にんじんブログ

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にんじんと読む「動物が幸せを感じるとき(テンプル・グランディン)」🥕

動物の幸せ

 動物をただ単に生かす方法なら、つまり死なせない方法ならいくらでもあるだろうが、生き残れば幸せだろうと考えるのはどうかしている。このことは人間に当てはめても明らかなことだ。この件に関わって、イギリスの科学者による家畜福祉の諮問委員会ブランベル委員会が「動物のもつべき権利」を五つあげた。

  1.  飢えや渇きにさらされない権利
  2.  不快な環境におかれない権利
  3.  痛み、怪我、病気の苦しみにさらされない権利
  4.  自然な行動をする権利
  5.  恐怖や苦悩にさらされない権利

 たしかにそんな感じがするが、「自然な行動をする」というあたりからちょっと考えなければならないことがある。たとえばイヌにとって一日に何キロもうろつきまわるのは自然なことだ。できればそうさせてやりたいところだが、あらゆる動物が自由に市街地を動き回るのはお互いにとってたいへん危険である。そうすると自然、代わりの行動を考えてやらなければならないことになる。あるいは、そもそも自然な行動というのがなにかわからない場合がある。生殖は自然なことだが、ところが、動物園にいる動物たちのなかには生殖が出来ないものがいる。与えた環境のどこかが間違っているのだ。たとえば、その件で長年動物園の悩みの種だったチータだが、1994年、オスとメスを一緒にさせていたのが逆にまずかったのだと判明したことがある。

 アレチネズミは穴掘りが好きそうに見えるし、実際、野生のアレチネズミも穴を掘っている。というわけで彼らに存分に穴を掘っていただくため、掘りまくれる砂がたっぷりある場所に案内してみる。すると彼らはどんどん掘り始める。ずっと、ずっと掘っている。活動時間の三割は掘っている。ところが残念なことに、野生のアレチネズミならこんなことは絶対にしない。実はこれは変化のない、無意味で異常な反復行動・常同行動の一つなのだ―――今度はアレチネズミ氏を、巣が出来上がっている代わりに掘ることのできない場所へ案内してみる。彼らは掘ることはもちろんしないし、その他の異常行動をとらなくなった。彼らに必要だったのは「掘る」ことではなく、「安全」だったのである。

 動物たちが、ほんとうは、なにを必要としているのかを知らなければならない。

【にんじんまとめ】

 なるべくなら動物たちに自然なふるまいをさせてやるのが一番だ。だがそうするなら彼らがそれを行なえる環境を整えなければならないし、もし色々な理由で自然なふるまいが不可能ならべつの方法を考えなければならない。

 そもそも「自然なふるまい」が良いと考えられるのは、そのふるまいが彼らの基礎となる情動システムを満足させるように、彼ら自身が進化してきたからだ。根本的には、このシステムに対する理解も欠かせない。

 ワシントン州立大学神経科学者・パンクセップ博士は「システム」をいくつか挙げている。そのシステムは脳の部位と対応していて、その部位を電気的に刺激するとそのような行動を発現する。

  1.  「探索」 
  2.  「怒り」 捕食者につかまって身動きができなくなった経験から進化した情動で、敵につかまった動物に爆発的なエネルギーを与える。欲求不満はこの穏やかな形態。
  3.  「恐怖」
  4.  「パニック」 社会的なものに関連して使われることば。
  5.  「欲情」
  6.  「保護」
  7.  「遊び」

 「探索」とは、「自分の身のまわりを探検し、調べ、理解したいという基本的な衝動」である。いいものを手に入れようとして調べたり、身を守るところを探したり、安全かどうか確かめたりする。奇妙な物音が聞こえそちらに振り向く、そしてどうしようか決める。探索システムはそこから数多くのシステムが発現していく出発点なんだと博士は述べている。

 「怒り」は、捕食者につかまって身動きができなくなった経験から進化したシステムで、敵につかまった動物に爆発的なエネルギーを与える。欲求不満はこの穏やかな形態。たとえば動けないように押さえつけられると激しく怒る。動物たちにどれほど快適な環境を与えても、欲求不満を含めた怒りを感じることがある。そもそも与えられた環境の外に出れないという時点で彼らが怒りを感じてもおかしくはなく、「しょせん近代的な牢屋」なのである。

 「恐怖」は、生存が脅かされた時に反応する部位で、偏桃体にその中枢がある。なので偏桃体を破壊されると恐怖を感じなくなる。ネズミが穴を掘るのも捕食者から逃れるためである。

 「パニック」は、社会的なアタッチメントに関連する。動物の赤ん坊は母親の姿が見えなくなるとパニックになる。このシステムは身体的な苦痛から進化したと考えられている。いわば、心が痛い、わけだ。

