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にんじんと読む「現代の死に方(シェイマス・オウマハニー)」🥕 第二章

第二章 隠された死

 フィリップ・アリエスが「従順な死」と呼んだものには、彼によれば、無頓着・放念・親密さ・プライバシーの欠如に特徴があると云っている。それは速やかで、受容され、親近感があり、医者よりも神父のほうが重要だった。これが徐々に「隠された死」に変わったのは、工業化、都市化、宗教心の喪失、医学の発達、病院、葬儀産業といった要因からである。従順な死においては、死は個人の事件ではなく共同体の試練であった。一方、死が隠されるようになると、死を医者に任せ、想像することも理解することもなくなり口に出すこともはばかられるようになった。共同体はなくなり、ばらばらな個人の集合となったのだ。とはいえ、昔ならば死に苦痛と恐怖がなかったかといえばまったくそんなことはないが。

 イヴァン・イリイチは『脱病院化社会―医療の限界 (晶文社クラシックス)』の中で、「医学界は人間の健康の大きな脅威になっている」と主張した。医師によってもたらされる障害である医原病は三つのタイプがある。①臨床的=医療が直接の原因となるもの、②社会的=通常生活の医療対象化、③文化的=伝統的な苦痛の対処法の喪失。《この死の医療化のために、私たちは死や苦痛を人生の一部として受容する能力を失い、また、死と終末にまつわる伝統的な儀式行事の価値を減じた。イリイチはさらに、医療化は社会統制の一形式であり「患者であること」を拒否すれば逸脱と見なされると主張した》(p.49現代の死に方: 医療の最前線から)。イリイチは変人として無視されたが彼の主張の多くは現実のものとなった。新たな病気の発明とその治療による金儲け。

 だがいまさら、「従順な死」に戻ることはできない。