にんじんブログ

にんじんの生活・勉強の記録です。

MENU にんじんコンテンツを一望しよう!「3CS」

にんじんと読む「がんばること/がんばらないことの社会学 努力主義のゆくえ」🥕 第一章 

第一章 「頑張り」=努力主義と平等の日本的文脈

 まずは「平等」ということの日本的な位置づけについて確認する。

 中根千枝『タテ社会の人間関係 単一社会の理論 (講談社現代新書)』は、《社会構造の分析に関する新しい理論を提出》するものである。

 社会構造というものは、個人と個人、個人と集団、個人からなる集団と集団の関係である。社会集団が構成されるのは「資格=社会的個人の一定の属性(氏・素性・学歴・地位・職業・血縁集団、カースト集団)」と「場=一定の地域や所属機関など、一定の枠によって、一定の個人が集団を構成していること(R大学の者等々)」という二つの異なる原理によるものであり、各個人は資格と場によってさまざまな社会集団に属する。

 このようにして見たときに興味深いのは、資格と場のどちらか一方を優先は社会によって異なることである。それが日本社会(場重視)であり、他方ではインドのカースト制(資格重視)である。場によって個人が所属すると、現実的には個人は一つの集団にしか所属できない(場を出ると集団を出る)。また、資格によって個人が所属すると、いろいろな集団に同時に身をおくことができる。

 ここで導入されるのが「タテ」と「ヨコ」である。資格の異なるものを包む社会集団において、その構成員を結び付けるのは理論的には当然「タテ」関係=同列におかれないA・Bを結ぶ関係になる。タテ関係は親子・子分関係・官僚組織によって象徴される。一方、資格が同列の場合は「ヨコ」関係になる。ヨコ関係はカーストや階級的なものへと発展する。ヨコ社会は「能力差」の闘いになるが、タテ社会は「順番」がある。

 日本の序列偏重は能力平等観と相関しており、つまり「誰でもやればできる」ので、能力差は序列による差ということになる。日本人はそれにどれだけ打ち込んで来たかという努力には注目する。

この根強い平等主義は、個々人に(能力のある者にも、ない者にも)自信をもたせ、努力を惜しまず続けさせるところに大きな長所があるといえよう。(中略)金持ちの息子は苦労がないからおめでたく、バカで、刻苦勉励型が出世するという社会的イメージが、日本人の常識の底流となっている。

タテ社会の人間関係 単一社会の理論 (講談社現代新書)