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にんじんと読む「フッサールにおける超越論的現象学と世界経験の哲学」🥕 第一章④

 「雨が降っている」ということで雨が降っていることを意味し、またその文を読むことによって雨が降っていることを理解する。この意味し、理解するという体験もまた、雨が降っているという事態に方向づけられた志向的体験である。

 紙の上に垂らされたインク自体が、表現として機能するわけではない。単なる物理的現象が表現として機能するとき、そこに働いている表現にとって本質的な作用ないし作用系列を「意味付与作用(bedeutungverleihender Akt)」と呼ぶ。単に「意味作用(Bedeuten)」とも呼ぶ。私たちが文を読んでそれを理解するとき、当然印字された文を知覚する体験が含まれるが、理解するというのは知覚経験に尽きるものではないし、それどころか私たちが目を向けているのはそうした物理的現象としての記号列ではなくて、文章に書かれてある事態のほうである。しかしもちろん、知覚経験がなければ読むことはできないので、この志向的体験には方向性の向き変えが生じる独特のものだと考えられる。今の場合の意味作用には、知覚作用という「支え(Anhalt)」がある。

 意味作用もまた志向的体験であるから志向的本質、つまり質料と性質の統合がある。意味作用の志向的本質を特に「意味的本質」と呼ぶ。しかし呼び方はともかく、志向的体験には違いないのだから、前に注意したように、対象の存在様式に左右されない。