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にんじんと読む「統計学を哲学する(大塚淳)」🥕 第五章(①)

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第五章 因果推論(①)

 帰納の問題と因果の問題を同一視したのはヒュームだった。つまり、帰納問題の正当化と、原因から結果への推論の正当化は同じ問題の表裏に過ぎなかった。

 しかしそもそも因果とはなんなのか。ヒューム自身は規則説regurality theoryに立つ。つまり、(1)原因と結果は時空間的に隣接している。(2)原因は結果に時間的に先立っている、(3)原因と結果は恒常的に連接している、の三条件に因果を求める。観察できるのは前の事象、後の事象の一連の生起であり、因果にはこれ以上の条件は必要ない。因果関係は一種の規則性であり、この規則性は確率変数の間の相関によって表される。因果関係はその域を決して出ることはない。

 因果関係を確率的関係と読み替えるという仕事は、当然、その関係の中に既に因果が含まれていてはならない。ところが因果関係そのものを定義するうえで、私たちは既になんらかの因果的知識を持っていることが要請される。たとえば、因果関係と相関関係を本当に一緒くたにすることはできない。あなたが気圧計を見て低い数値を見ることと頭痛に悩まされることは相関しているが、しかしこれは気圧が実際に低いという原因によって引き起こされた偽の相関に過ぎない。そこで因果を定義するにあたっては、二つの共通の原因・交絡要因confounding factorで条件づけておかなければならない。気圧が低いのが真の原因であって、気圧計の目盛りを見るから頭が痛くなっているわけではないのだから、ふつうに考えて、高い日にも気圧計を見てみれば問題は解決するだろう。だから、交絡要因になりそうな要素を考えておいてそれも込みで理論を組み立てていくわけだが、まさにここに、因果的知識をあらかじめ持っていなければならないという部分があらわれている。

 因果は確率とは異なる。では何か。

 私たちは「隕石がぶつかってきて、恐竜が絶滅した」とかいう。ここで意味されていることは、必ずしも規則的連関ではない。なにしろ、恐竜の絶滅は一回きりしか起こっていないのだから、規則がどうとかいう話ではない。むしろ私たちが言いたいのは、「隕石さえなきゃあ絶滅しなかったんだがなあ」ということではないか。そこで出てくるのがデヴィッド・ルイスの反事実条件説counterfactual theory of causationである。彼によると、EがCに因果的に依存するとは、

  1.  もしCであったとしたらEであっただろう
  2.  もしCでなかったとしたらEでなかっただろう

 ということがともに成立するということだ。

 すぐにノージックの知識論に似ていることに気づくが、これもやはり同様に、可能世界意味論によって定められる。一番についてそれが現実世界において真となるのは、どの可能世界においてもCではない、あるいは、CとEがともに成立している可能世界があり(適例世界)、それはCであるがEでないような可能世界(反例世界)のどれよりも現実世界に近い、ということを意味する。前者については論理学上の但し書きなので気にしなくていいが、後者においてはちょっと趣が異なる。ややこしい。

 甘いものは虫歯の原因である。一番の条件を考えよう。これが成立するためには甘党でしかも虫歯になっている適例世界があるとしよう。そのとき、甘党でも虫歯になっていない反例世界のうちで好きなものをとってきたときに、適例世界が常に現実世界と近ければよい。というわけで、たとえば反例世界のうちでは、みんな大変真面目に歯磨きをしている世界もあるだろう。だとするとその反例世界は現実とはたいへん勝手が違っており、適例世界に負ける。二番目の条件も同じようにする。

 しかし問題なのは、やはり可能世界がどうなっているのかなんて私たちにはわからないということだ。反事実条件説は意味論はうまく与えていたとしても、どうやってそれを知るのかという認識論には無頓着である。これを補うのが検定理論であるが、しかしそれすらも十全ではない。なぜなら検定理論が行うことは、背景にそのような因果が成立するとして、その仮説が成り立つかどうかを棄却したり保持したりするものだからだ。だが私たちが知りたいのは、「まさにその因果関係が存在するか」ということなのだ。

 

 

 

現代哲学のキーコンセプト 因果性

現代哲学のキーコンセプト 因果性

 

 

 

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