第三章 「頑張り」=努力主義と日本社会
日本には「誰でもやればできる」という能力平等観が根強く存在しており、それゆえにこそ忍耐・努力が重視される。これに対してアメリカ・イギリスでは能力素質説とでもいうべき、不平等観が強い。
また頑張ることについてのもう一つの文化的要因は「同調主義」にも求められる。なにしろ、1924年生まれの多田道太郎の証言によれば、頑張るという言葉はむかしはあまり使われることはなく、仮に使われたとしてもそれは「頑張る」=「我を張る」=「我意に固執して譲らない」といったような悪い意味だった。この頑張るという言葉が好意的に受けいれられだしたのは昭和になってからである。戦後日本のアメリカ化・個人主義化に、従来の同調主義がその下支えをしたと多田道太郎は見る。いわば同調的個人主義、おたがいに頑張っているわれわれ、頑張りの共同体といったものとなった。
「能力平等観」「同調的個人主義」という文化的背景要因は、要因ではあるものの、直接人々に頑張ることを働きかけるものだと一概にはいえない。そこで今度は具体的な制度に目を向けて、頑張らせる仕組みを探っていこう。それは「傾斜的選抜システム」である―――竹内洋によれば、現代社会は社会的成功が「選ばれる」ことによって得られる「選抜社会」である。かつまた、日本の選抜の特徴は「傾斜的」=たとえば偏差値などによって学校が総序列化されている。この偏差値は小数点第一位まで算出され、たとえわずかな偏差値の差であっても傾斜をのぼることができ、頑張る気にさせられる。
「能力平等観」「同調的個人主義」+「傾斜的選抜システム」→ 頑張りが根付く
しかしそのような目で見た場合、大きな目で見ると、今後この努力主義は衰退していくことになるだろう。
第四章 「頑張る」時代の変容
略
第五章 「頑張らない主義」の台頭
頑張らないことへの価値の位置づけが変わり始めている。1998年頃以来、「頑張らない」ことを謳った書籍・雑誌記事・キャンペーンが増加傾向にあるのだ。人生論の分野でもこのテーマで多く出版され、がんばり過ぎからの脱却をすすめだしている。経済界でもケーズデンキは「がんばらない経営」をかかげ、業績を伸ばした。
これらはバブル経済崩壊後、安泰とされてきた大企業が相次いで倒産し、終身雇用制度が崩壊したことにより努力主義が本格的に疑われるようになったことが要因と思われる。