 

 これら四つの情動システムは動物たちにどのような環境を与えればいいのかを教えてくれる。好ましい環境では、脳が健全に発達し、問題行動が少なくなる。最後の三つの情動システムは生涯を通じてみられるものではない、複雑な特定の目的を持つ社会的情動システムである。「遊び」はまだよく解明されていないものの、怖がっているときに遊ぶ動物はいないので遊んでいるのはおそらく幸せな証拠なのだろうといわれている。

 

【にんじんまとめ】

 動物に対してどのような環境を与えればよいか、というようないろいろな工夫を「環境エンリッチメント」という。環境エンリッチメントについて考えるうえでも情動システムを考慮することには意味がある。探索システムをほどほどに満足させ、怒り・恐怖・パニックを与えない安全でつながりのある環境が大事なのだ。

 

 そもそも肝心の「動物が幸福を感じてるのか」という判定をどうやって行うかだが、そんなものを生物学的に調べるテストなどありえない。見るべきなのは「行動」であり、特に考えられているのは「常同行動」つまり異常な行動を起こさないかどうかであると考えられてきた。

 常同行動にはいろいろあって分類は難しいが、①行ったり来たりする(動物園でなんの意味もなくうろうろするのが見れる)、②口を使う(柵をかじる、物を異常になめる、舌先を丸めて動かす)、③その他(体を揺らす・飛び跳ねるなど、移動しないタイプの多動)となるだろうか。テニスのシャラポワが相手のサーブを待つときにラケットをくるくる回すのは「常同行動」のひとつだが、これは一過性のものだから問題ない。一日に何時間も同じ行動をする継続的なものが、異常行動なのだ。動物園の檻のなかにいる動物たちがうろうろ、うろうろと同じ場所をうろつくのはよく見られるし、あるいは人間にもそういうことがある。隔離して育てられた孤児たちはベビーベッドでよつんばいになって体を揺らしたり、柵につかまってずっと足踏みをしている子もいた。自閉症児においては自傷行為もみられ、自分の手を噛んだり、壁に頭を打ちつけた。

 ところが、妙な研究例が出てくる。

 常同行動をしているグループのほうが、していないグループよりもおとなしくて恐怖心も強くなかったのだ。それはミンクに関する研究論文で、彼らは活発な動物であるのに小さな檻で飼われている。対象の1/4に常同行動が「見られなかった」。しかし異常行動にはある程度個体差があるのでこれ自体は特別驚くに値しない。だが、常同行動をしていたほうのグループのほうに棒を突っ込むと、彼らはそれを恐れずに探索をはじめた。一方、常同行動をしていないほうは、恐れて逃げ出した。

 

 常同行動をすることと不幸であることを即座に結びつけるわけにはいかない。だがなんのつながりもないわけではない。ここでそのような行動を引き起こす状況を整理して見ると、

  1.  現在苦しんでいる
  2.  過去に苦しんでいたが今はそうでもない
  3.  今は恵まれていないが、同じ退屈な環境ならしていないやつよりは精神状態がいい

 探索システムをうまく働かすことができない小さい檻のミンクたちは、行ったり来たりすることによって緩和していたのだ。

 

 さらに驚くべき発見がある。野生のものを動物園に連れてきたときと、生まれた時から動物園にいた動物とでは、前者のほうが常同行動が少なかった。一方例外もある。生まれた時からペットとして買われているあるトラの話だが、彼には常同行動がなかった。いったいどういうことなのか。

 

 答えは単純で、「不幸」な動物たちには刺激が足りなかったのだ。野生にもともといた動物は多くの刺激を受けて脳を育てて来た。一方、最初から動物園にいるとそのような刺激がなく、まるで孤児のような状態で育つ。ペットとして飼われていたトラは、その環境に刺激が多かった。また、常同行動をとるミンクたちは、刺激によって精神的な安定をはかっていた。だがこれは彼らを小さい檻にとじこめていいというわけではもちろんない。常同行動は生活の質を下げる、なにしろその活動に多くを費やされるわけだから。動物たちには、生涯のケアが必要なのだ。

 

【にんじんまとめ】

 動物たちの幸福の尺度は行動であり、継続的な異常行動の少なさである。彼らが異常行動を起こすのは情動システムが十分に刺激されていないためであり、もしこれを幼い頃から与えていれば脳が健全に発達するがそうでない場合は人間でいう「孤児」のような状態にある。異常行動は生活の質を低下させるため、事前に防止したほうがよく、既に起きているなら減らす努力をしなければならない。