にんじんブログ

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にんじんと読む「わたしは不思議の輪(ダグラス・ホフスタッター)」🥕 ~第六章

第五章 ビデオフィードバック

 略

 

第六章 自己とシンボル

 生物は生き延びるために、《身近に進行していることを、どんなに初歩的な形であっても、何らかの方法で察知し分類する能力を発達させる必要がある》(p.104)。その能力が自分自身に向けられるようになるのは、時間の問題だろう。大部分の原始的生物には自己知覚がほとんどないか、あるいはあってもほとんどないと考えられる。

 とはいえ、知覚は単なる「受信」とは異なる。《知覚はまず、微小なシグナルが大量に集まって構成される何らかの入力を受け取るところから始ま》(p.106)り、《受け取られたシグナルは、その後さまざまな変遷をたどった末、最終的には、休眠状態のシンボルが集められた大きなプール、すなわち表象機能をもった離散的な構造から、その一部を選択的に呼び覚ます》(p.106)。ここでいうシンボルとは、表象機能をもった離散的な構造であり、呼び覚まされると活性化する物理的機構のことである。それはたとえばエッフェル塔のことを考えるといつも活性化する脳内の特定の機構であり、エッフェル塔シンボル、ペンギンシンボル、南極シンボルなど色々あるだろう。

 大量のシグナルを受けとりながら、少数のシンボルが呼び覚まされるのはまるで「ろ過」だ。ビデオを使ってビデオを映すことはできるが、このビデオシステムにはシンボルのプールが欠けており、当然プールにアクセスもできないので、本当に何かを知覚しているとは言えない。

 シンボルのプールがあったとしても(ビデオに備え付けたとしても)、それがみな同じ豊かさを持っているわけではない。たとえば蚊は人間のように椅子やら天井やら壁やらとカテゴリー分けをしているようには思えない。彼らにとって必要なのは「食物を得られそうなところ」と「着地できそうなところ」「潜在的脅威」ぐらいではないか。次に重要なのは、蚊がこれらに対応するシンボルを持っているかどうかだ。水洗トイレはタンクの水位を意識しているのか、と問うのと同じように、蚊には多少でもこれを意識しているのか、と問うのだ。それは意識を伴わない、天秤に重りをのせれば片方が上がるような単純な機構なのか、どうなのか。蚊にそんなものがあるとしても、恐らく人間ほど明瞭なものではないだろう。

 人間のプールは尋常ではない。「子」があれば「父」「母」もあり、それらは「両親」に収まる。両親にはともに親があり、「祖父」「祖父母」が生じ、「祖父母」におさまり、「家族」といったようなものにおさまる。スーパーの「レジ」には「会計する」こともある。そこにはエピソード記憶が伴う。実に細かいところまで、よく覚えている。こうした能力がさらなる複雑さを生みだす。