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にんじんと読む「現代の死に方(シェイマス・オウマハニー)」🥕 序文

序文

大方の人間にとっては死は噂であり、所詮、他人事である。

現代の死に方: 医療の最前線から

  人は死ぬ。確実に。なのに何故か、あるいは、だからこそ、自殺を選択するような人がいる。とはいえ、ほとんどの人は死についてあまり意識にのぼらないらしい。近親者が死んだり、自分が重い病気にかかったりしてようやく死について考える。つまり「他人事」というわけだ。

 しかしかといって、ホスピスの医師が書いた死に関する本は、急性期病院などで働く医師のもつ死についての見方とは合わない。緩和ケアの専門家ならまた別のことを書くかもしれない。が、人間は圧倒的に急性期病院で死ぬ。そして色んな死に方をする。チューブまみれもあるし、いきなり死んだりもするし、苦しみながら死んだりもする。

私はなぜ今日の急性期病院では良い死に方ができにくくなっているのかについて説明し、総合病院とホスピスでの経験を対比してみたい。「隠された死」に至る歴史的、社会的要因を調べ、なぜ現代人は臆病で死と終末を直視できないのか調べたい――故キーラン・スウィーニー(訳注 イギリス人医師・作家)が「勇敢であることへの躊躇い」と呼んだことだ。現代医学の多くは過剰と不正直の文化に特徴があり、この文化は終末を迎えた人間のためにならない。

現代の死に方: 医療の最前線から

 本書は慰めの本ではない。死は苦悩でしかなく、人生の終わりだからだ。私たちはか弱く、傷つきやすい動物である。

現代の死に方: 医療の最前線から