップを克服する道具の発達がなくてはならない。実はユーラシアと北米の広い地域において、定住生活の出現が定置漁具の出現に並行して起きている。定置漁具こそ、人類初の、携帯性・使い捨てを犠牲にして作られた最初の道具だったのである。魚類は一般的に、狩りをするよりもリスクが少ない。また、哺乳動物に比べて捕えやすい。そのようなメリットが漁撈を後押ししたが、漁獲効率と安定性を求める行為は遊動生活にそぐわないものなのだった。
  •  環境要因について見よう。一万年前といえば氷河期が終わり、大きな気候変動が起きた時代でもある。低緯度地帯にはそれほど動きはなかったが、中緯度以降、これまで草原・疎林・氷河だった世界が、温帯森林・温帯・寒帯に変わったことはそこに住んでいた人々の生計戦略を揺るがした。森林の拡大によって狩猟が不調になると(木々が邪魔、動物が小型になり肉が少ない等々)、植物性食料か魚類への依存を深める以外に生きる手はない。しかし森林はいつでも果実のあるわけではなく、季節的分布があり、特に冬場には採集が困難である。だとすれば、秋のうちに大量に食料を抱え込み、冬を越えるしか手はない。漁撈にしても冬の水域は難しく、冬までにできるだけたくさん捕まえて保存しておかなければならない。だが、そんな大量の食糧を抱えて移動することはできないのである。

 しかし、気候変動はそれまでにも何度かありながら、なぜ一万年前に定住が起こったのだろうか。それは漁撈の技術、保存技術などの前提条件を欠いていたからだと言わざるをえない。だが、それ以前の温暖期に、人類がいかにして生き延びたかについての適応戦略について私たちはあまりにも知識が少ないのが現状である。

 

 

パンドラの種 農耕文明が開け放った災いの箱

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