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哲学の三層構造 受動性の層ー「過去把持」から【現象学関連過去記事】

 

carrot-lanthanum0812.hatenablog.com

 

受動的志向性 - 時間意識の分析から

 はっきりと自覚して働くような意識を「能動的意識」、そうした自覚がなく自己意識を伴わないで起こっていたことがただ受けとられていた場合の意識を「受動的意識」と呼ぶ。ただし、受動という言葉には自覚的なニュアンスがあり、事発(コトから発する)的と呼び直すのが適切だろう(p.116現象学ことはじめ 第2版)。これは能動/受動の前に働いている意識の領域である。

 こうした領域の典型的な例は、時間意識の分析において現れる。

 私たちは「時間」というものについて客観的時間というイメージを持っている。言い換えると、物理的で客観的に同じ速さで流れている時間をそれぞれが主観的に短かったり長かったり感じる、という風に考えている。だが本当にそうだろうか。

 「ド・ミ・ソ♪」と鍵盤を叩くとき、「ソ」のときに前の二音が”残って”いなければドミソを正しく弾けたのか弾けてないのかわからない。あるいは「いちご」と声に出すとき、「ち」の時点で「い」が頭から完璧に消えていたら日常会話は覚束なくなる。このように過去のできごとを保っておく意識の働きを〈過去把持〉と呼ぼう。過去把持は覚えていようと努力してそうするものではないことはいうまでもない。

 現象学者の主張は、この過去把持によって過去が作り上げられているということだが分析哲学者はそうではなく、想起という自覚的な働きによって過去が作り上げられるという。まずは見たり聞いたりすることが「いま」を作り出し、想起が起こると過去という時間意識が生じると考えるのである。現在というものは食べているとか見ているとかと表現され、過去というものは食べたとか見たとか表現される。過去の意味はこのように過去形を使って表現したときにまさに与えられ、意味付けられ、意識されるというのである。言語使用により過去と現在の区切りができるのだ。

 分析哲学者は言語に注目するが、《ここで問題にしなければならないのは、当然、感覚の変化そのものと言語による表現の関係》(p.58)であり、《言語以前の「感覚の変化や持続」という事態をそれとして認めなければならないのではないか、そして、言語の使用以前の感覚の変化と持続にこそ、過去と現在の時間意識の区別の源、つまり、出発点があるのではないのか、感覚が先であり、言語はその表現なのだから、感覚の変化にこそ、時間の意識の源泉があるはず》(p.58-59)だろう。つまり〈なまの痛み〉だ。

 知覚と感覚の違いはなんだろうか。

 たとえば目の前にフクロウの像があるとしよう。フクロウの見え方はさまざまで、その対象をどこからどう見ているかなどに応じて多くの姿を現す。その見えのひとつひとつが現れることを〈射映する〉といい、その現われを〈射映〉という。ここで重要なことは見えている側は見えていない背後をもあわせ持っていることだ。つまり私たちはさまざまな射映を通してものを一つの対象として見ている。この取りまとまりを〈綜合〉という。

 次にフクロウの像を触ってみよう。温かかったり、冷たかったりする。硬かったり、柔らかさがあることもあるだろう。その感じは先ほどの見えとは違い、変化こそすれ、さまざまな角度から感じているわけではない。いわば指先にそのまま感じているのである。このような身体の特定の部位に結びついている感覚を〈感覚態〉というが、もちろん、身体の特定の部位と結びつかないような、はっきりしない痛みもある。前者には部位の間違いがありうるが(痛む歯を間違える)、後者の間違いはありえない。

《この感覚は、外に在るとされるものの知覚、「外的知覚」にたいして、内にそのまま与えられて在るという意味で、「内在的知覚」と呼ばれます。この内在的知覚と外的知覚の区別は、感覚と通常の意味での知覚の区別と見ることができ》る(p.47)。

 〈なまの痛み〉というのはまさにこの内在的知覚のことだ。

 

 さて、〈過去把持〉に戻ろう。過去把持は、何かを思い出すといった随伴意識をともなう普通の意識作用ではない。過去把持はむしろ原意識と性格づけられる随伴意識と同じようにはたらき、「感覚」に類似している。

つまり、過去把持は、なまの感覚がそのまま原意識として意識される、ちょうどそこに、同様に原意識として、その感覚に直接結びついています。感覚が与えられた瞬間、原意識としてそのまま与えられますが、その新鮮な印象は、もし同一の感覚がつづいて生じなければ、次第にうすれていき、感覚内容はぼんやりしていきます。この保たれ、残され、次第に感覚内容が薄れていく過程全体が過去把持です。

現象学ことはじめ 第2版