にんじんブログ

にんじんの生活・勉強の記録です。

MENU にんじんコンテンツを一望しよう!「3CS」

にんじんと読む「比較不能な価値の迷路」🥕 ③ 憲法を比較する困難

第二章 比べようのないもの

 アラスデア・マッキンタイアは、比較政治学がやるような国や文化を超える普遍的な政治学上の法則を見出そうとする試みに疑義を述べる。政治学の対象となる制度や行動は文化によってまったくその姿を変えてしまう。たとえばアフリカの「政党」と西欧の「政党」では全く性格が異なるのだ。このため、比較政治学においてはその機能を分析することできちんと対象として同定しようとしてきたわけだが、マッキンタイアはこれについてうまくいっていないと評価している。

 彼の疑義は比較憲法学においても適用できる。憲法の「言っていること」は、まったく同じ文言を持ってきても文化によって変化するからだ。比較不能性について、AとBがどっちよりどっちのほうがいいともいえず、価値が等しいともいえないときにそれが成り立つ。比較不能であることは価値が等しい事とは異なるわけで、たとえばふつう、休日に読書するか散歩するかというのは比較不能である。これには【構成的】なものも見られ、たとえばあなたの大好きなアイツが「かけがえないもの」であるのは構成的な比較不能性であり、あなたのほうで比較できないと決めてしまっているのだ。一億円で大好きな相手を売れるなら「かけがえない」わけではないということになる。そこには物差しなど存在しない。そもそも物差しを否定することによって「かけがえなさ」が生まれている。憲法に対しても「基本的人権を守る憲法っていい憲法だね」などと言っているのはこの種のコミットメントであって、これは構成的なものである。どっちがどんなふうにどうという物差しを得るためにはこれが邪魔になってくるのだが、この種の比較不能性は回避不能である。

 つまり、重要なのは客観的な物差しによって比較しようと考えるのではなく、【それぞれを理解可能なものとする内在的な視点】を探求し、この視点に基づいて記述することが求められている。ここにこそ比較憲法学の存立可能性と必要性がある。