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にんじんと読む「孤独力(こころライブラリー)」🥕

人間はなんらかの意味で他者に依存しなければ生きられない。しかし「孤独」には暗い側面とともに明るい側面もある。『精神の自律性は「ひとりの時間」の中からこそ育まれていく能力であり、いつも「群れ」て協調性だけに気をくばっているのでは、その力は細く弱くなってしまうから』である。ここでは関係性を断たれたところからくる感情としての孤独をロンリネスと呼び、必要なエネルギーを湧きたたせる孤独をソリテュードと呼ぼう。「群れ」の空気に違和感を感じつつ、そこに馴染めないことへの焦りを感じていた著者は、小さい頃にも味わっていた孤独に再会する。

 ペプロー&パールマンが『孤独感の心理学』において定義している。「孤独感は、個人がある時点で保有していると思っている対人関係と、過去経験によるか実際には経験したことのない理想の、彼が持ちたいと望んでいる対人関係の間の経験された不一致である」。ロンリネスは相手に対する要求・理想と関係する主観的なもので、社会的な孤立や拒絶とは必ずしも同一ではない。自分の人間関係の状況が自分の理想に及ばないとき、どれだけ周りに人間がいたとしてもロンリネスを感じるときはある。

 しかし孤独にはソリテュードという側面もある。ロンリネスが、近くに人がいるいないに関わりなかったのと同様に、ソリテュードを得るために人里を離れたり日常的な交渉を断つ必要はない。

ひとりでいて「何もしない」「何も持たない」「非生産的ともいえる時間」がソリテュードとなり、何かを生み出すためには、その人自身の内にもつテクストが何かをどれだけ紡ぎだせるかということだと考えます。この場合のテクストとはそれぞれが持っている智慧、知識、経験などです。それらを縦糸と横糸にして、その隙間に創造力を重ねあわせることにより一枚のタペストリーが織りあがるのです。

孤独力―人間を成熟させる「ひとりの時間」(ソリテュード・タイム) (こころライブラリー)

 では「孤独」という言葉を共有するロンリネスとソリテュードのことを改めて考えよう。ソリテュードはロンリネスとそれほどかけ離れた存在ではない。ふたつはどういう関係になっているか。

 なにか予想外の出来事が起きた時、人はまず驚く。驚き、その受け入れがたい何かを否定する気持ちに襲われ、怒り、悲しみ、寂しさを感じる。まずロンリネスの時期が到来するのである。その時期は永遠ともとれるほど長く感じられるが、しかし、ちょっとしたきっかけ・手助けでその状態は終わる。そして今度はそのひとりの時間を楽しんでいる―――たとえば、嫌なことがあり、人ごみから逃げ、夕焼けを見つめている瞬間。たしかにつらいことはつらいのだが、ネガティブな感情を「流す」ことができるようになる。とらわれない状態が自然に増えていく。

 ロンリネスからソリテュードへの移行プロセスはこうなる。

  • プロセス1 ロンリネスをはっきりと自覚する前段階状態 

    自己否定的な出来事orうまく処理できない体験

  • プロセス2 ロンリネスの渦中

 現実を受け容れるが対処する気力なく、自己否定的。

  • プロセス3 ロンリネスからソリテュードへの変容時期

 否定的感情が極限までくると反作用が起きる。あまり囚われずに、感情を少し脇におけるようになる。客観視できる。

  • プロセス4 ソリテュードの揺籃期

 「流れるまま」を意識している自分に気づいた時点で、そのとらわれない状態が増えていく。既に寂しさや切りはなされた感情、被害者意識はあまり感じない。

  • プロセス5 ソリテュード成長期

 ポジティブなエネルギーを積極的に意識で、それが「今」自分が必要としている何らかの行動へと反映される。

 

 

 しかしプロセス2からいつも先に進めるわけではない。感情を流すことができず、客観視するのではなく現実の記憶や認知を歪めてしまうこともある。ではロンリネスに振り回されず、ソリテュードへ至ることを増やすためには何が必要になってくるのだろうか。実はこれはひとつの能力であり、養育者との愛着があれば順調に発達していく。ならば幼少期に十分な愛着が、人との信頼関係が築けなかった人はどうなるのか。この疑問について著者は恋人との関係を例に出し、『互いに誠意をもって建設的な関係にしたいと思うならば』、『分離不安ともいうべき感情が解消されていく』と書いている。これにより、自分が気にかけられているという確信を得られるそうである。そうしたことの積み重ねが、幼少期の愛着を埋めることになる。また、ひとりでいられる能力の発達を阻害する要因もある。それは社会・文化的な「群れ」志向であり、他者といっしょにいるのが幸せで安心だという考え方である。

 ところで以上のような考え方からすると、ひとりで黙々と作業したり、読書をしたり、旅をしたりするのがソリテュード的な体験となりうるのは、それらが本来的には苦痛であるような体験であるからに他ならないことになる。つまり孤独能力を高めなければそれらを楽しめる境地にはたどりつけないのだが、これを伸ばす能力についてはそれほど詳細に書かれてあるわけではない。