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にんじんの書棚「『竹取物語』から「かぐや姫」へ」

 一番わかりやすい「かぐや姫」解説。いろいろ探しましたが、これ以外の本はかぐや姫各論みたいな本が多く、お話全体に触れたものは少ない印象ですが、「竹取物語」がどんなことをテーマとしているかがわかりやすく書かれており、非常に参考になりました。ジブリの映画についても触れられております。

 以下、過去記事より、要約です。

 

竹取物語』の内容

 『竹取物語』には伝承の話型が5つ含まれる。竹取翁伝承・異常出生譚(異常誕生譚 - Wikipedia)・致富長者譚・天人女房譚(⊂異類女房譚)である。竹取物語に見られるのは天人女房譚のうちの羽衣説話である。

羽衣説話は、天女が地上で羽衣を何らかの理由で失い、天に帰ることができず地上で一定期間過ごし、やがて羽衣を取り返して帰っていくという形が基本である。

『竹取物語』から「かぐや姫」へ 物語の誕生と継承

 『竹取物語』も、かぐや姫が一定期間地上で過ごし羽衣着て帰っていくので羽衣説話の一種と思われるが、その他の羽衣説話と比べて異なっているのは、この物語の羽衣は「飛べない」。それは「人の心をなくさせる」。そして羽衣を着て帰っていく異郷は、すばらしいものをもたらしてくれるところではない。不死の薬も竹から出て来た財宝も、かぐや姫がいなくなったあとには何の意味もない。

 かぐや姫は着ていた衣を脱いで、形見として置いていく。竹取物語には二つの「衣」があり、人の心を持ったかぐや姫を思い出すための形見の衣と、人の心を失ったかぐや姫の着る羽衣がある。その意味で衣は『心のある人間世界と心のない月の世界を象徴し、この2つの世界を分ける機能』を果たしている。

 

 チベットには『竹取物語』と酷似した説話「斑竹姑娘(はんちくこじょう)」がある。貧しい母とランパ(息子の意)は竹林を大切に育てていたが横暴な土地取りによって安値で買いたたかれてしまうことになった。竹林はなくなることになりランパが涙を流すたびに一本の竹に斑がついてしまった。ランパは切り倒されるその日にこの竹を持って逃げたが、この竹から女の子が生まれ、すぐにランパと同じ背丈に成長した。竹姫と名づけられたこの子に土地取りの息子も含む五人が求婚するが、竹姫の出した難題に誰も結婚できず、結局竹姫はランパと結婚する。

 『竹取物語』においては、姫を見つけるのはじいさんであるし、もちろん最後に結婚などしない。しかも『斑竹姑娘』においては求婚譚のあとあっさり「そうして竹姫は、ランパと夫婦の契りを結んだとさ」と終わってしまうが、『竹取物語』は帝の求婚や昇天の段がある。逆に『斑竹姑娘』において長いのは竹姫を見つけるまでの話である。

 また、竹姫発見のきっかけは竹姫のすすり泣きであり、竹姫は赤ん坊で発見されており、竹姫成長はランパが馬の乳を取りに行っている間であるからかぐや姫より早い。一方、かぐや姫発見のきっかけは竹の光であり、かぐや姫は「赤ん坊」とは書かれていない(大きさが三寸なだけ)。また、泣くとか笑うとかの感情表現もほとんど見られない。竹姫はにっこり笑い、労働をしたり、楽しく暮らすのだが、かぐや姫は「美しい」し「成長が早い」だけでそんな要素は見られない。

 結婚に対する態度も異なる。竹姫は結婚拒否のために難題を出すというよりも、ランパと結婚するために他の求婚者を排除しようとして難題を出すのである。一方、かぐや姫は結婚そのものを拒否する。5人が最後までしぶとく残り、翁が頼んでくるので断ることもできず、それならばと難題を提出して結婚をはねつけるわけである。かぐや姫自身がそれを「難題」であることを認めている(「取りがたき物」)。

 そしてその難題であるが、

  •  かぐや姫の場合は「仏の御石の鉢」→「蓬莱の玉の枝」→「火鼠の皮衣」→「龍の頸の玉」→「燕の子安貝」であり、
  •  竹姫の場合は「撞いてもわれぬ金の鐘」→「打ってもこわれぬ玉樹の枝」→「もえない火鼠の皮衣」→「燕の巣にある金の卵」→「龍の額の分水珠」である。

 似ているのだが、実は竹姫の場合は難題ではあるものの、どこにあるかがわかっている場合が多く、かぐや姫のほうはそもそも実在しないものである。だからかぐや姫を説得するためにいろいろやる。偽物を作ったりするのも熱意ゆえである。だが竹姫の婚約者の場合、本物は手に届く場所にあるのだから、偽物を用意したりするのは熱意のなさに由来する。

 注目するのは並べ方である。かぐや姫は『身分の高いほうから低いほうへ』『不誠実なものから誠実なものへ』と並べられている(身分と誠実さの反比例)。一方で、竹姫の求婚者は全員不誠実であり全員悪役なので、ひどい目に遭っても悪役が一人消えたとしか思わない。だからどんな並べ方でも別にいい。かぐや姫の求婚譚は、かぐや姫が求婚者に同情を示し、心を学ぶ過程として描かれる。

 「斑竹姑娘」との比較を通して、『竹取物語』において「心」がその主題であることがより明確になった。諷刺という側面が注目されがちである求婚譚も、かぐや姫が人間の心を学ぶ過程であり、昇天場面においてかぐや姫が心を獲得しておくためのプロセスなのである。悪役もいなければ西洋的なヒーローもいない『竹取物語』が描くのは、一貫して人間の心である。

『竹取物語』から「かぐや姫」へ 物語の誕生と継承

 『竹取物語』のテーマはかくや姫の心の獲得と喪失にあると主張したい。かぐや姫は月の人でありながら、失うだけの心を持てた理由は求婚譚にあるのだ。求婚譚は最後の一人に至ってとうとうかぐや姫に「すこしあはれ」と思わせる。そして次に帝による求婚もまた、心を得る過程である。たしかに「すこしあはれ」とは思ったのだが、求婚譚以降は5人について一切触れられない。帝に至って、遂に心を獲得するのだ。昇天の段に至るまで、かぐや姫の感情表現は一切見られない。

 結末において、かぐや姫は心を失う。残して行った衣。そして不死の薬。帝は不死になる薬を燃やしてしまう。『月の人と人間との対比の中で、人間を肯定することで物語は幕を閉じるのである』。

竹取物語』の中心にあるのは、不老不死で美しく、心を持たない月の人と、老いて死に、美しくないが心を持つ人間との対比である。

『竹取物語』から「かぐや姫」へ 物語の誕生と継承