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進化論にまつわる誤解を整理する【「進化論はいかに進化したか」】

 「ダーウィンの進化論や、ネオダーウィニズム(=ダーウィンの進化論+遺伝学)が、今日の進化学である」という誤解はさまざまな形態をとって現れる(進化生物学は突然変異とダーウィンの自然選択だけで進化を説明している!)が、しかし、あのような古い学説がそのままの形で生き残っているはずがないのは当然のことである。それどころか、進化生物学においてはダーウィンの進化論は影響を与えられこそすれ、基本的には認められていない。『種の起源』の功績は、

  1.  自然現象としての自然選択を進化の主なメカニズムとしたこと
  2.  分岐進化を提唱したこと
  3.  科学的な進化の研究をスタートさせたこと

 にある。検証が検証になっていなかったり、いろいろおかしな点はあるものの、この三点は揺るぎなくダーウィンの功績である。

  •  (進化=進歩ではない)今でこそ進化と進歩が同じことだと誤解している人間はいないと思うが、当初は進化というのはいつも進歩的なものだと捉えられた。ダーウィンの進化はランダムなものであり、進化=系統の変化程度の意味であることを注意しておこう。
  •  しかし、単細胞生物から多細胞生物へ進化してきたように、やはり進化は進歩と思えるかもしれないが、それは生き残った側だからこそ言えることだ。たとえるなら、ヒラ社員は昇進か残留かクビだが、クビになればもはや社員ではない。つまり社員全体としては残留以上なので、進化=進歩のように見える。
  •  しかし、ヒトは「社長」にまで上り詰めた種なのではないか、とも思える。もしこの次に会長があるにしても、ここまで進歩してきたのは変わりがないじゃないかという意見だが、これも間違っている。それは「〇〇に適した」という〇〇の部分を人間向きに設定するから、人間がトップのように見えるのである。また、脳が大きいことはすぐれているかのように語られることが多いが、脳がでかいと燃料がたくさんいるので食料が不足すれば脳がでかいやつから死ぬことになる。
  •  (適応万能主義の間違い)今いる生物はすべて環境に適応しきった姿ではないことも、今では周知の事実である。生物の体は適応した部分と適応していない部分がありいつも「途上」なのだが、そのように考えない人々もいた。

 進化とは、次の世代に変異が遺伝することである。しかし、単純に計算すると、親世代100人がランダムに結婚して(人口を同じくするために)2人ずつ子どもを産んだとすると、子世代にその変異は影響されない。なぜなら、遺伝子の比率も遺伝子型の比率も子世代で全く変わらないからである。これをハーディ・ワインベルク平衡といい、この状況下では進化など起こりようがない。そこでこの平衡を起こす条件を突き止めてみると、4つあることがわかった。

  1.  集団の大きさが無限大
  2.  対立遺伝子の間に生存率や繁殖率の差がないこと
  3.  集団に個体の移入や移出がないこと
  4.  突然変異が起こらないこと

 逆にいえば、このいずれかを破綻させれば進化が起こる。そしてその破綻している状態こそが「進化のメカニズム」なのである(条件は満たしようがなく進化するしかない)。

 自然選択とは、二番目の条件を破ったものである。つまり生存率や繁殖率に差が生まれ、後世に残る遺伝子が偏って来るのだ。これが起きる条件は三つ。①遺伝的変異がある、②過剰繁殖をする(たくさん産めばそれだけ自然選択が早くなる)、③その変異によって子の数に差がある。自然選択には大きく二つ、方向性選択と安定化選択の二種類ある。前者は有益なものを広め、後者は有害なものを取り除く。ところでこのように書くと、生物は「適応」の形に向けてひたすら進み続け(方向性選択)、適応の穴にハマったら最後二度と出てこれない(安定化選択)のように思える。それでいいじゃないかと思われるかもしれないが、たとえば、体の色などの同じ形質だとしてもその環境に適応するのにカンペキな形がひとつとは限らない。進化の穴はいくつもある。その穴には適応度の差があるものだが、一度「浅い」穴に入り込むと、安定化選択によって二度と「深い」穴には行けなくなってしまう。

 一つの方法は環境を激変させてしまうことであるが、環境を一切変えずに穴を変える方法がある。それが常にひらいている1番目の条件の破れ・遺伝的浮動である。個体数は有限なので、たまたま、偶然によって遺伝子型の偏りが生まれる。集団の個体数が増えるほど浮動の効果は小さくなるが、個体数が少ないと自然選択の力を追い越すほどの影響が出てくる。遺伝的浮動によっていつもボールは弾んでいるので、その勢いで自然選択に打ち勝つことができるのだ―――肝心なことは、進化とはそのように動き回っている、ということだ。ハマったら終わりではない。

 

 自然選択は穴を作りボールの進む向きを決める。そのように聞くと自然選択が主要なメカニズムのように感じられるが、実のところ、「遺伝的浮動」=偶然による進化も自然選択と同じぐらいに重要である。遺伝的浮動というのは、親の持っているその特定の遺伝子が子どもに伝わるか否かという偶然によって、その遺伝子が増えたり減ったりすることである。個体数が有限だからこそ、この偶然によって遺伝子が残らない心配をしなければならない。逆から言えば、親がたくさん子どもを産めば、親の遺伝子は残りやすい。進化は早く進むのだ。

 あなたの身に素晴らしい突然変異が起きたとしても、相手の女性はその遺伝子を持っていないし、子どもにそれが遺伝するかは半々である。遺伝子アリとナシの子が二人生まれて、それぞれの家庭で二人産んだとすると、アリのグループではまた半分半分。ナシではやはりナシなので割合としてはその遺伝子を持っている子孫はたった一人しかいない。つまり増えていない。だが今までの理屈でいえば、最強の遺伝子を手に入れたあなたとしては、それが自然選択によって増えていくものと信じている。

 自然選択というのは、不利な個体が死んでいくことも含まれるからだ。その有利遺伝子を受け継がなかった個体が死ぬことで進化は進む。過剰繁殖をすることで、そこで養える子どもの数が限られ、不利な個体が死に、有利な個体が生き残り遺伝子を残す―――『つまり正確に言えば、自然選択には有利な個体を増やす力はなく、不利な個体を減らすことしかできない』。過剰繁殖によって遺伝子を残す前に死ぬ個体が出てくることによって、進化は進む。マンボウは2億個の卵を産むが、生き残れるのは2尾程度である。自然選択は万能どころかたいていの場合働かない。彼らが働くのは、それによって死体が転がるようなものだけだ。自然選択が有利な遺伝子を見つけるのはのろいし、見つけても働かないことが多い。

 自然選択だけを主要なメカニズムとして捉えると、地球の歴史から考えて、あまりにも進化速度が速い。速度を上げるためにはマンボウを見習わないといけないが、哺乳類にはそんなことは不可能だ。ここで自然選択万能主義は頓挫する。ここに遺伝的浮動という偶然を持ってくることによって、うまく説明がつく。

 

 

進化論はいかに進化したか (新潮選書)

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  • 作者:功, 更科
  • 発売日: 2019/01/25
  • メディア: 単行本