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にんじんと読む「ふわふわする漱石(岩下弘史)」🥕 第五章

第五章 『多元的宇宙』と漱石晩年の思想

 『多元的宇宙』はいわゆる「汎心論」(世界の全ての事柄には心的な側面がある)を仮定している。しかし普通の汎心論というのは、世界の絶対者の精神についてのことである。ジェイムズは神の存在を認める者であるが、その神は有限な存在であり、その有限な神の意識が混ざったり離れたりして世界を構成しているというのが彼の説である。

 伝統的哲学においては、実在というのは変化しない。だが「本当に実在するのは、できあがった事物ではなく、生成中の事物である」。実在は動的なものなのである。そのなかでは元来すべてが融け合っている。この世界や宇宙を構成するものは、本来その隣人と互いに「手を組み合って」いる。概念は変化するものを捉えるが、それはスナップショットに過ぎず、「いくら騎兵だって年が年中馬に乗りつづけに乗つて居る」わけではない。

 漱石の「則天去私」はこの思想の上に理解されるものであって、それは「私」を「去」り「天」=自然=融け合う意識=に「則」り流れのなかを漂うことである。概念を離れた実在=流れを漂うことは、概念によってそれを堰き止めるように流れを外側から観察するのではなく、人の内側の生に同情や共感をもって向き合うことである。

この点に関しては和辻哲郎の見解が正鵠を射ている。漱石の「超脱の要求は現実よりの逃避ではなくて現実の制服を目ざして」いた。「則天去私」とは、「現実の外に夢を築こうとするのではなくて現実の底に徹する力強いたじろがない態度を獲得しよう」とするものだったのだろう。

ふわふわする漱石:その哲学的基礎とウィリアム・ジェイムズ